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中村 昇

中村 昇【略歴

感動と驚きの教育

中村 昇/中央大学文学部教授
専門分野 西洋現代哲学、言語論、時間論

詩人・徳重敏寛

 教育は、感動と驚きだと思う。中学二年の新学期だった。国語の新しい先生が、教室に入ってきた。身長は180センチくらい、浅黒く痩せていて鶴のようだ。服装や佇まいは、悪くいうとホームレス、よくいうとキリストのようだった。さっと教卓に突然のぼって直立のまま、こちらをじっと見つめる。しばらくして何ごともなかったかのように降りて、もってきていた用紙を配り、「いま思ったことを書きなさい」とゆったりとした鹿児島の言葉でいった。これが、徳重敏寛先生との出会いだ。

 それ以来、親元を離れて中高一貫の進学校にいた私にとって、徳重先生だけが、生きる支えとなった。これは大げさにいっているわけではない。中二の夏休みの宿題は、読書感想文だった。その頃でていた太宰治の文庫を全冊読み、4000字の感想文を徳重先生に読んでもらうためだけに書いた。中学の頃は、太宰だけではなく、三島や大江や安倍公房にのめりこみ、いつも感想を先生に語っていた。

 高校の時には、吉本隆明の『書物の解体学』を貸してくれたり、詩人でもある先生自身の詩作の方法について、あるいは、文学について、キリスト教や神についても(先生は、クリスチャンだったから)、いろいろなことを教わった。たまたま新幹線で乗りあわせ、いまはない食堂車で、博多から東京まで、先生と一緒に、息をつめてピカソの画集を一枚いちまい凝視したこともある。私にとって「教育」とは、詩人・徳重敏寛のことなのだ。

 教室のなかで、誰にでも予想できることがおこっても、すこしも印象には残らない。先生が先生らしく、あたりまえの内容を語っても、何の面白味もないだろう。そんなものは、自宅で本を読めば万人が手にすることができる。私たちは、誰もみな、ここでこうして生きている意味がわからないのだから、驚異や感動がなければ、魂には、何も刻まれない。

遊学する土曜日

 文学部では、去年の五月からBun Caféというものをやっている。学部長の都筑先生から、最初この話があったとき、真っ先に浮かんだのは、松岡正剛が三五年ほど前にやっていた「遊学する土曜日」だった。工作舎が、渋谷の松濤にあったころ、土曜日にいろいろな専門家を呼んで、公開で松岡が対談をしていた。まだ無名だった荒俣宏や民俗学の吉野裕子、舞踏の田中泯など多彩なゲストと縦横無尽にあらゆる話題を語る。集まってくる連中のどんな質問にも、松岡はおそるべき該博な知識で答えていた。

 当時は、浅田彰も読んでいたという伝説の雑誌『遊』(編集長は、むろん松岡正剛)が、少しずつメジャーになっていく頃だった。最近、『工作舎物語』(左右社)というのをたまたま読んだのだが、あのころの工作舎には、200人近くの人が出入りし、ほとんど不眠不休ではたらいていたらしい。たしかに、「遊学する土曜日」にいくと、異様なエネルギーを感じたし、そのエネルギーが充溢する磁場のなかでの対談もものすごくおもしろかった。

 もちろん松岡の足元にも及ばないが、文学部の十三専攻の先生方のお話を伺い、学部の学生や院生、あるいは他の先生方にも、楽しんでもらえる場をつくれるかもしれないと思ったのだ。なにしろ、十三の異なった専門の先生方がいて、しかも、その専攻内でも、それぞれ一人ひとりが独自の分野を研究されているわけだから、話題は、無限に近くあるにちがいない。そしてその場で、もしわずかでも感動や驚きがあれば、それは、「教育」という名にもっともふさわしいだろう。

Bun Café

 初回の五月は、心理学専攻の山科満先生とお話しした。かねがね「精神医学」と「精神分析」と「心理学」の関係がよくわからなかった。いずれも「心」や「精神」をあつかう学問だということは、もちろん知っていたが、現場の先生たち(精神科医、心理学者、精神分析学者)は、この三つをどのように認識し使い分けているのか、よくわからなかったのだ。山科先生は、精神科医でもあり、精神分析、心理学の研究もなさっていて、この疑問をぶつけるには、この上ない方だった。聴きにきた学生や先生方の数が予想以上で、教室には入りきらず廊下にまで椅子を用意した。時間も予定をはるかに超え、最後は、質問する人たちに対する山科医師の心理カウンセリングになってしまった。

 六月は、「ことば」をテーマに、ジョン・マシューズ先生(英文学)、唐橋文先生(古代オリエント学)、石村広先生(中国語学)、冨士池優美先生(日本語学)に登場していただいた。言語も異なれば、その方法論もちがう四人の先生方のお話は、じつに刺激的で、われわれ人間だけがもつ言語の多角的な側面が、あらゆる視点から提示されたと思う。中国語の理解を絶する動詞の性格、シュメール語の深い謎、あるいは、平安期の語彙の不思議さやバイリンガルの迷路のような脳の仕組など、興趣の尽きない話題が目白押しだった。わたし自身も西洋哲学の言語論を専門にしているにもかかわらず、知らない事柄がおおく、眼から鱗が落ちつづけた。

 前期最後の七月は、「江戸という時代」というタイトルで、日本史の山崎圭先生、国文の鈴木俊幸先生がお相手だった。所属する専攻はちがうけれども、あつかっている時代は同じなので、江戸について、ご自身の専門の立場から存分に話していただいた。古今亭志ん朝命の私にとって、とにかくこの時代やその生活はおもしろい。当時の出版事情や廓のこまかい描写、あるいは領主と領民との関係、または悪代官にかんする質疑応答など、じつに豊饒な時間がすぎていった。

 後期は、十月と十一月の二回だった。その回のテーマ曲も流れるようになり、Bun Caféが一段と華やかになる。後期一回目は、「愛と美について」。英文の大田美和先生、仏文の阿部成樹先生のお二人による競演だ。美術史が専門の阿部先生が選んだ絵画に、歌人でもある大田先生が、ご自身の短歌をつけていく。それに会場の方々から、コメントや質問がある。仏文の小野潮先生の鋭い質問もあり、また他学部の先生も多くいらっしゃって、わたし自身とても楽しんだ回だった。ところが、せっかくこの日のために大田先生が創ってくださった詩の紹介を私がうっかり忘れてしまう失敗もしてしまった。本当にごめんなさい、大田先生(!!)。

 昨年最後のBun Caféは、東洋史の松田俊道先生にお願いした。松田先生のチェロの演奏(カザルスの「鳥の歌」と、「荒城の月」も)からはじまり、イスラームについての(安全な)話題、そして最後は、アラビア語講座と盛りだくさんで、会場に来ていた方々も大満足だったのではないだろうか。語学の天才、イスラーム学の泰斗である井筒俊彦が、もっとも抵抗を感じたといわれるアラビア語の底知れない魔力を感じた。

総合芸術化する(?)Bun Café

 回をかさねるにつれて、音楽や絵画、短歌などが、先生方の専門の話のなかに自然に入ってきた感じだ。これはとてもいいことだと思う。私が敬愛する思想家ルドルフ・シュタイナーは、「教育は、芸術活動でなければならない」といった。シュタイナー教育では、数学や母語を教える際も、色鉛筆を使い絵画的な手法で教えていく。また、音楽や演劇もひじょうに重視した。そういう意味でも、Bun Caféは、総合芸術としての教育に近づきつつあるのではないか。これは、さすがにいいすぎですね…

 お話していただく先生方に、かならず伺うことがある。それは、高校時代から大学時代にかけてのことだ。聴いている学生たちは、自分と同じころ、先生たちが、どのようなことを考え何をしていたのか、とても知りたいと思っているはずだから。もちろん、わたし自身にとってもたいへん興味深い。日常的な話から高度な学問上の議論まで、さまざまな話柄がとびかう。

 毎回きてくれるお客さんもおおい。都筑先生はかならずいらしているし、唐橋先生もよくお見えになる。総合政策の院生である辻君、うちの西洋史をでて一橋の大学院生になった村山君、仏文の兼任講師の小嶋さん、哲学の竹中さんなど多彩な面々がとりかこむ。もちろん、学部生の常連さんもおおい。

 そりゃ、教室のなかでじっくり専門の研究をすることも大切だ。だが、その背後には、やはり感動と驚きがなければならない。そうでなければ、研究という地道な作業はできないだろう。初めに驚きがあるからこそ学問は始まる。古代ギリシアの誰かもいっていたではないか。

 追記:そうそう大切なことを書き忘れていた。TBC(Team Bun Café)の皆さん(茂木さん、守田さん、飯島さん、澤田さん)はじめ、文学部事務室の方々には、いつも大変お世話になっている。企画、広報、設営、後片付けまで、何からなにまで本当に遺漏なくやっていただいている。心から感謝しています。

中村 昇(なかむら・のぼる)/中央大学文学部教授
専門分野 西洋現代哲学、言語論、時間論
1958年長崎県生まれ。1994年中央大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。中央大学文学部専任講師・助教授をへて2005年より現職。現在の研究課題は、ウィトゲンシュタインの言語論、ホワイトヘッド、ベルクソン、西田幾多郎の時間論など。
主な著作に『いかにしてわたしは哲学にのめりこんだのか』(春秋社、2003年)、『小林秀雄とウィトゲンシュタイン』(春風社、2007年)、『ホワイトヘッドの哲学』(講談社、2007年)、『ウィトゲンシュタイン ネクタイをしない哲学者』(白水社、2009年)、『ベルクソン=時間と空間の 哲学』(講談社、2014年)、『ウィトゲンシュタイン『哲学探究』入門』(教育評論社、2014年)などがある。