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高木 雅史

高木 雅史【略歴

「教育実地研究」(文学部教育学専攻)についての雑感

高木 雅史/中央大学文学部教授
専門分野 教育学、日本教育史

教育実地研究とは

 文学部教育学専攻の3年次必修科目である「教育実地研究」は、1966年、教員と学生有志の自由参加による「教育調査」として開始されてから49年、1992年に正規授業となってから23年を数える。本専攻の名物授業として、ChuoOnline上でも2009年度に眞鍋倫子教授が取り上げている。中央大学父母連絡会発行の『草のみどり』においても、森茂岳雄教授(2002年2月第153号)、池田賢市教授(2006年12月第201号)が、この授業について紹介しており、その時々の貴重な記録となっている。

 訪問地の決定や事前学習を行う2年次後期の「教育研究法」を経て、3年次の6月下旬に4泊5日の現地調査を実施、その後、報告書を作成するというスタイルは、ここ数年、変わっていない。けれども学生の気質の変化や情報技術・環境の進展などにより、取り組みの様相はだんだんと変化してきている。この変化について考慮しながら、私なりにこの授業について思うことを書きとどめておきたい。

今年の訪問地 秋田県で学んだこと

 今年の訪問先は秋田県であり、正規授業となってからは初めて訪れる地であった。3年生59名、専任教員5名、大学院学生のティーチングアシスタント2名が、学校教育、伝統教育、家庭教育、青少年、へき地教育という5つの班に分かれて調査に入った。

 私が同行したへき地教育班を例に、学生たちの調査の様子を素描しておこう。学生たちの関心は複式学級等の小規模校における教育実践のあり方にあった。加えて、今年1月に文部科学省が小中学校の統廃合を検討する際の指針となる手引きを60年ぶりに改定したことに着目し、小規模校の統廃合問題にも目を向けることになった。

 初日は全国学力・学習状況調査で高い実績を上げている東成瀬小学校を訪問した。学校統廃合を10数年前に終えて現在は複式学級はないが、全校児童120名程の小規模校である。多様な価値観や異質性に触れる機会を増やすために、異年齢集団による活動や地域住民との交流に力を注いでいることが印象的であった。

 2日目からは秋田市内の2つの小学校と秋田市教育委員会を訪問した。その2校はへき地認定はされていないが小規模校ゆえ学校統廃合の対象となり、来年度から中学校と併設の新しい小学校に統合される(諸般の事情から班の名称は変更しなかったが、結果として今年はへき地認定を受けた地区の学校には訪問しなかった)。

 複式学級における授業のあり方について、ある小学校では全学年の児童が合同して取り組む「全学総合」(総合的な学習の時間)、もうひとつの小学校では算数等の授業の様子を見せていただいた。教科の授業においては複式を担当する教員は2学年分の教材研究をし、さらにそれを同一時間内に組み合わせて授業を行う必要がある。一方の学年に説明をしている間は他方の学年に作業をさせたりしなければならない。校長、教頭も授業を受け持ったり、補助に入ったりして担任教員を支援する。学生たちの話を聞くと、実際に現地での様子を観察し、お話をうかがうなかで、当初抱いていたいわば「素朴な」仮説やイメージの修正を迫られたようである。彼らは複式学級での実践から少人数教育の「良さ」を発見・確認したいという思いが強かったようであるが、先生方が多大な努力を傾注されている姿を見て、事情は簡単ではないことを発見する。

 学校統廃合については、行政の方針と地域住民の意思との間での揺れ動きを伴いながら、進められてきたという経緯を知ることができた。訪問したところは2005年に秋田市に編入合併した地域(旧町)であり、当初は私たちが訪問した2校の統合案から出発したがいったんは頓挫し、最終的にはその地域(旧町)にあったすべての4小学校が同時に統廃合されることになった。統廃合は避けられないという共通認識のもと、秋田市と合併する以前から続く地域(旧町)の一体性(=アイデンティティ)を大切にしたいという意味から、最終的に4校の一括統廃合が選択されたわけである。しかし一方、その地域(旧町)の内部に目を向ければ、校区ごとにアイデンティティが異なる。4校はすべて明治初期に源流を持ち、140年以上の歴史を有している。そのため統廃合後、各々の小学校に蓄積されてきたモニュメント類の維持・継承をどうするのかが大きな課題となっているという。地域住民にとっては、それらはこの地で生まれ育ち生活してきた証しであり、土地の「記憶」を遺すものである。このような地域(旧町)の外と内をめぐるアイデンティティの重層性が垣間見えたことは、私にとっても興味深い発見であった。地域住民、学校関係者、市職員などによる試行錯誤の経緯を知るなかで、ここでも事情は簡単ではないことを学生たちは深く認識したのではないかと感じている。

調査に「同行」して感じる学生の成長

 調査に同行するなかで、「こういうことだったのか!」というように学生たちの理解が深まる瞬間を感じ取ることがある。〈薄暗い状況下でもがいている最中にすっと一筋の光が突き抜けるように理解の道筋が見えるというような感覚〉を、経験しているのではないか。その瞬間、学生たちの表情や姿勢が変わるからである。

 模索し、一筋の光を見つけて前進し、また新たな課題に突き当たって模索するといったことを繰り返しながら、認識を深め、学生たちは成長していく。私が余計なサジェスチョンをしなくとも、彼ら自身が話し合いを重ねるなかで、理解の道筋を見いだし、解決していく場合がほとんどである。その様子を見守る過程は、彼らの成長に「同行」できる喜びに浸れる時間である。さまざまな状況が変わろうとも、彼らの成長を実感できる瞬間を味わえる醍醐味は、今後も大きく変わることはないだろうと予感している。

近年の変化と課題

 各地に散らばっての調査を終えて、4日目の午後には全員が集合して、現地報告会を実施する。ここ数年ですべての班がパワーポイントを使った報告を行うようになった。過去には模造紙に手書きで作成した資料を使うことが多く、寸劇を取り入れるといった工夫がなされていたと聞いている。パワーポイントを使うことで情報量が多くなり、写真も効果的に使用され、「手堅くて分かりやすい報告」が増えたようである。

 その反面、メリット/デメリットあるいは賛成/反対といった区分に落とし込み、きれいに整理しすぎているように私には感じられた。発表時間が短く、あくまで暫定的な報告であり、政策提言をしようとする際には致し方ないことなのかもしれない。しかし、私としては簡単には白黒つけがたい事情の複雑さやそれを簡単には表現できないもやもやした思いや、当初の仮説に込めたこだわりも大事にして、報告書をまとめて欲しいと願っているところである。

 LINEやFacebookを使いこなす学生たちは、各地に散らばっての調査中も逐次、他の班のメンバーたちとも情報交換をし、それぞれの進捗状況を把握できるようになっている。この意味では、調査でのさまざまなエピソードをため込んで、4日目に再会したときに「どうだった?」と情報交換し合う際の「新鮮な感覚」は薄れつつあるように思われる。そもそもSNSがあるのは彼らにとっては当たり前のことなので、「新鮮な感覚」云々なんてことは私が時代遅れなだけだと言われればそれまでのことだが……。調査結果の報告は参加者全員に配信して済ますことも、技術的には簡単なことである。このような情報技術・環境の進展は、学生たちの気質の変化とも相俟って、現地での報告会や現在は冊子体である報告書のあり方などを今後、変えていくことになるのかも知れない。

 旅費を節約しようと秋田新幹線を利用せず、時間がかかる夜行バスを使う学生も多くいた。学生を取り巻く経済的環境の厳しさが増すばかりであることを考えると、費用や時間をやりくりしながらの調査体験は楽しい思い出のひとつとなるだろうと、一昔前のように悠長なことは言っていられないと感じている。簡単には解決できない問題であるが、彼らの学習を制約する条件を少しずつでも改善していく努力が必要である。

教育実地研究から卒業論文へ

 報告書作成の後は、卒業論文執筆に向けての準備が本格化する。悪戦苦闘した「教育実地研究」での経験を無駄にすることなく、さらに発展させて、充実した卒業論文の完成につなげて欲しい。このことは、訪問地から戻ったばかりのこの時期に私が毎年感じる、とても平凡かつ率直な思いであり、期待である。

高木 雅史(たかぎ・まさし)/中央大学文学部教授
専門分野 教育学、日本教育史
1964年愛知県生まれ。1983年愛知県立稲沢東高校卒業。1987年愛知教育大学教育学部教職科教育学教室卒業後、名古屋大学大学院教育学研究科に進学。名古屋大学助手、福岡大学人文学部教授を経て、2013年より現職。優生学・産児制限・心理学等に関する概念・技術が日本の教育に与えた影響の解明に取り組んでいる。主な論文に、「戦後日本の家族計画運動における受胎調節指導の変容」(『日本の教育史学』第56集、教育史学会、2013年所収)、「国民優生法下の優生結婚」(藤川信夫編著『教育学における優生思想の展開』勉誠出版、2008年所収)、「教師と心理学テクノロジー」(松塚俊三・安原義仁編『国家・共同体・教師の戦略』昭和堂、2006年所収)などがある。