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大鳴戸親方(元大関・出島)に土俵人生を聞く

『流した汗は嘘をつかない』

 中央大学相撲部出身の元大関・出島関が、昨年7月に現役を引退し、年寄大鳴戸を襲名した。大関まで極めた大鳴戸親方は、好きな言葉が『流した汗は嘘をつかない』と語り、努力の重要さを説く。その一方で、死線をさまようほどの大病に冒された体験から、挫折が人を大きくすると強調。白か黒しかない厳しい勝負の世界を辿ってきた大鳴戸親方の言葉は、ひとつひとつが示唆に富んでいた。(学生記者取材班)

―― 稽古は早朝からやっているのですか?

大鳴戸親方 今は朝6時からですね。弟子が40人くらいいた時は、4時半とか5時からでしたが、今は10人ちょっとしかいないので。

―― 大きな丸い石を抱きかかえて、屈伸運動していた力士がいました。あの丸石の重さは、どれくらいあるのですか?

大鳴戸親方 30kgくらいですね。結構重たいですよ。

―― それから砂袋を持ちながら、すり足をやっていました。あれはどれくらい?

大鳴戸親方 砂袋は15kgくらいじゃないですかね。

―― みるみる力士の身体から湯気が立っていました。

大鳴戸親方 今は寒いので、汗をかいてくると、湯気がもうもうと出てくる。

―― 厳粛な張り詰めた空気の中で稽古が行われているのが印象的でした。

大鳴戸親方 現代においてピリッとする雰囲気の場所は少ないと思うんですよね。自然に背中がスッとなってしまうような。緊張感っていうのは集中力につながる気がするんです。稽古場で集中力が途切れると、どうしても怪我のもとになる。

―― 張り詰めた空気の中でやるからこそ、稽古になるということですか。

大鳴戸親方 受験勉強でも、兄弟がうるさかったりすると、集中力がなくなって、勉強に身が入らなくなる。そういう経験あると思うんです。それと同じようなことですよね。

13年半の土俵生活に悔いはなし町内対抗相撲の小1の部で2位

―― 親方は平成8年に中央大学を卒業されました。初土俵は?

大鳴戸親方 平成8年3月です。

―― それで去年の7月に引退されました。「出島引退大鳴戸襲名披露大相撲」が5月29日に両国国技館で行われますが、今のお気持ちを聞かせてください。

大鳴戸親方 13年半になりますが、一言で言うと、やりきったという気持ちが強いですね。身体がボロボロになるまで、よく相撲をとってこれたなと。充実感といったらおかしいですけど、本当に悔いはないです。はい。

―― 相撲を始めたきっかけは?

大鳴戸親方 出身地の石川県金沢市は相撲が盛んなところで、相撲のスポーツ少年団がいくつもあったんです。たまたま自分の通っている校区に相撲を教えている人がいまして、小学校1年生の時に、町内対抗の相撲大会に、「ちょっと身体が大きいから出てくれないか」とお願いされたのが、きっかけですね。結果は、小学校1年生の部で2位でした。

 それでスポーツ少年団の団長さんから「続けてみないか」って誘われて、近所に相撲をやっている友達が多く、自分は一人っ子なので、友達がやっているからという単純な理由で始めたんです。

―― 小さいときから身体は大きかったんですか。

大鳴戸親方 大きかったですね。小学校1年生で30kg以上はあった。背は、クラスでは一番後ろでしたね。スポーツ少年団の団長さんがレクリエーションが好きな人で、合宿に行っても、相撲の練習はしないで、野球やったりサッカーやったり、川遊び、海遊びしたりという。本当に楽しい方でした。相撲ばかりやっていると飽きると思う。だから続けられたのかなと思います。

中学で「練習」が「稽古」に怖くて出せなかった退部届け

―― 小学校卒業後は?

大鳴戸親方 中学校(鳴和中学校)に入って、相撲部の監督さんから「出島君、相撲部に入らないか」と言われて相撲部に。本当に軽い気持ちで、「うんいいよ」なんて、先生にもタメグチのように言って(笑)。それで入ったらえらい所に入ってしまったなと思った。それまでの「練習」から「稽古」に変わったというか。小学校では「練習」って言っていたんですけど、中学校に入ってからは「稽古」になって、大きな変化でしたね。

出島武春(でじま・たけはる)
年寄 大鳴戸。1974年3月21日、石川県金沢市生まれ。中央大学法学部卒。1996年3月場所初土俵。最高位は大関。幕内在位75場所で、546勝478敗98休。幕内、十両、幕下優勝各1回。殊勲賞、技能賞各3回、敢闘賞4回。

―― 中学校の相撲部は厳しかったんですか?

大鳴戸親方 いや、僕が入る前までは、あるかないかわからないような相撲部でした。入ったときは部員は1年上に一人しかいなかったですからね。たまたまそこに赴任してきた先生が1年目で、僕が1年生。そこからが原点というか、厳しく指導していただいて、今では、その中学は何回も中学大会を全国制覇しています。

―― 親方は全国大会では?

大鳴戸親方 3年生のときに個人戦で準優勝まで行きました。

―― プロは意識されなかったのですか?

大鳴戸親方 いえ、全然考えてないですね。逆に絶対行きたくなかった。個人で全国2位になって、3つ,4つの大相撲の部屋から親方がわざわざ家まで来られましたね。僕は、知らなかったんですが。

―― プロ(大相撲)が嫌だったというのはなぜ?

大鳴戸親方 怖い世界だと思っていたので。当然、社会も厳しいですが、さらに輪をかけて厳しい、白か黒の世界なんで。今も中学校卒業して入って来る子が多いですけど、僕自身では考えられない。偉いなと思う。

―― 相撲自体が嫌いというわけではないんですよね。

大鳴戸親方 いや。相撲嫌いでしたよ。好きだと思ったことはないです。

―― でも辞めようとは思わなかった?

大鳴戸親方 いや、中学校では退部届けを鞄の中に入れて、毎日、今日は出そう、今日は出そう、とばかり考えていました。本当に嫌で、退部届けを握り締めていた。

―― ちょっと想像がつかないですね。

笑顔には悔いがなかった土俵生活がのぞく

大鳴戸親方 本当に中学校の部活としては考えられないような、厳しい稽古でした。学校終わってから毎日夜8、9時くらいまで稽古して、それからがまた地獄なんです。ご飯も先生の家で食べていたんですけど、普通は、部活が終わって、やっとおいしいご飯だ、という感じでしょう? そんな優雅なディナータイムではないんですよね(笑)。それも稽古ですから、もう先生に「食え~」って言われて、無理やり食べさせられた。

 なんで、こんなことしなきゃいけないんだ、早く帰ってテレビ見たい、早く寝たいよ、とかばかり思っていた。家に帰るのは深夜11時とか、12時近くです。だから反抗期がなかったんです。くたくたで家に帰って、親に反抗する元気がない。

―― 退部届けは出したんですか?

大鳴戸親方 出したことないです。先生が怖くて、出せなかったです。

楽しさの外にあるのが「稽古」汗流した努力は必ず報われる

―― 「練習」から「稽古」に大きく変わったということですが。

大鳴戸親方 そうですね。球技のスポーツは稽古とは言わないですよね。柔道、剣道、茶道、華道、相撲道、「道」のつくものは稽古っていう。お花の練習とは言わない。お花のお稽古って言いますよね。そのへんが僕が思っているところで、練習じゃ強くならない。相撲の世界では、やっぱり稽古です。

―― 「練習」と「稽古」の違いは?

大鳴戸親方 僕は、血や汗や涙をどれだけ流せるか、だと思うんです。まあ、僕らでいえば、どれだけ泥んこになるか、ということですね。スポーツやっていれば、血が出ることもあるし、汗も当然出るし、その量じゃないかなと思うんです。サークルでテニスをやっていて、さわやかな汗を流していたら、稽古とは言わないでしょう。楽しさの範囲で終われないのが、稽古じゃないかな。

―― 稽古には稽古のしがいあると。

真剣な眼差しは勝負師の顔だ

大鳴戸親方 僕も最近いろんなところでお話させてもらうんですけど、「夢という木を育ててください」と言うんです。それで、「夢という木を大きくするには『努力』という肥料が必要です。『努力』という肥料を怠ると、夢という木は大きくならないし。『努力』という肥料を一生懸命コツコツあげることで、いつかは大きな木になり、大きな花が咲き、大きな実になります」と言っています。

 コツコツ努力したことは必ずどこかで報われると思うし、逆になまくらして得たものは、結局、どこかでメッキが剥がれると思う。やっぱり歯を食いしばって頑張るところは頑張って、自分の夢に向かって努力して欲しい。その努力は、また違ったところで生きてきたりもすると思うのです。

―― 頂上には行くには、必ずそこに至るプロセスがあると?

大鳴戸親方 そうですね。今の若い人は、見た目で花だけ見ようとするんですよね。花も花だけじゃ咲かない。葉があり、茎があり、幹があり、根があって、根から栄養を吸って花になる。だから、根をどれだけ良くするか。根は見えないところですよね。僕は見えない努力をどれだけするか、だと思います。学生だって修行です。大人になっても死ぬまで修行だと思うんです。努力するところはしないとだめなんで、甘い世界はないんですよね。

7タイトル獲得した高校時代どこか甘えがあった大学時代

―― 話を戻しまして、高校時代は?

大鳴戸親方 結局、花を咲かす下準備が中学時代だったと思うんです。高校時代(金沢市立工業高校)は、インターハイと、国体でも個人優勝させてもらったし、団体優勝もさせてもらった。高校に入っても厳しいことは厳しいけれど、中学時代に厳しいことをやっていたので、そんなに厳しいとは思わなかったですね。

―― 高校では相撲を辞めようとは思わなかったのですか?

大鳴戸親方 思わなかったですね。どうしてかというと、中学校の全国大会で個人2位になったことが大きかったと思うんです。これだけ苦しいこと、しんどいことをやって、小さな花ですけど、咲いたわけですよ。結果が出せて、苦しいことがちょっと報われたわけですよ。そうすると今度は優勝したいと、さらに夢が大きくなる。優勝したい、もう一段階上のところで表彰されたい、という強い思いで、高校3年間はやっていましたね。

―― 7タイトル獲得されたけれど、そこでプロにならずに、中央大学への進学を選ばれました。その理由は?

大鳴戸親方 一番大きな理由は、中央大学は相撲部が強かったんです。監督さんと3つ上の先輩からも高校1年生のときから、「うち来いよ、うち来いよ」と誘われていた。その人を頼って、中大に入ったのが一番大きいです。その先輩はアマチュア横綱をとっていたので、そんな人から声をかけてもらえるだけでもすごいと思っていた。

―― 高校ですごい成績をあげられ、大学ではさらに上を目指したいという気持ちがあったんですか?

気さくにインタビューに応じる大鳴戸親方

大鳴戸親方 あったんですが、今思うと怠けていたんでしょうね。高校で欲しいタイトルを全部とって、それで大学行って、でも結局、大学4年間では大きなタイトルはとってないんです。甘えがあったんだろうと思います。

―― 大学の稽古は中・高校と比べどうでしたか?

大鳴戸親方 それなりに厳しかったんですが、あんまり厳しいとは思えなかったですね。1年生のときは良かったんです。強い先輩もいっぱいいたので。でも2、3年になると、正直、稽古相手がほとんどいない。申し合いをしても僕がずっと土俵にいて、回しちゃうと言うんですが、相手をとっかえひっかえやっても勝っちゃうんですよ。

 自分より弱い相手と何番やっても汗も出ないし、ましてや泥んこになることもない。特に3、4年のときは稽古ができていなかったですね。その辺の差が出たというか、どこかで胡坐をかいている自分がいたのかなと、今は思います。

―― タイトルが取れなかったというのも、そういうところにある?

大鳴戸親方 と、思いますよ。それと、うちの大学は遠いんですよね。他の大学は都心部にあるので、けっこう相撲部屋に出稽古に行っているんです。学生でも強い人に胸を借りているんですね。でも、八王子から朝稽古に間に合うように行こうと思ったら不可能なんですよ。南平の寮から始発に乗っても、1時間半くらいはかかるので、下の人の稽古は終わっているんですよね。授業もあるし、無理なんです。他の大学の同期には、結局抜かされちゃいましたね。

 弱い人と100番やるより、強い人と10番やる方が身になるんですよ。勉強も自分より能力の低い人より、高い人とやった方が勉強になると思う。

―― プロに進もうと思ったのは、大学での悔しさがあったからですか。

大鳴戸親方 それが大きいですね、一番の動機ですね。

―― 武蔵川部屋を選んだのは?

大鳴戸親方 大学の先輩が武蔵川部屋に入っていて、中央大学にもその先輩を慕って入ったので、『早よ来い、早よ来い』って言われていたんです。でも「いや僕は、大相撲なんて行きません」と言っていた。本当に、子供の頃から怖い世界だと思っていて、そのイメージが強くて、絶対行きたくなかった。

―― 大学時代のいつごろ、プロに行こうと思ったのですか

大鳴戸親方 最後の学生選手権が終わってから決めました。4年生の11月です。正直、田舎に帰って就職しようと思って、いろいろやったんですけど、就職難で声も掛からなかった。そこで就職が決まっていたら、(田舎に)帰っていたかもしれない。

幕内優勝して大関に昇進42度を超す高熱で死線を

―― プロに入って良かったと思ったことは。

大鳴戸親方 関取になれたときは嬉しかった。優勝して大関になれたし。大関のときに天覧相撲で天皇陛下をお迎えしたことがありました。しかも、締め込みひとつで、国技館のエントランスに並びました。この世界でしかできない経験をもさせていただきました。いいこともいっぱいあったし、苦しいこともいっぱいあった。

―― 親方はいろいろケガや大きな病気をされましたが。

大鳴戸親方 そうですね。大関のときに病気で死にかけました。蜂窩織炎(ほうかしきえん)という病気で。僕はちょっと重度で、熱が42.3度まで出た。普通、体温が42度を超えると、脳細胞が破壊されるって言われています。だから昔の水銀の体温計は、目盛りが42度までしかない。それを超えちゃったんで、脳死するか、あるいは障害が残ったり麻痺が出たりしてもおかしくなかった。お医者さんには、「普通の人なら多分亡くなっていますよ」と言われました。

―― 病気の原因はなんだったんですか。

大鳴戸親方 菌、なんです。お医者さんが言っていました。「毛穴も立派な穴なんです。そこから菌が入れるんですよ」と。ただ、元気であれば、免疫があったりとか抗体があったりで、菌が入っても、菌をやっつけるから病気にならない。まぁ体も弱っていただろうし、精神的なものもあったのでしょう。

―― やっぱり大関という立場、地位というのがあったからですか。

大鳴戸親方 ありましたよ。負けられないっていうプレッシャー。勝って当たり前の地位に行ってしまったことによって、今まで以上にプレッシャーというか、精神的にやっぱりやられていたのかなっていう気はします。

―― どのくらい入院していたのですか。

大鳴戸親方 1ヵ月ちょっと入院していました。熱がずっと下がらなくて、42度台が3日間くらい、40度以上は2、3週間続いたんじゃないですかね。退院してからも38度台はずっとあったんです。体が菌と闘っているから発熱するっていうシステムらしいので、「無理に熱は下げないほうがいい」っていう。でまぁ、僕の細胞たちが闘ってくれたんでしょうね。運良くというか、生還できたんですけれども。

悔しさ、屈辱をバネに成長負け越したときがチャンス

―― 病気で大関を落ち、それから8年、幕内で相撲をとられました。

大鳴戸親方 病気して、大関落ちて、逆に人間の冷たさとか薄情さ、手のひらを反すっていうのを勉強させてもらいましたよ。大関に上がったときは、いろんな人が寄ってきた。「僕、親戚なんです」って言う人が来て、よく聞いたら全然親戚じゃなかったりして。後援会の会員数も増えて、それこそ、「次は横綱だ」なんてね。

 けれども、大関を落ちた途端、蜘蛛の子を散らすように後援会の会員数も減るし、それこそ、罵声とか野次とかも聞く。けれど、その中でも、「がんばれよ。また、あの相撲見せてくれよ」って言ってくれた人が本当のファン、後援者なんだということを改めて勉強しましたね。大切なものを再認識できました。

―― 挫折で人間が大きくなった。

緊張感のなか稽古に汗流す力士たち

大鳴戸親方 僕はその繰り返しだったと思うんです。バネと一緒で、伸びる前には必ずへこむと思うんですよ。ずっと一生伸びっぱなしの人はいないと思うんです。だからって落ち込みなさい、わざと落としなさいっていう意味じゃなくて、悔しさだったり、屈辱だったりがあると思うので、そういうのをバネに伸びていってほしいと思います。

 中・高・大学とずっと優秀で、トップクラスできた人が、社会に出て、ストーンと落とされると、ニートになったりするでしょう。そこなんですよね。ある程度、挫折とかの免疫がついてきた人は、多少のことじゃへこたれない。

―― 親方が弟子の力士に伝えたいことは何ですか。

大鳴戸親方 力士たちに言いたいことは、「力士なんだから、相撲を極めなさい」ということです。けれど、相撲取りの前に一人の人間ですから、人として立派な大人になってほしい。挨拶とか、感謝とか、ごめんなさいとか、ちゃんと言えるようになってほしい。社会では、そういうことが言えない若い子が、多いと思うんでね。

 でも、教える難しさもものすごく感じる。先輩の指導者からは、「俺とかお前とかが普通にできたことでも、できないのが当たり前だからな。俺らが普通にできたのは、素材の良さだったり、ずば抜けたものがあったからなんだ。普通の子はそれを事細かに教えてあげないとできないんだよ」と言われています。名選手は必ずしも名監督にあらず、というのは、そこじゃないか。なるべく言葉で伝えて、理解させて、強くなるんだって思ってもらって稽古させると、それは身になると思うんです。

―― やる気を起こさせる。

大鳴戸親方 お相撲さんを教えるうえで、負け越したり成績が悪かったりしたときこそチャンスだと思うんです。1勝6敗とか7連敗したとかね。悔しさのある、そういうときこそ、やる気を起こさせる。いいときはほっときゃいいんですよ。気分よく稽古やるから。へこんだときに、次の伸びをどう大きくするかです。

やり易く、分かり易いのが相撲最初の一歩がないと始まらない

―― 相撲の魅力は何ですか。

大鳴戸親方 『やり易い』『わかり易い』だと思います。小学校で休み時間にベルトをまわし代わりにして、相撲を取る。ボールとか道具とかがいらない。二人いればできる。勝負もわかりやすいですよね。土俵から出れば負け、足の裏以外がつけば負けっていうのですから。

 あと、日本文化の中で、お相撲は常に人々の身近にあったんですよ。今は都会にいるとなくなってきていますけど、田舎だと今でも、神に捧げる神事として宮相撲やお祭で青年団がまわし締めて相撲取るところが多い。

―― 親方の信条、好きな言葉は何ですか。

大鳴戸親方 座右の銘はないですけど、好きなのは『流した汗は嘘をつかない』です。スポーツだろうが勉強だろうがね、脳も汗かくし、体も汗かくし、心も汗かく。汗は、いろんな面に置き換えることができると思うんです。最近は汗を流さずに儲けようとする人が多いですが、それじゃ、後でしっぺ返しがくる。今の社会、正直者というか、一生懸命に汗流して働いている人たちが一番しんどい思いをしている。そういう社会を誰かが変えてほしいとは思うんです。

―― 「汗」には、いろんな意味があると。

「どれだけ泥んこになるかだ」と大鳴戸親方

大鳴戸親方 「涙は心の汗」だしね、いろんな意味でね。僕、まだ早いかもしれないけど、棺桶に入るときに「俺の人生良かったなぁ。いろんな人に助けられたなぁ。良い人生だったなぁ」って思えればいいかな、と思っているんです。「良いこと半分、悪いこと半分」と言うけれど、良いことを51%にしたいな、と。悪いことが49%で、その差2%をつけることによって、良い人生だったなと言える。

 努力で変えられないこともいっぱいあるけど、変えられることもいっぱいある。それこそ新入生、もちろん在学中の学生さんたちも、無限な可能性を秘めているわけだから、一歩まずは踏み出してほしい。その一歩がないと、始まらない。

―― 陶芸がお好きだそうですね。

大鳴戸親方 はい、やります。基本的にろくろですね。皿、ぐい飲み、とっくり、つぼ。作品を後援会の方々に配ったりもしています。気分転換というか、ストレス発散というか。大人になってから泥に触る機会ってあんまりないんで、結構楽しいですよ。脇があくと、ぐにゃぐにゃになってしまうので、相撲と一緒で脇をしめてやらないとね。なんでも集中力ですよ。

 遊びでいいんです。プロじゃないんですから。今の世の中、無駄だと思われるような、粋だとか遊びだとかいう余裕がなくなってきて、堅苦しい世の中になってきたんじゃないかなと思う。遊びを粋にする。学生さんにはわかりづらいと思うけど……。

―― そういうことは、人間の幅を大きくする。

大鳴戸親方 堅苦しい人で大成した人はいないですよ。人として張り詰めているものを、ちょっと緩めてあげるっていうのはすごい大事だと思う。勉強ばっかりずっとしていたって、たまにはコーヒーとか紅茶とか飲んで、ゆったりする。メリハリっていうか、それがうまい人は大成すると思う。それができたら粋な人ですよ。

―― きょうは、たくさんいいお話をうかがうことができました。自分たちのこれからの糧にしていきたいと思います。ありがとうございました。(このインタビューは2月8日、武蔵川部屋で行いました)

学生記者取材班 野村茉莉亜(商学部4年)/野崎みゆき(法学部3年)/望月繁樹(文学部3年)+編集室