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遠藤 雅裕

遠藤 雅裕 【略歴

多言語共生社会、台湾における客家語

遠藤 雅裕/中央大学法学部教授
専門分野 言語学

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1 はじめに

 私は現在、台湾の客家(はっか)語という言語について、主として文法の調査をしている。しかし、この客家語はあと20年ほどで台湾から消えてしまう可能性が指摘されている。客家語は、話者数が数百、数十人というような少数言語ではない。なぜこのような状況になったのであろうか。

2 台湾の言語状況

 台湾は九州ほど大きさの島であるが、言語的にはたいへん多様だ。現在、大別して漢語(中国語)系とオーストロネシア系の言語が使用されている。オーストロネシア系の言語は台湾の先住民の言語で、インドネシア語やマレー語などと同系統だ。一方、漢語系言語は、主として閩南(びんなん)語(ホーロー語)と客家語、そして標準中国語だ。これらは、17世紀以降に中国大陸から台湾に移住した漢民族によってもたらされた。台湾の現在の人口は約2300万人であるが、これらのうち、先住民は1.7%、閩南人は73.3%、客家人は12%、そして「外省人」という1945年に国民党政府とともに台湾にやってきたグループが13%である。前三者は、日本統治時代(1895~1945年)以前から台湾に住んでおり、「外省人」に対して「本省人」といわれる。行政院客家委員会の2008年の調査結果によれば、客家人(自分を客家人に限定する国民)の人口は、310.8万人である。単純に考えれば、10人に1人強が客家語話者となる。

3 土着系言語の抑圧から復権へ

 本省人の母語である土着系言語が衰退の危機に直面したのは、日本統治時代、および国民党独裁時代を通して「国語」(日本統治時代は日本語、国民党独裁時代は標準中国語)を、台湾住民に対して強制的に教育し、土着系言語を抑圧したことが第一の原因だ。放送や公共の場、特に学校教育では、閩南語や客家語などを使用することは厳しく制限された。つまり、土着系言語は公的領域からほとんど駆逐されたのである。

 しかし、台湾の民主化と軌を一にして土着系言語は復権し始める。蔣経国による1987年の戒厳令解除とともに、学校での土着系言語使用に対する罰則規定が取り消され、90年代前半から、これらの言語が徐々に公教育に取り入れられるようになった。そして、2001年には「郷土言語教育」として義務化され、今日にいたっている。また、公共放送では、1993年に土着系言語使用の制限が解除、2003年には「客家テレビ」が客家語で、2005年には「原住民族テレビ」が先住民の言語などで放送を開始している。また閩南語の放送時間が全番組の半分以上を占める民間全民テレビのようなテレビ局も存在する。政治家も、対象とする人びとによって使用言語をかえている。たとえば選挙活動で、閩南人の候補者が客家地区に来れば、多少なりとも客家語を交えて演説を行うことがある。外省人である現総統の馬英九も閩南語で演説を行っている。

4 客家語をめぐる状況

 このように、土着系言語をめぐる状況は大いに改善し、その存続が制度的に保証されるようになった。そのため、特に閩南語は安定してきている。しかし、中央研究院で7年前に行われた土着系言語問題のシンポジウム(「語言政策的多元文化思考」系列研討會)では、冒頭に紹介したように、客家語の存続が危ういことが指摘されたのである。

 客家語の存続が楽観できない理由はいくつか考えられる。ひとつは、客家語の市場価値が低い点だ。つまり、公共の場で使う機会が乏しく、実用面であまり役に立たない。正書法の整備・普及やメディアも限定的だ。これは、前述したように長年の抑圧的政策と、国内では少数派であることが原因だろう。私の20代の客家人の友人は、私が客家語を研究する理由を聞くのだが、それは客家語を習得しても無駄だという前提での問いである。また、こどもたちが郷土言語教育でいくら客家語を勉強しても無意味だという指摘を、客家人の元小学校教師の方から聞いた。なぜならば、家庭ではほとんど使わないからだという。保護者は客家語よりも標準中国語を、標準中国語よりも英語をこどもたちに学ばせたがっている。もうひとつは、台湾の客家語は同質ではなく、台湾客家の共通語が明確でない点だ。台湾には、音韻・語彙などが異なる四県・海陸・饒平・詔安・東勢といった複数の客家語が存在する。よって客家テレビでは複数の客家語が使用されるし、2005年から実施されている客家語能力認証試験も複数の客家語に対応している。また、仮に話者数が半数以上を占める四県客家語を標準語にしても、新たな抑圧を生むだけであろう。

5 おわりに

 客家語は確かに生きている。客家人比率が極めて高い新竹県に行くと、客家語を耳にする機会は多い。また客家語復興運動を地道に続けている人々も少なくない。客家には「寧賣祖宗田,不忘祖宗言」(先祖の田畑を手放しても、先祖のことばは忘れない)ということわざがある。台湾の客家人が客家語を忘れず、存続を望むのであれば、制度の更なる整備とともに、話し手ひとりひとりが客家語を私的領域から公的領域に積極的に押し出そうと努力することも必要だろう。私は、客家語が可能な限り存続し、台湾が多言語共生社会のモデルを私たちに提示し続けることを願っている。

遠藤 雅裕(えんどう・まさひろ)/中央大学法学部教授
専門分野 言語学
静岡県出身。1966年生まれ。1991年早稲田大学第一文学部考古学専修卒業。学部在学中の1988~90年中国の遼寧大学で中国語を学ぶ。1997年早稲田大学大学院文学研究科中国文学専攻博士課程単位取得満期退学。中央大学法学部専任講師・助教授を経て2007年より現職。専門は言語学、中国語学。現在は、台湾海陸客家語の記述研究を行っている。編著書は、『辞書のチカラ-中国語紙辞書電子辞書の現在-』(好文出版、2005年、共編著)、『オールカラー中国語生活図解辞典』(小学館、2011年、監修)など。