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江口 匡太

江口 匡太 【略歴

解雇の金銭補償:裁判でいくら払われるか?

江口 匡太/中央大学商学部教授
専門分野 労働経済学、応用ミクロ経済学

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日本の解雇法制

 日本の解雇規制は厳しいと言われるが、近年の調査では諸外国と比べて厳しいとは言えないことが明らかになりつつある。

 現在のわが国の解雇法制は労働契約法第16条として明文化され、解雇には客観的に合理的で、社会通念上相当な理由が必要とされる。理由もなく「明日から来なくていい」というのは、実態はともかく法律上は許されないが、裏返せば、きちんとした理由があれば解雇できるということでもある。どういう状況で、どのような理由なら解雇が認められるのか、この条文だけでは曖昧であることは否めない。

 ルールが曖昧であれば現場は混乱するから、できるだけルールを明確にする必要があるものの、実はそれが難しい。いろいろな職種や産業があり、働いている人の雇用形態も多様化していけば、それに応じたルールを細かく決めるのは不可能に近い。そのため、その時の事情に合わせて、法の精神を反映した判例の蓄積がルールを形成していったのであり、その到達点が先の16条だったと言えるのだ。

解雇の金銭補償

 それでもあえてルールを明確にするなら、一定の割増退職金の支払いを義務付けることが考えられる。これが解雇の金銭補償である。金額については議論百出だろうが、一度ルールを決めてしまえば曖昧さは確かに小さくなるだろう。もちろん、労働者の月給は様々だから、一律に100万円と決めるよりも月給の数カ月(年)分を支払うとか、勤続年数に応じて支払金額を増やすなどの方がよいだろうが、それでもルールはかなり明確になる。

 しかし、解雇の金銭補償の導入は政治的には簡単ではない。金だけ払えば自由に解雇できてしまうことに、連合など労働側が抵抗を示していることもあるが、実は規制が却って強化される面も大きく、使用者側にとっても受け入れがたい面があるのだ。

解雇の解決金:1年争って賃金半年分

 日本の解雇法制の曖昧さが指摘されることが多いが、実は解雇をめぐる裁判の解決金の相場は実務上ほぼ確立していることが近年の調査で明らかになった。解決金の相場は中央値で見て、おおよそ紛争期間×0.5カ月分であることを、私も参加した一橋大学の神林龍氏らの研究グループが東京地裁の裁判例の調査で明らかにした。さらに、2006年に導入されたミニ裁判と呼ばれる労働審判制度でもほぼ同じ水準であることが、東京大学の水町勇一郎氏と高橋陽子氏の研究によって明らかにされている。裁判によっては、明らかに経営者の主張が正しいものや、反対に労働者の主張が正しいものとが混在する以上、金額がばらつくのは避けられないが、それでも通常の訴訟と労働審判とで金額の中央値がほぼ一致するのだ。

 この相場では、月給50万円の人が1年争って300万円を手にすることになる。弁護士費用や再就職したら得られたはずの所得などを考慮すればいくらも残らない金額である。なお、この金額は司法手続きに入った場合のものであり、これ以外の労働局のあっせんなどではずっと低い金額であることがJILPTの濱口桂一郎氏らが明らかにしている。また、そもそも泣き寝入りも多いことに注意が必要だ。少なくとも解雇規制が厳しいという割には、大した解決金額ではないのが日本の実情である。

金銭補償の効果

 金銭補償を導入した場合、これまで泣き寝入りをしていた人たちが補償を求めることができるようになる。月給の数カ月分とルール化すれば、会社と揉めようがその金額は裁判で保証されるものだから、今まで何も補償しなかった企業にとっては解雇費用が高まることになるだろう。これは中小企業で顕著だと考えられる。かなり無茶な解雇が行われている実態を改善するだろう。

 一方、大企業ではこれまでの人事制度との整合性や労働組合との交渉の結果、一定の割増退職金を支払ってきた経緯がある。先の相場の水準が解雇の金銭補償として導入されれば、その金額が労使交渉に影響を与えるから、大企業では解雇費用は小さくなる可能性がある。

 もちろん、大企業が簡単に解雇するかどうかは微妙だ。これまで雇用の保障を重視してきたのは、その結果、賃金を低くすることができたからである。労働者からすれば長期的に賃金を回収していたのだ。もし、雇用の保障が大きく失われるのであれば、外資系の金融機関とまではいかなくても、若年時から相応の賃金を支払わなければ誰も企業に貢献しないだろう。

労使の信頼関係の重要性

 解雇の金銭補償の導入は、企業の人事管理制度に影響を与えるかもしれないが、人事管理の要諦は労使の信頼関係にあることを忘れてはいけない。解雇は解雇された者だけでなく、会社に残された者を意識しなければならない。残される者はじっと見ているから、労使の信頼関係を損なわないように、企業はしっかりと説明責任を果たすことが大切だ。実際、裁判にもつれているケースは、きちんとした説明もなく、信頼関係がもともとなかったものが多い。金額の水準は気になるところだが、解雇の際に労使がきちんと話し合うテーブルを用意する、そこに解雇法制の大きな役割があることに注意したい。

江口 匡太(えぐち・きょうた)/中央大学商学部教授
専門分野 労働経済学、応用ミクロ経済学
1968年生まれ、大阪府出身。1992年東京大学経済学部卒業、2000年東京大学大学院経済学研究科修了、博士(経済学)。東京大学大学院経済学研究科助手、筑波大学社会工学系准教授、英国エセックス大学客員研究員などを経て、2013年より現職。著書に、『キャリア・リスクの経済学』(生産性出版、2010年、単著)、『解雇規制の法と経済』(日本評論社、2008年、共著)、『解雇法制を考える』(勁草書房、2002年、共著)、論文に、“Trainers' Dilemma of Choosing between Training and Promotion,” Labour Economics, vol. 11 (2004), 765-783; “Job Transfer and Influence Activities,” Journal of Economic Behavior and Organization, vol.56 (2005), 187-197; “Minimum Wages and Trainers' Dilemma,” Labour, vol.24 (2010), 128-138 などがある。