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都筑 学

都筑 学 【略歴

今を大切に生きる

都筑 学/中央大学文学部教授
専門分野 発達心理学

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時間的展望でとらえる人間の心理

 私たちは時間の中で生きている。その時間は、過去から現在、現在から未来へと流れていく。私たちは、その時間を時計によって知る。だが、時計の針を逆回転させても、過ぎ去った過去に戻ることはできない。物理的な時間は、ただただ流れていくだけである。

 他方で、心理的な時間は、現在を起点として過去や未来へと動いていく。過去の体験を思い出して嬉しくなったり、悲しくなったりする。未来のイベントを思い浮かべて胸を弾ませたり、不安に感じたりする。私たちの心の中で、時間は現在・過去・未来の間を行ったり来たりするのだ。

 時間的展望は、こうした心理的な時間の流れを研究する学問分野である。研究の歴史は、1930年代まで遡ることができる。研究が始まった社会的な契機は、世界大恐慌である。1929年10月、ニューヨーク株式市場で株価が大暴落した。その影響はまたたく間に全世界に及び、多くの労働者が仕事を失った。大勢の若者たちが仕事に就くことができなかった。それだけではない。路頭に迷った彼らは、生きる意欲や未来への希望を失ったのだ。このように現在の状況は、未来についての意識に影響を与える。時間的展望の実証的研究は、そうした若者の心理を検討し、知見を積み上げてていった(都筑・白井,2007)。

 私が時間的展望の研究を始めたのは、1980年前後である。その当時、10代の青少年の非行や自殺が社会問題となっていた。その背景には、学校教育の状況の変化があった。1970年代半ばに、高校進学率は9割を超え、大学進学率も3割を超えた。高等教育が大衆化し、受験競争が激化していった。その中で、ある者は自暴自棄になり、暴力を振るったり、自死を選んだりした。彼らもまた、生きる意欲や未来への希望を失っていたのだ。私は心理学の大学院生として、彼らの心理を的確につかむキーワードを探していた。そこで見つけたのが、時間的展望の概念だったのである。

 私たちは、現在という時に生き、未来に向かって人生を歩んでいく。ときには、過去から教訓を得たりもする。現在と過去と未来。私たちの心の中には、この3つの時間が存在する。私たちは、現在に居ながらにして、過去や未来を思い描くことができる。現在の状況次第で、過去や未来の捉え方は異なってくる。そのことは、上で述べた2つの事例が如実に明らかにしているとおりである。

現代という時代を生きる若者

 それでは、現代の若者はどのような時間的展望を持っているのだろうか。今の大学生を中心に考えてみよう。

 彼らが幼少期を過ごしたのは、1991~2002年の「失われた10年」である。バブル景気がはじけ、長い経済不況が続いていた。「就職超氷河期」と呼ばれた時代である。その後も相変わらず経済不況は続き、2008年にはリーマンショックが起きた。これが今の大学生の生育歴の一部だ。彼らは生まれてこの方、不景気の中をずっと生きてきたのである。彼らが生きてきた時代は、ネガティブな状況の連続だったといえる。

 彼らの未来は、果たしてどうだろうか。このところ、大学生の就活は、よりいっそう厳しさを加えている。新聞報道によれば、初就職の男性の約3割、女性の約5割は非正規雇用だという(東京新聞2013年10月朝刊9面)。「大学は出たけれど、暮らしていけない」との嘆き声も聞こえてくるようだ。

 近頃よく使われるようになった「自己責任」なる言葉も、彼らの生きづらさを助長する。「大学まで行って就職できない」のも自己責任。「ブラック企業に入社して退職する」のも自己責任。若者バッシングの傾向は強まるばかりだ。「自分は好き好んで、この時代に生まれて来たのではない」との恨み節も聞こえてくるようだ。

 このように大学生の未来は、決して明るくない。というより、彼らの未来は暗いと言った方がよいのかもしれない。大学生の就活は長期化し、肝心要の大学生活がなおざりになってしまったりする。その論理は、おおよそ次のようなものだろう。

 「未来は暗い、だから自分は明るい未来を手にしたい。そのためには、学業に専念していたらだめだ。就活のための時間を割かないといけない。現在(大学生活)よりも、未来(卒業後の人生)の方が大事だ。だから学業よりも就活だ」。

 こんなふうにして、未来のために現在がどんどんと空洞化していく。全くもって本末転倒の事態が生じているのである。「現在に根っこを持たない空中に存在する未来」。現代を生きる若者の時間的展望を喩えれば、こんなふうに言えるかもしれない。

明日できることは今日するな

 私たちにとって、未来は大事である。未来への希望が失われれば、生きる意欲も衰退する。その一方で、私たちにとって、現在はもっと大事である。なぜならば、私たちは現在という時を生きる存在だからである。私たちの時間的展望は、現在を起点として作り上げられて行くからだ。

 今日という日は、二度と戻っては来ない。人生の中でかけがえのない大切な一日である。その一日をどのように過ごすのか。それが私たちの人生のあり方を決定していく。

 「明日できることは今日するな」。この言葉の意味を、どう捉えればよいのか。そこに人生を歩んでいく際の重要な鍵が隠されている。

 一つの解釈は、こうだ。「明日は必ずやって来るのだから、何も必至になって今日やらなくてもいい。明日になってからやればいいのだ」。これは、物事を先延ばしする考えである。

 もう一つの解釈は、こうである。「明日できることは、明日やればいい。今日は明日と入れ替えることができないかけがえない日だ。今日は今日しかできないことをやろう」。こちらは、物事を積み上げて行く考えである。

 どちらを選ぶか、それは個人の自由だが、私は後者を選びたい。『今を生きる若者の人間的成長』(都筑,2011)で、私は自分の意見を表明した。この本は、中央大学125周年記念「125ライブラリー」の中の一冊である。自分がやってきた時間的展望研究から得られた知見をもとに書いたものだ。「充実した今を生きることが未来への成長につながっていく」。これが、私が読者に伝えたかったことである。

 現代社会は変化が激しく、先行きが見えない。その中で生きていく私たちは、悩みや不安を抱えることが多い。経験や知識が少ない若者であれば、なおさらだろう。どうしても、これから先の未来の人生について、思い煩ってしまいがちだ。大学生にとって、最大の未来の関心事は卒業後のことだろう。「就活はうまく行くか、就職できるか、そのために何をすればいいか」。こんなふうに不安にかられ、前のめりになっていく気持ちはよくわかる。だが、重要なのは充実した大学生活を過ごすことだ。授業やサークル、多様な人間関係。これらは、大学生でしか経験できない活動だ。こうした活動を4年間地道に積み重ねていくこと。これが、何よりも大切なのである。そうやって経験された充実した現在が、卒業後に長く続く人生の糧となっていく。現在こそが未来を支えるのだ。

 「今を大切に生きる」。これが、時間的展望の研究成果から導き出された結論である。

都筑 学(つづき・まなぶ)/中央大学文学部教授
専門分野 発達心理学
1951年東京都出身。東京教育大学教育学部卒業、東京教育大学大学院教育学研究科修士課程修了、筑波大学大学院心理学研究科博士課程単位取得退学。博士(教育学)。
大垣女子短期大学専任講師・助教授、中央大学文学部助教授を経て1994年より現職。
2009年11月から2013年10月まで文学研究科委員長、2013年11月より文学部長。
研究テーマ
1980年頃から、時間的展望の研究を一貫して行ってきた。1997年から2011年は、環境移行にともなう時間的展望の変化プロセスを縦断的研究によって検討し、研究成果を出版してきた。『大学生の進路選択と時間的展望』(2007年、ナカニシヤ出版)、『小学校から中学校への学校移行と時間的展望』(2008年、ナカニシヤ出版)、『中学校から高校への学校移行と時間的展望』(2009年、ナカニシヤ出版)、『高校生の進路選択と時間的展望』(近刊、ナカニシヤ出版)。
2012年からは、異なる世代間の相互関係の中で、時間的展望がいかに発達していくのかについて研究している。