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市川 寛子

市川 寛子 【略歴

顔をみること・みられること

市川 寛子/中央大学研究開発機構・機構助教、日本学術振興会特別研究員
専門分野 発達認知心理学

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 私の所属する文学部心理学専攻山口真美教授の研究室では、生後2ヶ月から8ヶ月の赤ちゃんの視覚や嗅覚などの知覚や、顔をみる能力がどのように発達するかを研究しています。大学の近隣に住んでいる赤ちゃんとそのご家族の方に大学に来て頂き、1回30分程度の心理学実験(一般の方向けには、「検査」と呼んでいます)に参加して頂いています。検査に参加いただく赤ちゃんは赤ちゃん研究員と呼ばれ、年間150名強の赤ちゃんが月に1,2回のペースで参加してくれています。そのため、ほぼ毎日2~4組、多い日は1日に8組もの赤ちゃん研究員が大学にきて、研究に協力して下さっています。

 そこで私は赤ちゃんの顔認識能力を研究しています。顔は人間同士がコミュニケ―ションを行う上で、それが誰であるかを判断する個人同定や、相手の今の感情状態を推測する感情理解において、音声や言葉よりも大きな情報を伝達すると言われています。しかし、顔を見る能力は生まれつき備わっているものではありません。生まれた後、さまざまな顔をみる経験を積む中で徐々に発達する能力であると考えられています。

赤ちゃんが顔を見る能力

図1
新生児が選好するtop-heavy図形の例。ただし、左の方がより顔らしい図形である。

 赤ちゃんが顔を見る能力は、生後一年の間にめざましく発達します。赤ちゃんが生まれた直後にもっている能力は、まず顔らしい図形を探すことです。白い背景に黒い点が3つあるだけで、わたしたち大人にはそれが顔と見えます(図1、左)。赤ちゃんも生まれてすぐに、この顔らしい黒い点の配置に目を引きつけられることがわかっています。しかし、新生児はこれを顔として見ているわけではなく、輪郭の中で上部に要素が集まった配置(top-heavy配置)であれば、顔でなくとも他の幾何学図形でも注視することが知られています。ということは、新生児が好んでみつめるパターンがたまたま顔と共通した特徴をもっているだけであり、乳児がtop-heavyの配置を顔として見ているとは考えにくいのです。生後3ヶ月ごろまでは、「それが顔であるとは知らないまま」顔らしい図形を注目しながら、顔を見る経験を積んでいくことになります。

 その後3-5ヶ月頃になると、静止した顔をじっとみることは少なくなり、動く顔をよりじっくりと見るようになります。赤ちゃんが見る顔は、主に家族や大人たちの顔です。赤ちゃんと対面するときの顔は誰しも、笑ったり話したりかけたり、常に動いています。こうした動く顔を見る経験を積むからこそ、より本物の顔らしいものをよく見るように発達していきます。さらに5ヶ月以降になると、目と鼻の離れ具合などの目鼻口の配置情報を手がかりにして顔を区別するなど、より詳しく顔を見るようになります。さらに、7ヶ月を越えるころ、笑顔や怒り顔のような表情の認知もできるようになっていきます。

赤ちゃんの脳活動を計測する

 これまでにお話したのは、赤ちゃんの見るという行動を調べる実験でした。しかし、ある顔を他の顔よりもよく見たからといって、見ているものを顔として見ているかは行動実験からでは十分に知ることができません。そこで、近赤外分光法(near-infrared spectroscopy, NIRS)を用いて、赤ちゃんが顔を見ているときの脳活動を測ることで赤ちゃんが対象を顔として見ているかを推測することができます。これまでの研究から、大人は顔をみている時に脳の右半球が左半球よりも強く活動する傾向があることが知られています。赤ちゃんでも、大人と同じように右半球優位の脳活動が見られれば、顔を見ていると考えられます。

図2
ブレア錯視(Blair illusion)
目のコントラストを反転させると人物同定が困難に(Anstis, 2005)

 脳活動計測から、生後5-6ヶ月の赤ちゃんが顔を見るときにはヒトに特有の目を手がかりにしていることを私たちは2013年に発見しました。”白い強膜に暗い虹彩(白目と黒目)”というコントラストは、実は他の霊長類では見られない、ヒトに固有の特徴です。この白黒を反転させると、著名人の顔であっても途端に誰かがわからなくなるというブレア錯視が起こることがわかっています(図2)。その上、ヒトの顔ではないような奇妙な印象を与えるブレア錯視を生じます(この錯視を発表したAnstis(2005)は「子どもを怖がらせるバンパイアのよう」と形容したくらいです!)。私たちは生後5-6ヶ月児13名に、白黒が正常の目をもつ顔と、画像加工ソフトを使って白黒を反転させた目をもつ顔を見せて、それぞれに対する赤ちゃんの脳活動を計測しました。その結果、正常な目の顔を見ているときは脳活動が上昇しましたが、白黒反転目では脳活動が上昇しませんでした。特に正常な目を見ているときに強く活動したのは、脳の右後側頭部でした。赤ちゃんでも白黒が正常な目だけをヒトの顔として認識すると考えられます。生後8ヶ月までの間に、赤ちゃんの顔認知能力はめざましく発達します。

顔をみる力・みられる力

 以上、赤ちゃんが顔をみる力についてお話ししてきましたが、赤ちゃんには顔を「みられる力」もあるといってよいと思います。赤ちゃんのコミュニケーション能力は限られたものです。特に、言語を理解しませんので、何がほしい、何がいやだ、と具体的に表明することはできないのです。しかし、目の前に現れた顔に対してにっこりとほほえみかける姿は見られます。愛着理論で有名なイギリスの精神科医ボウルビィはこのような赤ちゃんの微笑は、母親などの養育者の育児へのモチベーションを高めると論じています。しかし、ボウルビィに言われなくとも、赤ちゃんと接したことのある方でしたら自然と理解されていたと思います。赤ちゃんの笑顔は、赤ちゃんと暮らすご家族や、赤ちゃん研究を続けている私たちをいつも励ましてくれています。

市川 寛子(いちかわ・ひろこ)/中央大学研究開発機構・機構助教、日本学術振興会特別研究員
専門分野 発達認知心理学
新潟県出身。2001年筑波大学第二学群人間学類卒業。2008年筑波大学大学院人間総合科学研究科博士一貫課程修了。博士(行動科学)(筑波大学)。
筑波大学人間総合科学研究科博士特別研究員を経て、現職。現在の研究課題は、乳児から学童期の児童を対象に、顔認知能力の定型発達・非定型発達を行動実験と近赤外分光法(NIRS)を用いた脳活動計測から検討している。
また、主要著書に、『乳幼児心理学』(分担執筆 放送大学出版会、2012年)、『心理学の実験倫理―「被験者」実験の現状と展望』(分担執筆 勁草書房、2010年)、『脳とソシアル ノンバーバルコミュニケーションと脳』(分担執筆 医学書院、2010年)など。
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