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大内 俊二

大内 俊二 【略歴

“環境問題”の行方

大内 俊二/中央大学理工学部教授
専門分野 地学/地形学

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環境問題の基本構造

 現在我々が直面している“環境問題”は、地球ではなく人間の問題なのであるが、「地球にやさしい○○」といった言葉がよく使われることがあることからみても、それほどこの点が理解されているとは言い難い。暑くなろうが寒くなろうが有害物質が集積しようが人類が滅亡しようが、地球は地球である。人類はこの地球に生まれ出て地球環境の中で生きる生物であり、すべての生物と同様、地球の一部と言ってもよい存在だろう。地球の環境以外で生存することは難しく、たとえいつか火星やスペースコロニーなどに移住することが可能になったとしても、そこに地球環境類似のごく限られた空間を作って細々と生きるしかない。そのような空間で何世代にもわたって人類が健全な形で生き延びることはまず不可能であろう。地球上に生命が誕生して以来、多くの生物が生まれ、繁栄し、絶滅していった。現在繁栄しているのは自分たちの子孫を残す(種の保存)ために工夫を凝らし、幾多の試練を乗り越え生き延びてきたものたちである。進化の現時点での最終ランナーである人類は、脳の発達により生き延びる“知恵”を身につけ、地球上に現れてから新生代第四紀の激しい気候変化の時代を生き抜いて大きく繁栄することに成功した。自分たちの子孫をできるだけ増やすこと、そのためにできるだけ安全で豊かな暮らしをしようすることは生存するすべての生物が目指してきた本能的な目標であり、人類はそれに最も成功した種である。特に、近代に至って「人間」に目覚め、同時に「客観」というものの見方を手に入れた人類は、科学・技術を急速に発展させ、そのすべてを傾注して自分たちの繁栄を図ってきた。自分の属するグループの繁栄が優先されるため悲惨な戦争が繰り返されたが、それでもこの間に人間社会が目覚ましい発展を遂げたことは事実である。人間は、人間独自の世界を作り、無限の進歩を信じて、地球という制限を顧みることもなく人間の世界を急速に増大させてきたのである。しかし、すでに世界の人口は70億人を超え、より豊かな生活を目指す姿勢も強固になっている今、地球の限界がすぐそこに見えてきてしまった。地球が養える人口は78億人程度とも言われており、この限界を超えてしまうのに数年とかからない。これが“環境問題”の最も基本的な構造である。

人類の選択

 人類が他の生物と同じ存在であるのなら、自ら招いたものであれ自然の変化であれ環境の悪化が起れば、それに合わせて人口が調節されることになる。しかし、人類はすでにその他の生物と一線を画す存在となってしまっており、一般生物のレベルに自ら戻ることはないであろうし、戻らざるを得ないとしたらその道は悲惨なものであることも確かだろう。環境の悪化などによって存亡の危機に直面した場合、自然状態にある生物は、まずより条件の良い場所を求めて移動するはずである。その余地がなければ、厳しい条件にある弱い個体から死んでいって全体数が減少するか滅んでいく道をたどり、新しい環境に適応できる変化をとげたものか環境の変化に強かったものだけが生き延びてその後の繁栄を目指すことになる。人類も、他の生物と同じであれば、部族・民族などを中心にまとまったグループがより条件の良い場所を求めて移動しようとするであろうが、人間の支配が全地球におよび、移動できる余地がほとんどなくなっている現在は、移動を図るまでもなく食糧・資源をめぐる争いから戦争に突入する危険が高い。人類は今では核兵器をはじめとする大量殺戮兵器を所有しており、地球規模の戦争が起こるならば、その結果は極めて悲惨なものにならざるをえない。他の生物とは異なる存在と自負する人類であるが、果たしてこのような悲惨な未来を回避することができるだろうか。また、「人間」に目覚めたということは「自我」に目覚めたということでもあり、同じ範疇にあったはずの「種の保存」と「個の幸せ」が分離し始め、生活が豊かになるにつれ、「個の幸せ」が優先されるようになった。現在先進国と呼ばれる国々では少子化が問題となっているが、これは豊かになった人類が「種の保存」ではなく「個の幸せ」を求めていることの現れではないだろうか。このようにして種としての人類が衰えていくことが人間社会発展の必然であり、他の生物と一線を画する存在になった人類が選択した道なのかもしれない。

「人間」の崩壊

 少し見方を変えれば、人類が「人間」に目覚め、他の生物と一線を画す存在となったことがそもそも現在の環境問題の始まりであった言うこともできる。自ら作り上げた世界に生きている人類は、今や自然もその一部であるかのように考えており、「自然保護」、「環境保護」の発想もそこから来ている。しかし、人間の世界は地球の自然の中にあり、その逆ではない。また、頻繁に起る自然災害から考えても分かるように、人間を圧倒する力を持っている自然が人間にやさしいわけでもない。現在ほとんどの人が人間の作った人工的な世界(自然はその一部に過ぎない)の中で生まれ育っており、この世界が無限に発展していくことを当然のように思っている。識者の多くも、人間が自然を手なずけて利用していくことができると考えており、世界は確かにその方向へ向かっている。しかし、地球の限界を越えて人間世界の発展・膨張が無限に続くことはない。さらに、生命を支えているはずの地球の自然からますます離れた存在となっていることで、一部の人間は自己のアイデンティティを見失って虚空の中にさまよい出てしまった。自らを「透明な存在」と称したり「人を殺してみたかった」などと言う少年や少女が起した理解しにくい殺人事件、ネット内の虚像でしか自分を確認することができず、そこで否定されたことが引き金となって起された凶悪な事件など、近年この種の人間が引き起こす事件が後を絶たない。膨大な数に上るとされる「引きこもり」にもこのようなアイデンティティの喪失が関係するように思われる。(スペースコロニーなどで人類の存続が困難であると考える理由の一つがここにある。)現代における環境の危機と人間内面の危機が基本的なところでつながっていると考えるべきであろう。外側からも内側からも「人間」の崩壊が始まっているのだろうか。

教育の難しさとかすかな希望

 私は、昨年度まで担当していた「環境論」という授業の中で、以上のような危機意識を持って環境問題に対する基本的な考え方を伝えようとしてきた。私なりにいろいろ工夫してこの問題を考えてもらおうとしたのであるが、一部の諸君を除いて自分たちの問題としてとらえるまでには至らなかったようである。生まれた時から豊かな「人間社会」の中にあり、特に疑問を持つこともなく育ってきた諸君に認識の変革を求めたことに無理があったのかもしれない。解決の糸口さえ見られない問題について考えることが難しい事もあるだろう。また残念なことではあるが、多くの学生諸君にとって教養系の授業は単位を取るものであって何かを学ぶものではないようであるし、与えられたことを理解し覚えることが勉強であると思い自分で考えなければいけないことに違和感を持つ傾向も見られた。実際の危機に直面しない限り自分たちの問題として考えることが難しいことも事実であろう。しかし、危機を目の当たりにした時にはもう手遅れである可能性も高い。おそらく現在の学生諸君が生きている間には大きな転機が訪れると思う。その時最善の道を選択できるように、環境問題の基本から理解を深めておいてほしい。もちろん、問題を理解することが解決に直結するわけではない。しかし、理解から先の道がどんなに困難であろうと、問題を理解しない限り解決も最善の道の選択もない。救いがあるとしたら、一定の認識に達した諸君がいたことである。彼らも社会に出てそれぞれの場所で懸命に生きていく中でこのような問題について考えることもなくなるだろう。それでも、心のどこかに学生時代に考えたことのひとかけらが残っていれば、そこから問題解決の芽が育つ可能性がある。彼ら彼女らに希望を託したい。

大内 俊二(おおうち・しゅんじ)/中央大学理工学部教授
専門分野 地学/地形学
愛知県出身。1949年生まれ。1972年東京都立大学理学部卒業。1974年同大学院理学研究科修士課程修了。1983年Colorado State University博士課程(Earth Resources)修了。Ph. D. (Colorado State University)。
東京都立三鷹高校教諭。中央大学専任講師・助教授・准教授を経て2008年より現職。
専門は地形学。地殻変動と河川の形態を中心に研究を続けてきており、現在は地形進化の実験的研究を進めている。最近の研究論文に「降雨侵食と隆起による実験地形の発達.地質学雑誌 117, 163-171(2011年)」、「Effects of uplift on the development of experimental erosion landform generated by artificial rainfall. Geomorphology, 127, 88-98(2011年)」がある。