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鈴木 寿

鈴木 寿 【略歴

ベルギーが強いわけ

鈴木 寿/中央大学理工学部教授
専門分野 サイバネティクス

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ベルギーへ在外研究

世界遺産に住む。日本よりも緯度が高いので、夏は夜9時を過ぎても陽が眩しい。ここは本当に現世なのだろうか、と思ってしまう。

 おかげ様で齢五十代なかばにして人生初の在外研究に赴いている。しかも皆様には甚だ申しわけないが、何と、誰しもが羨むベルギーの、しかも世界遺産[1]に住んでいる。(おもに研究が)楽しい。生きていて良かった。

 ところで、私は近頃、ベルギーの皆様へ謝罪しなければならないことがあることに、ふと気付いた。ベルギーの皆様、ベルギーといえばチョコレートとワッフルとビールと小便小僧とネロとパトラッシュ[2]とサッカーぐらいしか存じませんでした。ベルギーを訪ねたことのない典型的な日本の民の浅学、どうかお許しください。

ベルギーの概要

アレンバーグ城のあるキャンパスの、水と緑とが一体化した風景。(アレンバーグ城自体の写真はインターネット上にいくらでもあるので、そちらを参照のこと。)

 日本の皆様にベルギー(正確には、ベルギー王国)を正しくお伝えしなければならないと思う。

 第一に、その面積が日本の九州程度あるベルギーは、ほぼ北半分のオランダ語共同体(フランデレン地域のほぼ全部)、ほぼ南半分のフランス語共同体(ワロン地域のほぼ全部)、東の小面積なドイツ語共同体(ワロン地域の一部)、フランデレン地域内にスポット的に位置しフランス語とオランダ語が併用されるブリュッセル首都圏地域、から成ることを知っておくべきである。言葉で記されても、どうにもよくわからん、という方はインターネットで検索されたほうが早いと思う。

 第二に、ベルギーにおける食料自給率は7割強にも及ぶらしい。実際、すべてのものがうまい。まるで、子供の頃に味わった食べ物のようだ。ブリュッセルの郊外において、家畜は放し飼いのまま自由に育ち、野菜もまた有機肥料により育つからに違いない。

 第三に、私はブリュッセルから約30km離れたルーヴン[3]にあるルーヴン・カトリック大学(KU Leuvenと公式に略記される)にお世話になっている。KU Leuvenをご存知ない方は、私に聞くよりもインターネットで検索されたほうが早いと思う。そうすれば、恒常的にTimes HE rankingの上位百位に入っている世界的に有名な大学であることもわかる。直径2km程の環状の自動車道路に囲まれた、どこもかしこも石畳と中世の建物が立ち並ぶルーヴン中心には、精巧な造りで有名な市庁舎や聖ペテロ教会と共に、格調高い大学の施設が点在し、さらに環状道路を越えて南へ向かうと、(いささか無茶な比喩であることは承知のうえで、日本の皆様になるべく心象風景をそのまま伝えるとすれば)まるでハリーポッターの校舎のようなアレンバーグ城が突如として現れ、周囲には水と緑とが一体化したキャンパスが広がっている。

多言語を操る人々

ある日の市庁舎前広場のイベント。まさしく多文化・多言語が繰り広げられる。

 そして、いよいよ本題として、ルーヴンの人々は何とオランダ語のほかに、フランス語、ドイツ語、英語のどれをも「普通に」話せる![4] しかも、彼・彼女らは、相手の顔を見て八割方その人の話す言語を見抜く超能力を持っているものと思われる。その証拠に、カフェにおいて観光客らしき人の顔を見て、店員さんが最初からほぼ的確な言語で話しかけている。

 多言語なのは大学の街だからだろう、と思っていたら、そのようなこともなさそうだ。在外研究の身ゆえ、いくら憧れの地に来たからといって観光旅行をして回る気はなく、とはいうものの教養無しといわれたくもなく、国鉄運賃が半額になる週末に、一応の調査のために西の港町オーステンデ[5]、東のオランダやドイツとの国境に近いリエージュ、そして日本から来た観光客が必ず行くといわれるアントウェルペンやヘント、おとぎ話にでも出てきそうな雰囲気の隣町ディーストまで出かけてみたが、どこへ行っても地元の人々が器用に多言語を操るではないか。

 さて、仮に日本の学校で日本語、英語、その他のいくつかの言語を同時に教えれば、果たして多言語を操れる「グローバル人材」が育つのだろうか? そう都合良くいくわけはない。ベルギーの人々は、生まれたときからそうする必要がある環境で育つからこそ、多言語を操れるのである。

多様性創発力

カフェ、ブラッセリー、ビストロ、レストランの立ち並ぶアウデ・マルクト(広場)に集いビールを味わいつつ議論する人々。(大学関係者が相当混じっているらしい。)

 会話の中で、日本はだめだな…と、私はぽつりと漏らした。しかし、地元の人は言う。「何を悩む? 日本へ行くと、カタコト英語でも何とか手を貸してくれようとする親切な人々ばかりだから、魅力があるんだ。皆、英語が流暢だったら、誰も不思議の国、日本をわざわざ訪ねたりはしない。」

 なるほど、多様性創発力[6]を使いこなすベルギーの人々の強さのわけを垣間見た気がする。

  1. ^ 昔の修道院を大学関係者の住居として活用しているGroot Begijnhofのこと。
  2. ^ フランダース(フランデレン)の犬のこと。地元では人気がないことはご存知かもしれないが、この際開き直った日本の観光客はどんどん写真を撮り、ついでにチョコレートを買い求めていく。地元の人が「なぜ日本人は必死にチョコレートを買うのか? 日本にだって同じものがあるだろう」と問うので、日本での値段を教えてあげたら、さすがに驚いていた。
  3. ^ 地元の人々が発音するLeuvenは、私には「ルーヴン」と聞こえるので、日本において誰が何と言おうとこう書くことにする。
  4. ^ ベルギー人は怠け者だ、などと言ったのは、どこの誰だ? 彼・彼女らは仕事をしたがらないのではなく、よく考えてから効率良く仕事をするのである。その証拠に、労働時間に対するGDPの比は、日本よりベルギーのほうが高いではないか。
  5. ^ 個人的嗜好としては、北海のムール貝や鰻よりも牡蠣や小海老のほうが好きだ。
  6. ^ 中央大学コンピテンシーの一つである多様性創発力は、(1)自確力、(2)融合力、(3)協創力、から成る。自身・自組織を確立・確保したうえで他者・他組織との融合を進めつつ、互いの相違を活用していわゆる協創(シナジー)効果により新しい価値(世界の調和的発展と、差を上手に利用したwin-winの状況)を生み出すことが趣旨。
鈴木 寿(すずき・ひさし)/中央大学理工学部教授
専門分野 サイバネティクス
宮城県出身。1983年大阪大学基礎工学部生物工学科卒業。1985年同大学院基礎工学研究科物理系専攻生物工学分野博士前期課程修了。1988年同機械工学分野博士後期課程修了。工学博士(大阪大学)。大阪大学基礎工学部助手、東京大学工学部助手・講師、九州工業大学情報工学部助教授、中央大学理工学部助教授を経て1999年より現職。現在の研究分野はサイバネティクス(人工頭脳学)、人工知能(AI)、およびロボティクス(ロボット工学)。主要著書に『知識情報処理の基礎-Cによる多値論理処理-』(培風館、1999年)がある。