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久保 文克

久保 文克 【略歴

社史を活用した企業研究

久保 文克/中央大学商学部教授
専門分野 経営史(日本経営史、アジア経営史)、経済史

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社史をご存じですか?

 社史とは『花王史100年』といった会社史のことですが、皆さんは社史をご存じでしょうか? 分厚くて写真だらけの重い本という印象もおありでしょう。たしかに、以前の社史は宣伝のための記念出版で、自社の良い面ばかりを書いていました。

 しかし、30年ほど前からでしょうか、社史は徐々に変化してきました。経営史研究者らが外部から執筆に加わることで、失敗局面はじめ好ましくない側面も書かれるようになり、企業研究としての資料的価値は高まりました。

日本経営史研究所と社史

 社史の変化に大きく関わっているのが日本経営史研究所です。1969年の『ワコール二十年のあゆみ』を皮切りに、約130冊の社史の研究受託および編集指導に携わり、研究者が執筆に参加する流れを作り出しました。また、1978年からは「優秀会社史賞」を隔年で表彰することで、会社史の水準を向上させるうえで大きく貢献しました。

 同賞の審査基準には、「社内外資料の発掘,収集の努力が十分になされ」、「企業にとって節目節目となる重要な出来事がきちんと書かれ」ていることが含まれていることからも、資料と記述双方の客観性がいかに重要か再確認できます。

社史を活用した企業研究

 社史をどのように企業研究に活用するかは当然のことながら研究者に委ねられています。言い換えるならば、企業研究に向けた社史活用の可能性は広く、企業研究に携わる様々な研究者に活用する価値が含まれていることになります。

 充実した社史には、研究開発、生産、流通、マーケティングといったサプライチェーンの流れとともに戦略や組織の変遷が記述され、ときには労使関係や現場の品質管理など多岐にわたることが少なくありません。たとえば、戦略だけ組織だけの変遷に集中して見ていくならば、戦略論や組織論の研究者に歴史的な事例を提供してくれますし、複数の社史を比較することで、複数企業間の共通性なり特殊性なりの比較も可能にしてくれるわけです。

 私の専門である経営史研究との関連で言いますと、社史=経営史ではかならずしもありません。経営史とは歴史的事実を単に記述するだけのものではありません。企業業績に大きな変化が確認できた局面に着目し、そうした変化がなぜ起きたのかを経営者の意思決定プロセスを通して明らかにすることに経営史研究の大きな特長があります。会社史にある事実の記述を意思決定プロセスの分析を通して生き返らせる、それも経営史研究の役割と言えましょう。

 そして、経営史研究の資料として最も価値の高い社史とは、経営者の意思決定プロセスを裏付けることのできる当時の発言が記されていることです。プレスリリースといった形でかならずしも表に出ることのなかった研究開発の秘話や生産・販売現場の取り組みとともに、社史なくしては明らかにできない貴重な事実を提供してくれるのです。担当者が現存せずヒアリングできない歴史的対象であれば、その資料価値はなおさら高まるというものです。

社史活用の注意点

 とはいえ、社史の活用にも注意すべき点が2つあります。客観的な事実を記述することを生業とするのが社史ですが、そこにはすべての事実が記述されているとは限らない点が1つです。社史が変容してきたとはいえ、そのスポンサーが企業である以上、利害関係者が現存する場合など記載されることが時期尚早と判断される場合があります。

 いま1つは、社史は研究書のような研究者が掘り下げて分析する場ではありません。したがいまして、執筆者が発掘された内部資料を別途使って研究することが多いのと同様に、同資料を用いたより深い分析が経営史研究者には求められることにもなります。

社史を活用した学生教育

 社史活用の可能性は研究者の企業研究にとどまりません。私が指導してきた商学部の専門演習、課題演習、ベーシック演習においても、社史を活用した企業研究を実践してまいりました。なかでも専門演習においては、3年次のチーム研究や4年次の卒論作成に際して、積極的に社史を活用することを推奨していますが、それには先述した経営史の特長が大きく関わっています。そして、こうしたアプローチは歴史的対象に限定されるものではないため、今日的なゼミ活動にも十分活用できるものなのです。

生き物としての企業の歴史

 企業も人間と同じ生き物です。山一証券のように倒産して消滅してしまう企業もあれば、日産自動車のように失敗からみごと再生できた企業もあります。企業はまさに生き物であり、その歴史を綴ったものが社史に他なりません。

 幸い中央大学には数多くの社史が所蔵されています。多くは2号館5階の企業研究所の書庫に整理されていますが、中央図書館にも少なからずあります。最近はトヨタ、ホンダ、シャープはじめホームページに社史をアップする事例が増えてきました。一度どういったものかご覧になってはいかがでしょうか。

久保 文克(くぼ・ふみかつ)/中央大学商学部教授
専門分野 経営史(日本経営史、アジア経営史)、経済史
和歌山県出身、1994年中央大学商学研究科博士後期課程修了。
主著に、『植民地企業経営史論─「準国策会社」の実証的研究─』(日本経済評論社、1997年)、編著『近代製糖業の発展と糖業連合会─競争を基調とした協調の模索─』(日本経済評論社、2009年)、編著『講座・日本経営史6 グローバル化と日本型企業システムの変容 1985~2008』(ミネルヴァ書房、2010年)がある。