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若林 茂則

若林 茂則 【略歴

日本の英語教育に欠けているもの

若林 茂則/中央大学文学部教授
専門分野 応用言語学、心理言語学、形態統語論

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「日本人は英語でコミュニケーション[1]ができない」と言われる。これに対して「英語を勉強する必然性はない」「日本人が考えるほど外国で英語が通じるわけではない」「英語より言語分析力・国語力・論理的思考力の方が大事だ」という声がある。どれも事実かもしれないが「日本人が英語でコミュニケーションができない」のはなぜかという問いに対する直接の答えとはなっていない。この問いに対する答えを考えつつ、「教室でのコミュニケーションと実際のコミュニケーションの違い」や「英語教師に必要な力」についても考えてみたい。

「やりたいこと」と「やっていること」のギャップ

「なぜ英語ができるようになりたいか」と聞くと、子供たち[2]の多くはこう答える。「英語を使えば世界が広がる。出会いが広がる。知らない世界を知ることができる。」実際、英語ができれば、英語しか通じない相手との会話やSNSでのやり取り、英語でしか入手できない情報の収集・発信もできる。学生がやりたいのは「英語で世界を広げる」ことである。一方で「英語で今なにをやっているか」というと、子供たちの多くはテスト勉強をしている。TOEICであれ、期末テストであれ、入試であれ、テストのための勉強はテスト勉強である。テスト勉強をしたら、テストで点を取る力が伸びる。テスト勉強は悪くないが、英語でのコミュニケーション力を伸ばすのとは違う。

 やりたいことは「英語で世界を広げる」ことなのに、やっていることは「テスト勉強」。このギャップはどこから来るのか。理由の一つは、テストの結果で評価されてこそ勉強の意味があるという目的と評価のすり替えだろう。より重要なもう一つの理由は、英語で「世界を広げる」機会が実際には存在しないことだろう。

教室でのコミュニケーションと実際のコミュニケーション

 小中高大の授業で行われている「英語によるコミュニケーション活動」の多くは、教師が教材の内容を説明して、子供たちの理解を確認したあと、学生が学習した単語や文型を使って情報交換をする「引用ゲーム」であり、そこでは、自分では別に発信・入手したいわけではない内容を、英語の表現を習うために、伝達させられている(柳瀬・小泉、2015)。「引用ゲーム」はテストと同様「正解のある問題」に答える練習である。

 実際のコミュニケーションは違う。発信・入手する情報、構築する人間関係などが重要で、英語はそのツールとなる。実際のコミュニケーションを学校・教室で生み出し、子供たちが「英語で世界を広げる」ためには、「英語しか通じない相手」を見つけて、子供たち自身が英語で「言いたいことや聞きたいこと」をコミュニケーションする場を設定しなければならない。日本語でも通じるなら、「英語で世界を広げる」ことにはならない。

「場設定」ができれば、具体的な姿が見える。子供たちが漠然と抱いている「英語ができるようになりたい」という思いが、「●●を知りたい」「●●を伝えたい」「●●と仲良くなりたい」という具体的な目標に変わる。準備は大変だが、実際に「英語で世界を広げる」ことを楽しむ子供たちも増えるはずだ。

英語教師の役割と研修とそのための施策

 実現するには、英語教師が「場設定力」をつけるしかない。例えば、夏季休業中に、英語教師が中国、韓国、タイ、マレーシアなどの学校を訪問し、英語の授業を見学するのはどうだろうか。現場の教師は、中高の教員は部活動などで忙しいだろうし、大学教員は研究で手一杯かもしれないが、海外の英語教育を見るのは授業改善に役立つはずである。さらに授業を見るだけではなく、先方と交渉して、お互いのクラスをスカイプで結んで協働授業をするのはどうだろうか。[3]

 学校や行政は、英語教師の「場設定力」養成のために、予算と時間を使うべきだ。これまで「テスト勉強」しかしてこなかった英語教師も多いはずである。英語教師自身に「場設定力」養成研修を通して、「英語で世界を広げる」体験をたくさん積んでもらいたい。[4]

日本人が英語でコミュニケーションができないのはなぜか+α

 日本人が実際に英語でコミュニケーションができない(と思っている)のは、「英語でしか通じない場面」に出会ったことが(あまり)ないからである。日本に住んでいる限り、おそらく「英語でしか通じない場面」はさほどない。端的に言えば「英語でコミュニケーションを取る必要がないから、できなくても平気」なのである。しかし、大人になってから英語でのやり取りを怖がらないためには、学校にいるうちに、英語教師も子供たちも、ドキドキしながら一生懸命準備して、なんだかちょっとうまくいかなくて冷や汗をかいて、それでもまあまあだったという「英語で世界を広げる」体験をたくさん積んでおくべきであろう。

 英語でのコミュニケーションの経験を何度も積み、英語で難しい内容についてやり取りをするようになると、実際には学校の勉強だけでは足りず、内容に見合うだけの英語力が必要だということに気づくだろう。そうなると、小学生の時に漢字の宿題を毎日したように、あるいは中高の部活で自分を鍛えたように、地道に取り組まなければならない。その方法については、改めて考えたい。

脚注

  1. ^ もちろん、例えば「文学作品を読み解く」ことも「英語で小説を書くこと」もコミュニケーションに含まれるが、ここでは、発信者と受信者が比較的頻繁に入れ替わる、双方向のやり取りを想定している。
  2. ^ 「子供たち」は、児童・生徒・学生の総称として使用する。
  3. ^例えば、中央大学文学部のAdvanced Communicationの授業では、2015年前期に、オーストラリア国立大学やフィリピン大学と教室間を結び、双方の学生が参加する協働授業を計7回実施している。
  4. ^「場設定」には学校全体でのサポートが必要である。また、クラスサイズが大きすぎる、教師の担当授業数や授業以外の業務が多すぎるなどの問題を解決せねばならない。
主な参考文献
  • 柳瀬陽介・小泉清裕(2015)『小学校からの英語教育をどうするか』岩波書店
若林 茂則(わかばやし・しげのり) /中央大学文学部教授
専門分野 応用言語学、心理言語学、形態統語論
1962年生まれ。大学卒業後、高校教師を経て英国留学。ケンブリッジ大学英語応用言語学研究所(現、理論応用言語学研究科)博士課程修了PhD(学寮はクレア・ホール)。群馬県立女子大学教授等を経て現職。専門は生成文法に基づく実証的理論的第二言語習得研究だが、英語教育にも活発に取り組んでいる。
主な共編著書に『改訂版 英語教育用語辞典』『英語習得の常識・非常識』(以上大修館書店)『詳説 第二言語習得研究』(研究社)『第二言語習得研究入門』(新曜社)Generative Approaches to the Acquisition of English by Native Speakers of Japanese (Mouton de Gruyter)、などがある。