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林家 つる子さん

林家 つる子さん【略歴

華やかでいたい、芸人ですから。

林家 つる子さん/落語家

 落語の全日本学生選手権で「審査員特別賞」に輝いた中央大学文学部の須藤みなみさん(24)は平成22年卒業後、九代目林家正蔵師匠(50)に弟子入りした。落語の世界で新入りの「前座」として修業の日々。中大卒業生のふれあいの祭典ホームカミングデー「寄席の世界を楽しむ」(10月28日・多摩キャンパス1号館1406号室)に出演。男社会に飛び込んだ経緯、修業のつらさ、落語の楽しさなどを聞いた。

笑いの一本釣り

 浅草蔵前八幡の境内で、差し毛が一本もない、珍しい純白の犬が大変可愛がられていた。参拝客の一人から「シロや、おまえのような純白な犬は人間に近い、次の世にはきっと人間になるだろう」と言われ続けていた。シロも考えて、「次の世ってのはおもしろくねえ。今この世で人間になってみたいもんだ」と、三・七、二十一日の願掛け。すると体中の毛が飛んで気が付くと人間に。

 「おおうい!上総屋さん!!」

 つる子さん演じるシロが腰を伸ばして口入れ屋(奉公人の勤め口を世話する人)上総屋を呼ぶ声が会場に響く。この日の演目「元犬」の始まりだ。前座がよくやる噺という。

 話の笑いが取れるところで、タイミングよくセリフを言い、笑いを引っ張り出すように大きく身を引く。とれた、もっともっと!

 まるで、笑いの一本釣りだった。

林家 つる子さん

身振り手振りで表現する熱演の高座

 高崎女子高時代は演劇部に所属していた。大学でも演劇を続けるか迷ったが、どこよりもインパクトが強かった落語研究会に入部。そこから、落語の世界にのめりこんだ。「思いっきり馬鹿をやれるのが、中大落研の魅力」つる子さんは言った。

 仲間と思いっきり弾けながら、年2回はプロからの指導を受け、落語を夢中になって覚えた。その甲斐あって、平成20年3月、第5回全日本学生落語選手権『策伝大賞』(注1)の決勝に進出。高座名は「中央亭可愛」。お灸の熱さを我慢する「強情灸」を演じた。

 全国のトップ級7人の中から「審査員特別賞」に選ばれた。審査員には桂三枝師匠(当時、のちに文枝を襲名した上方落語協会会長)、立川志の輔師匠、2人の大御所が名を連ねていた。プロから認められた日だった。翌21年大会(2月)でも決勝メンバーの7人に残った。

 毎日、落研の部室に通い、来る日も来る日も落語三昧。楽しい学生生活は風のように過ぎ、あっという間に進路を決める時期が来た。一般就職を目指した。須藤みなみさんの3年次は、日本中が不況にあえいだ時期。社会の風当たりはやはり冷たく、リクルートスーツ姿で都心を駆け回る日々が続いた。そんな中、落語研究会、引退寄席の日程が近づいてきた。

 「就活よりも落語で悔いを残したくない。落語に気がいってしまう」。自分の本音を、ごまかしきれなかった。「やっぱり、落語がやりたい」就職活動をして初めて自分の本気に気がついた。スーツの前ボタンでは、留めきれない情熱があった。

 「やりたいこと、やんなさい」母親は背中を押してくれた。「落語家か、うーん…」いい顔をしなかった父親も最後には納得してくれた。

ソース20本、ギョーザ500個の世界

 こうして落語家への第一歩を踏み出した。入門したのは名門・海老名家。『どうもすみません』で知られる“昭和の爆笑王”林家三平(先代)の長男、九代目林家正蔵のもと「見習い」生活がスタートした。

 見習いとは前座の前段階。師匠宅近くのアパートに引っ越した。朝から寝るまでそばにいてお世話をする。師匠のお供以外では外出を許されず、師匠宅で行儀見習い、買い出し、家事炊事掃除、雑用と毎日がてんてこ舞い。「見習い時代はまさしく噺に出てくる定吉(さだきち)でした」。あの時の自分を大店の奉公人に例えた。

 「つる、オテショとってくれ」「はい!」。元気よく答えたのはいいものの、はて「オテショ」が何だか分からない。師匠の顔色を伺いつつ、「カンを働かせて…」数種類の皿を出してみるが、あれもちがう、これもだめ。「お手塩皿」が刺身の醤油を入れる小皿であることが分かるまでに、師匠の機嫌をすっかり損ねてしまった(手塩皿=小さい浅い皿、おてしよ。食膳の不浄を払うために小皿に塩を盛った=大辞泉)。

 師匠宅の台所には、ソースのストックが20本ある。ギョーザは一度に500個作る。「500個ですよぉ」。こんなにたくさんどうするのだろうと驚いたが、師匠におかみさん、5人の兄弟子に加え、行事ごとになると先代林家三平師匠のお弟子さんまでやってくる大所帯ではあっという間に完食だ。

 見習い仕事を覚え、前座として寄席で働けるようになるまでの半年間、毎日必死で働いた。

えっ着替えもここで?

 噺(はなし)をやらせてもらえるようになっても、苦労は尽きなかった。落語界は男世界だ。寄席の楽屋は一つきり。お茶、たばこ、食事、着替えなど出番前、出番後の一切をここで済ませる。ときにわい談もある空間で若い女性の居場所を確保するのは至難の業だった。

 噺でも苦労した。男の人の出す女の声色は面白い。だけど女が出す男の怒鳴り声は迫力に欠ける。基礎的な技術に加え、男性とは違う面白さで悩み、お客さんを楽しませる術を追求しなければならなかった。前座修業は、師匠たちへのお茶出しから一層の気を遣う。濃い好き、温めが好きと各人の好みを覚える。急いできた人には、飲みやすい温度にする。師匠の羽織、着物をたたむ。高座では「めくり」といって、次に出番となる師匠名を書いた紙をめくる。座布団は裏を返して新しい面にする。「紙切り」の高座後は紙片を丹念に拾う。三味線をつかう師匠の商売物を傷つけてはいけない。どんな時でも、つる子さんは笑顔を絶やさない。

 「芸人になったんです。華やかでいたいじゃないですか」

 自ら選んだ道だ。入門した時に決めたそれを続けている。

 「前座が暗いと、楽屋が暗くなっちゃう」パッと明るく力強い笑顔だった。

 上総屋さんの紹介で、変わり者好きな千住のご隠居宅に奉公することになったシロ。でもやっぱり犬っぽさが出てしまう。

 ご隠居「お茶にしよう。鉄瓶がチンチンいっていないか、見ておくれ」
 シロ「ワン!」(チンチンする)
 「ホイロをとんな。そこのホイロ!」
 「うー~」
 「ホイロ!」「ワン」「やだね。(女中の)お元~、おもとは居ないか、もとはいぬか?」
 「へぇ、今朝ほど人間になりました」

 大きなまあるい花火が、会場全体に鮮やかに広がった。

(注1)『策伝大賞』……説法の名手として知られた安楽庵策伝は落とし噺を集めた「醒睡笑」を著し、“落語の祖”と言われている。策伝が生まれ育った岐阜(現岐阜市)で全日本学生落語選手権は行われる。平成16年から始まった。

提供:『HAKUMON Chuo』2012冬季号 No.229新規ウインドウ

林家 つる子(はやしや・つるこ)さん
1987年生まれ、群馬県高崎市出身。2010年中央大学文学部卒業後、同年9月に 九代林家正蔵の元に入門、高座名は「林家つる子」(本名は須藤みなみ)。
11年1月横浜にぎわい座林家正蔵一門会にて「味噌豆」、同年3月前座として楽屋入り。中央大学落語研究会時代、「ちりとてちん」杯 ふくい女性落語大会で大賞を受賞。
また、学生落語の全国大会、全日本学生落語選手権「策伝大賞」で審査員特別賞を受賞し、現在、各寄席にて前座修行中。