トップ>人—かお>年間500試合以上見る — マー君ヤ軍入りさらに多忙

人—かお一覧

福島 良一さん

福島 良一さん【略歴

年間500試合以上見る — マー君ヤ軍入りさらに多忙

福島 良一さん/大リーグ評論家

 大リーグ、ヤンキースで前楽天・田中将大投手が投げる2014年シーズンは昨年以上に忙しくなりそうだ。大リーグ評論家の福島良一さん(57)は中央大学の卒業生。学生時代に大リーグに興味を持ってからというもの、シーズン中に見る試合は500を超える。その生活たるや選手以上にハードである。

ウォッチにウォッチを重ねる−野球中心の生活

 「シーズン中は1日に2~3試合は見ますね。ニューヨークのデーゲームは日本時間午前2時過ぎ開始。ナイトゲームが朝8時過ぎから、ロサンゼルスなど西海岸のナイトゲームが11時過ぎから始まります」

 米国で次々にプレーボールがかかり、ゲームは佳境を迎え、試合が終わる。延長戦もある。大リーグは決着がつくまで続ける。

 ダルビッシュ有(レンジャーズ)、黒田博樹(ヤンキース)、岩隈久志(マリナーズ)、上原浩冶、田沢純一(ともにレッドソックス)各投手に加え、新たに加入した田中投手。大リーグ野球を見る目はいつも厳しいが、日本人投手が登板した試合は全投球を記録している。1球も見逃さない。気迫の観戦取材である。

 野手ではイチロー(ヤンキース)、青木宣親(ロイヤルズ)ら各選手がいる。こちらにも目を光らせている。

 「日本でテレビ中継のある試合は見ないと気が済まないのです。シーズン中はいつ起きて、いつ寝ているのか、分からないくらい。完全に野球中心の生活になっています。1日24時間では足りないですね」

解説者の腕の見せどころ

 見終わると、原稿を書く。ニュースがあるときはコメントを求められる。

 契約している新聞には独自情報を出す。田中投手のヤンキースでの背番号が「19」と決まったときだ。

 『ヤンキースの背番号19の名投手には、まずビック・ラッシーが挙がります。メジャー2年目の1947年に19番をつけ、後に16番になり、49年から53年のワールドシリーズ5連覇した時のエースとして活躍。その後もフォード、ターリー、リゲッティなど名立たる投手が19番を背負いました。野手では2003年にワールドシリーズへ導くサヨナラ弾を放ったブーンがいます』(1月26日付、日刊スポーツ)

 国内のスポーツ・マスコミが「楽天時代の18番にプラスワンの19番」「楽天の前監督、野村克也氏が現役時代に付けた19番」などと紹介しているなか、『ヤンキース19番物語』は大リーグ解説者の腕の見せどころであった。

大リーグへの目覚め

書棚脇には名選手の写真とサインボール

 大リーグに心を奪われたのは1968年、小学6年生の時。

 福島少年は本場アメリカのベースボールを初めて見た。ユニホームの胸には紅冠鳥(カージナルス)が2羽、バットに止まっていた。日本では見たこともない斬新なデザインだ。

 『それに大黒柱ボブ・ギブソンの一塁側へ倒れ込む豪快なピッチング・フォームが、当時小学校六年生だった私にはとても印象に残っている』(著書・大リーグ物語、講談社現代新書)

 1973年高校2年夏には、父親の援助を受けて米国行きを実現させ、大リーグ観戦を堪能した。

中大時代

 中大時代には、既に大リーグのとりこになっていた。当時は今のようにNHK衛星放送などテレビ中継がない時代。

 「在日米軍向け放送のFENをずっと英語で聴いていました。最初のうちはチンプンカンプンでしたが、聴いているうちに選手の名前を覚え、いろんな情報を得る。夢が広がって、最大の楽しみでしたね」

 1977年、20歳の夏。今度は一人で米国へ。メジャーリーグ、マイナーリーグの試合を追いかけ、70日間で全米21都市を回り、74試合を見た。

 「実際にアメリカへ行くと夢の世界が目前に広がって、ほんとにもう感動しましたね」

 当時大リーグには、日本人選手はいなかった。1964年9月に元南海(現ソフトバンク)の村上雅則投手がジャイアンツに入団、日本人初の大リーガーの誕生だったが、2年で日本に帰国した。以来、近鉄の野茂英雄投手がドジャースと契約するまでの29年余。日本人選手不在の寂しい時代だった。

中大駿河台キャンパスで、当時珍しい大リーグのスタジアム・ジャンパーを着ていた(本人提供)

 「そんなときですからね、数少ない大リーグに関心のある友人たちと『アメリカ野球愛好会』なる会をつくっては、活動していました。でも、中大に大リーグの友はいなくて、仲間は大学以外でした」

 東京・銀座の洋書店などへ行っては、米国発行の大リーグ専門誌を探す。選手名鑑、記録集などは予約注文、手元に届くには随分と時間がかかった。

 「父親譲りと言いますか、凝り性でして。一つのことに熱中するタイプでした」

 中学・高校は学習院で学んだ。学習院大へ進学するのが一般的とされるなか、福島さんはスポーツを理由に中大を選んだ。

 「伝統を重んじる校風が合わず、環境を変えたかったんですね。プロ野球選手を数多く輩出している野球の強い中大を選んだ。中高と6年間同じところにいて、刺激がほしかったんです」

 自身に選手経験はないが、野球が好きでプロ野球をはじめ、大学野球や高校野球を見て回る日々だった。学習院大は東都大学野球で1958年秋に優勝したのだが、その後は精彩を欠いたままだった。

田中投手に20勝の期待

 中大卒業後は旅行代理店に勤務。大リーグ観戦ツアーを企画して、自ら添乗員となり、全米各地を案内した。マスコミから依頼される原稿執筆も行っていた。

 1987年。歴史が大きく動いた。NHKが衛星放送で大リーグ中継を始めた。このとき解説者に選ばれた。日本人選手はいないが、日ごろの勉強の成果が出て、活躍する大リーガーに関する豊富な情報量と明快な語り口で、評価はますます高まった。以来、この分野の第一人者となる。

自宅前で、表札は野球のホームベース

 昨季開幕から24連勝の田中投手には、日本人初の20勝投手の期待がかかる。これまでは松坂大輔投手(2008年=当時レッドソックス)の18勝が最高だ。

 「日本人選手の活躍によって、大リーグの人気が上がり、本当に嬉しい悲鳴です。こんな時代が来るとは、思ってもみませんでした。今の情報過多時代に生まれ育っていたら、大リーグには興味を持っていなかったかもしれません。子供のころ、メジャーリーグは海の向こうの遠い夢の世界。だからこそ知りたいために、ちょっとしたことでも調べていました」

 「日米野球の交流が盛んになって、アメリカの国民的娯楽が国際的になった。この世界で仕事をさせていただくことは最高の幸せです。野茂投手らすべての日本人プレーヤーには感謝の気持ちでいっぱいです」

 大リーグ野球と生活をともにする。自宅表札はホームベースで出来ていた。

提供:『HAKUMON Chuo』2014春号 No.236

福島 良一(ふくしま・よしかず)さん
1956年10月3日、千葉県生まれ。学習院高等科—中大商学部。高校2年で初渡米して以来、毎年のように米国で大リーグを取材する。著書に『大リーグ物語』(講談社現代新書)、『大リーグ雑学ノート』(ダイヤモンド社)ほか。最新書は『日本人メジャーリーガー成功の法則 田中将大の挑戦』(双葉社)。