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井上 修さん

井上 修さん【略歴

交渉相手を知るために

井上 修さん/日本ヒューレット・パッカード株式会社勤務、米国ニューヨーク州弁護士

大学院修了後、鉄鋼関係の商社へ

 中央大学では学者を目指して大学院まで進み、修了後に鉄鋼関係の商社に就職しました。当初法務担当ということで入社したのですが、蓋を開けてみたら、配属されたのは営業セクションでした。イラン向けのプラント輸出を国内で担当しましたが、ちょうどイラン・イラク戦争の頃であったため、非常にエキサイティングな経験をしました。その後、法務へ異動となり、今度はソフトウェア関連のビジネスにも携わることになりました。いわゆるITのはしりです。「これからはコンピュータ、ソフトウェアの時代になる」と思っていたところ、富士ゼロックス製のワークステーションを会社で導入することになりました。仕事で携わるうちに面白くなってきて製造元の富士ゼロックスへと転職しました。あまり後先考えずに動く性分で、当時は気持ちのおもむくままに動いていました。

はじめての海外経験が、シンガポールへの赴任

 富士ゼロックスでは、システム系事業のサポートをする法務を担当していました。今でこそ普通ですが、大学や県庁内のネットワークシステムを構築するプロジェクトは、リスクと同時に可能性が見えてくる、非常に面白い仕事でした。その後、会社がシンガポールに子会社をつくることになり、その立ち上げのメンバー募集に名乗りを上げました。社内では数年に一度、海外留学に行く社員が選ばれていたので、それに選ばれる確率が高まるのではないかという期待があったからです。「英語、大丈夫だよね?」と聞かれて「当たり前です!」と答えてシンガポールに赴任したわけですが、現実には、ほとんど英語はできない状態でした。現地では社内電話がかかってくると、相手のところにすっ飛んで行きました。目を見て「何が言いたいの?」と訴えながら話していると、大体相手の言いたいことが、わかってきました。読み書きはできましたので、紙に書いてもらったりしながら、何とかしのいでいました。

交渉相手を知るためにニューヨーク大学ロースクールへ留学

 シンガポールに赴任して1年半が経った頃、めでたく海外留学の候補に選ばれ、アメリカのニューヨーク大学ロースクールへ行くことになりました。留学を希望した理由は、海外の相手方と交渉を進めていく際に相手が考えている筋道でよくわからないことに直面することがあり、海外の弁護士と対等に渡り合うには文化も含めて向こう側を覗いてみる必要があると痛切に感じていたからです。ニューヨークでは、苦しいけれども楽しい2年間を過ごしました。試験前には食事と風呂と睡眠時間以外は全部勉強という毎日でした。驚かれるかもしれませんが、契約書や法律の専門書を読んで勉強していることの方が、ニューヨークタイムスを読むよりも楽でした。専門領域では、どこに何が書かれているのか、おおよその内容がわかっていたからです。中央大学で、法律を勉強していたことが役立ちました。何かひとつのことに打ち込むと、他にも応用が効くようになると実感した瞬間でした。

日本法は日本語に、アメリカ法は英語に結びついている

 ロースクールでの最初の3カ月は、寝ても覚めてもリーディング・アサインメントをこなし、やっと少し追いつけるという状況でした。そんな、苦境を経て、ある時、初めて英語が自分の頭の中に入って来るような気がしました。そして、使い続けることで、やがて自分の道具の一部に変わっていく感覚です。これは私の信条ですが、頭の中で翻訳するのは御法度です。英語でコミュニケーションする際にいちいちトランスレーションをしていたら会議などできません。言葉というのは、歴史的・文化的背景があって、あるひとつの存在になっているわけですから、国によって違うのは当然です。辞書には、ふたつの言葉の重なる部分が何となく拾って書かれているに過ぎません。ですから、本来はそれぞれの言語で内容を理解したほうがいい。日本の法律は日本語の概念に基づき、アメリカの法律は英語の概念に基づいています。それぞれを知っている人は「アメリカの○○は、日本で言うと○○。辞書には載っていないけどね」と説明ができるようになります。

後輩を応援する「大学対抗交渉コンペティション」

 中央大学も毎年参加している、仲裁・交渉のスキルを競い合う大会「大学対抗交渉コンペティション」に審査員として参加していますが、柏木昇先生(中央大学法科大学院教授※2012年退職)、その後阿部道明先生(中央大学法科大学院教授)のご依頼で、大会の1週間後のゼミで学生さんにコンペティションのフィードバックをしています。私がこの活動に関わってもう今年で5回目になりますが、彼らは猛烈に準備のための勉強をしていると感じます。勉強しないと、大会で赤っ恥をかきますから。今の学生は「積極的でない」とよく言われますが、きちんとした環境に置かれれば、ものすごく頑張ります。努力している学生さんがたまらなくかわいくて、毎年応援するような気持ちで参加しています。

夢を具体化するイメージを持ち続けることが大事

 幕末日本に藩の間にあった関所を明治政府が廃して自由通行を可能にしたように、それと同様のことが国境でも起きていると思います。ですから、もっといろいろなことができるはずです。ところが、この裕福な島国では海外に出なくても生活ができるわけですから、みんなのんびりと暮らしています。でも、これからはそうはいかない。もっと海外に仕事や経験を求めるようなマインドセットが、若い世代から出て来なければ、この国は立ち行きません。これからの若い方々にぜひ伝えたいのは、「夢を見よう」ということです。何かをしたいと思わなければ、実現することはありません。けれども、何かをしようとさえ思っていれば、不思議なもので、必ず人間はその方向に動いていくようになります。グローバルに何かをしたいという夢があるなら、なるべくその夢を持ち続けて、それをもっと具体的なものに変えていくようなイメージを持ち続けることが、私は大事だと思います。それが人間の行動を決める要素だと思います。

井上 修(いのうえ・おさむ)さん
日本ヒューレット・パッカード株式会社 取締役 執行役員、法務・コンプライアンス統括本部長、米国ニューヨーク州弁護士。
1982年法学部 法律学科卒業後、川鉄商事(現:JFE商事株式会社)に入社。1988年に富士ゼロックスに転職。1994年、New York University, School of Law Master of Comparative Jurisprudence (比較法修士課程)修了。その後、シリコンバレーでの駐在を経たのち、アット・ジャパン・メディア、アマゾンジャパン、ドコモエーオーエル、デル、MCIジャパンの法務ディレクターを経験。2006年より日本ヒューレット・パッカード執行役員・法務本部長。2009年より同社取締役。