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山口 真美

山口 真美 【略歴

教養講座

赤ちゃんは顔がわかるのか

山口 真美/中央大学文学部教授
専門分野 知覚発達心理学

中央大学の赤ちゃん実験室

 研究開発機構に所属する研究員と大学院生と一緒に、赤ちゃん実験をしています。一部の実験はアメリカやカナダ・オーストラリアの大学との共同研究で、海外の研究室と行き来しながら研究し、博士課程修了後に海外の研究室で活躍している卒業生もいます。多摩キャンパスにある研究室は、そのまま世界につながっています。

 赤ちゃん実験をしている大学の研究室は、日本でも数えるほどしかありませんが、2012年4月から放映される放送大学「乳幼児心理学」では、様々な実験室の様子を紹介します。その中で紹介する新潟大学の研究室は、卒業生が運営しています。

 さて、赤ちゃん実験とは、いったいどんなことをしているのでしょう? そもそもなぜ、赤ちゃんなのでしょうか。

 私はヒトの「知覚と認知の成立」について研究しています。目の前に見えているこの世界が、どのように成立しているかを調べるのです。ヒトは、生れ落ちてすぐに大人と同じように世界を見ているわけではないのです。かといって、全く見えていないわけでもないのが、不思議なところです。

 知覚と認知の赤ちゃん段階の発達について、簡単に説明してみましょう。

 ぼんやりとした映像に赤/緑の色が着いて、やがて青/黄の色が着くようになる。だんだんと鮮明な映像を目にすることができるようになる一方で、立体視力は急速に発達します。動きの知覚と形の知覚を比べると、動いているものは発達初期から見え、形を見る能力を促進する効果があります。立体視が成立しても、目の前に広がる空間の世界を見るためには、さらなる発達が必要とされます。・・・どうでしょうか。言葉だけでは、実感しにくいかもしれません。研究室のホームページにある「赤ちゃんシアター」と「親子で試そう」では、赤ちゃん世界を知る手がかりになる画像を、公開しています。実験で使われた映像集です。ご興味のある方は、ぜひご覧下さい(http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~ymasa/babytheater/index.html)。

 赤ちゃんの不思議な視知覚の発達は、脳の発達とも関連しています。脳の発達に基づいた知覚機能の発達は、生まれてから生後8ヶ月くらいまでの間に発達します。その間の変化を探っているのです。

顔を見ることの発達

 知覚の中でも興味深い対象とされているのが、顔です。社会的な刺激であることから、顔は他の物体とは違った見方をすることが知られています。様々な物体に顔が見えてしまうこと(図1)も、顔を見る能力と関連しています。たくさんの数を記憶することができるのも、顔だけです。さらに顔は、脳の特別な領域で処理されるといわれています。この領域に損傷を受けると、顔だけが見えなくなる「相貌失認」という症状になります。この領域は「顔専門領域」とも呼ばれ、赤ちゃんを対象にこの脳の活動を調べることが、私達の研究室の特色です。

 顔を見る能力の特徴のひとつに、その生まれつき性もあります。新生児の視力は0.02ほどしかないのに、顔を好んで見ることができます。様々な心理実験から、新生児でも視線と顔に敏感であることがわかっています。

 私達の研究室では、図2にあるようなだまし絵を使って、赤ちゃんの顔認知能力を調べる実験を行いました。この図は16世紀のイタリアの画家アルチンボルドによって描かれたもので、さまざまな物体で顔を作り上げています。この絵を見たとき、顔を構成する野菜に目がいったり、顔を見たりと、だまし絵として楽しむことができます。美術館では子ども達も、ひとつひとつの野菜を指差して楽しんでいます。こうしただまし絵は、いつ頃から見ることができるのでしょうか。これまで赤ちゃんがどのように絵を見るかについては、科学的に検討されませんでした。

 実験では、アルチンボルドの絵を逆さにしたものと正立のままのものを並べて見せ、赤ちゃんがどちらに注目するかを調べました。そもそも赤ちゃんは顔を見るのが大好きです。顔でないものと顔を並べて見せると、顔に注目することが知られています。アルチンボルドの絵の場合、正立では顔が見えますが、逆さにすると見えなくなります。実験の結果、生後7-8ヶ月の赤ちゃんは正立の絵を好んで見ることから、アルチンボルドに顔を見ると考えられました。さらに脳活動を計測したところ、顔専門領域が活動していることがわかったのです。

図1 ヒトはさまざまな物体に顔を見ます
市川寛子助教(研究開発機構)によりPerception (2011, 40, 500-502)誌上に掲載された実験成果による

図2 アルチンボルドによって描かれた顔のだまし絵
小林恵(大学院博士課程後期2年・日本学術振興会特別研究員)によりJournal of Experimental Child Psychology(2012, 111, 22-36)誌上に掲載された実験成果

赤ちゃんの脳活動を計測する

図3 近赤外分光法(NIRS)の装置
赤ちゃんは、大学院生楊嘉楽さん(大学院博士課程3年・日本学術振興会特別研究員)の長男です

 私達の研究室では、近赤外分光法(NIRS)という装置を用いて赤ちゃんの脳活動を計測しています。近赤外分光法(NIRS)は新しい技術で、近赤外光を照射して戻ってきた光の量から、脳内のヘモグロビンの量を測ります。曇り空から照射されるくらいの近赤外光を使うため安全で、身体を拘束することなく、脳活動を計測することができる画期的な機械なのです。

 私達は、この機械で世界初の成果を次々と産み出してきました。赤ちゃんが顔を見ている時に脳の顔専門領域が活動することを示し、生後8ヶ月にならないと横顔を顔として処理でないこと、怒りと微笑みといった表情の違いで脳活動が異なること、お母さんの顔を見た時の脳活動の特徴など、さまざまな成果を海外の学術雑誌に発表し、新聞記事でも紹介されました。

 先に述べたように、赤ちゃんの顔認知は新生児でも顔を見るというところで発現しますが、その能力は未熟で、大人のように顔と顔の違いを正確に区別しているわけではありません。生後4ヶ月くらいでも、眼鏡を外したらお母さんとわからなくなったり、髪型を変えたお母さんを見て泣き出したりすることもあります。髪型や眼鏡のような目だってわかりやすい特徴でお母さんを覚えているのです。それが生後8ヶ月頃には大人と同じような顔認知へと変わっていきます。横顔になっても、顔の角度が変わっても、同じ人物であることがわかる時期は、一般に見られる「ひとみしり」が成立する時期とも一致しています。

赤ちゃんから社会へ

 赤ちゃん実験で開発した手法を使って、発達のつまずきについての研究も行っています。このところ新聞紙面でも目にすることの多い「社会性の障害」といわれる子ども達のメカニズムを探るため、小児医療の現場で発達障害を持つ子ども達の脳活動を計測しています。近赤外分光法は簡易な機械なので、将来の診断に役に立つ可能性もあります。さらには、こうした子ども達と多数派の子達との違いを、科学的に解明することも大きな目標です。

 彼らはほんとうに社会性が欠如しているのでしょうか? 社会性とは、多数派の人の物差しを使った強引な尺度ではないでしょうか? もちろん、現実的な問題として、うまくコミュニケーションが取れないことは、社会生活を送る上では大きな障壁となります。とはいえ、その根本的な原因は、もっと奥深い別のところにあるかもしれません。

 実際のところ、言葉や社会性の障害は年齢が上がってから表面化しますが、生後数ヶ月の知覚や認知になんらかの違いがあることがわかってきました。たとえば、自閉症者が早い視力発達という利点を持つであろうことがわかったのです。これは推測ですが、小さい時のよすぎる視力によって、ものの見方が大きくズレることとなったのかもしれません。一元的に欠点を見るのではなく、欠点と長所、さらにいえば長所の影にある欠点を見る必要がありそうです。

 バランスを見ることは大切です。社会生活の中で欠点ばかりに目が行くのは仕方ないことですが、科学的に調べることによって、隠れた長所を知ることができるわけです。こうした成果を社会に還元することにより、大多数の平均を前提として硬直化している、現代社会を変えていく力になりたいと思います。赤ちゃんから、社会はつながっているのです。

山口 真美(やまぐち・まさみ)/中央大学文学部教授 博士(人文科学)
専門分野 知覚発達心理学
日本学術会議連携会員・日本赤ちゃん学会事務局長・日本基礎心理学会理事・日本心理学会評議委員・日本顔学会理事・放送大学客員教授
お茶の水女子大学大学院人間発達学専攻単位取得修了。博士(人文科学)。(株)ATR人間情報通信研究所、福島大学生涯学習教育研究センター助教授を経て現職。
著書に「赤ちゃんは世界をどう見ているのか」(平凡社新書)「赤ちゃんは顔をよむ」
(紀伊国屋書店)「視覚世界の謎に迫る」(講談社ブルーバックス)「赤ちゃんの視覚と心の発達」(東京大学出版会)「センスのいい脳」(新潮新書)「美人は得をするのか」(集英社新書)など多数。
学術論文
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~ymasa/labo/gyoseki.html