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栗原 文子

栗原 文子 【略歴

教養講座

グローバル人材育成と言語教育のあり方をめぐって

栗原 文子/中央大学商学部准教授
専門分野 応用言語学・英語教育

グローバル化の課題

 昨今、「グローバル化」という言葉はすっかり日本語に定着した。20年以上前、筆者が学生だったころには、「国際化」という言葉がまだ新鮮な響きをもっていたが、今やすっかり時代遅れとなり、「グローバル化」がとってかわった。経済面で国と国との境界線が薄れ、人、金、情報が地球規模で移動、流通し、海外に行かずとも、インターネットを通して世界中の人々と交流がリアルタイムで(しかも無料で!)可能となった。しかし、最近、グローバル化がもたらした豊かさや便利さだけではなく、負の側面も次第に顕著となっている。特に、人間がこれまで長い歴史の中で培ってきた、地域独自の言語、文化、産業などの多様性が失われることに対する危機感は大きい。文化や価値観の画一化が進めば、間違った方向に一気にマインドコントロールされてしまう危険性も増大しかねない。新しい豊かさを追求した結果、以前享受していた豊かさが失われつつあることに、懸念の声も上がっている。しかし、「グローバル化」の流れに抗うことは不毛であろう。グローバル化は両刃の剣であることを認識し、あらゆる視点から、地球市民に幸福をもたらす「グローバル化」とは何か、検証するべき時に来ている。

大学とグローバル人材育成

「グローバル人材の育成を!」という熱い声が官庁からも企業からも大学に寄せられている。グローバル人材の定義は一つではないが代表的なものとして、「世界的な競争と共生が進む現代社会において、日本人としてのアイデンティティーを持ちながら、広い視野に立って培われる教養と専門性、異なる言語、文化、価値を乗り越えて関係を構築するためのコミュニケーション能力と協調性、新しい価値を創造する能力、次世代までも視野に入れた社会貢献の意識などを持った人間」(産学連携によるグローバル人材育成推進会議、2011年4月)がある。「日本人としてのアイデンティティー」とは具体的に何を指すのかという点で、この定義は曖昧さを残しているが、コミュニケーション能力、協調性、創造性、専門性、社会貢献などはキーワードであろう。加えて、行動力、問題解決力、主体性などもしばしばキーワードとしてあげられる。本学でも、グローバル人材育成の重要性を認識し、議論を重ね、平成24年度文部科学省「グローバル人材育成推進事業」に申請した。その結果、全学推進型(タイプA)に採択され、昨秋から全学を挙げて様々な取り組みを始めている(詳しくはhttp://globalization.chuo-u.ac.jp/新規ウインドウを参照されたい)。日本人の若者の内向き志向が指摘される中、この春本学で新たに開設した海外インターンシップ研修などを含む7つの短期留学プログラムの説明会には400名以上の学生が詰めかけるなど、学生の関心の高さに大いに励まされた。「広い視野に立って」物事を考えることができるようになるには、新しい経験を重ねることが有効である。海外留学に限定されないが、学生には居心地の良さからあえて脱し、行動範囲を広げる努力をしてほしい。また、そのための動機づけと支援を大学は怠ってはならない。

求められる英語運用能力

 グローバル化の大波の中で、英語はその話者を急激に増やしてきた。現在、母語話者約4億、それよりはるかに多い約15億人が、英語を第2、第3言語として日常的に使用しているとされる。世界での英語使用の拡大を「英語帝国主義」とよび脅威としてみなす向きもあるが、残念ながらそれらの批判は非建設的なものであることが多い。英語使用の世界的拡大は、グローバル化による人々の意思疎通や相互理解のニーズの高まりが背景にあり、そのニーズまで無視することはできない。もちろん、英語使用の拡大により、他の言語が喪失されること、あるいは軽視されること、ましてや母語の発達・使用が疎かになることに対しては最大の注意を払い、回避するべきである。英語使用拡大も、また、両刃の剣なのであり、負の側面を精査したうえで、対策を講じることが重要である。

 日本では、英語教育のあり方について常に論争が巻き起こっている。文法訳読式の伝統的な授業は生徒のコミュニケーション能力を育成しないと批判されて久しいが、読解力育成においては一定の役割はあるだろう。2009年の高等学校の新学習指導要領に打ち出された「授業は英語で指導することを基本とする」に対しては、その効率性、効果について専門家から批判の声が上がっている。小学校への英語教育導入についても賛否両論が絶えない。子供は確かに発音を真似したり、臆せず発話することに向いているが、「早ければ早いほどよい」と単純には言えないと筆者は考える。グローバル化に伴い、日本人学習者が目指すべきは従来の高学歴の英米の母語話者モデルとは限らないことがはっきりしてきた。重要なのは、日本人なまりがあっても、文法が多少間違っていても、自分の意図するところを場面に即して、できるだけ的確に相手に伝え、相互の友好的関係を構築することができる能力なのである。これは年齢が進み認知力や情緒面が発達するにつれて、段階的に身に着けることができる能力であり、その習得には時間を要する。

 グローバル社会で通用する英語運用能力は、英語の文法、語彙を学び、正解が一つしかない問題を解くだけでは育成されない。筆者は、学習者の英語運用能力育成のために、教室の内外でいくつかのプロジェクトを実施した。数年前に行ったのは、本学の学生と台湾の大学生との間でEメールによるペンパルプロジェクトである。日本人の学習者は英語でメールを書くことにも苦労したが、言語的な問題だけではなく、台湾の文化や、日本や中国との歴史的関係についての知識の欠如がたびたび誤解や困難さを生み出したことに気づき、驚いたようである。たとえば、台湾人のことを“Taiwanese”ではなく“Chinese”と呼称したり、かつての侵略国家として日本人は台湾人から嫌われているにちがいないというステレオタイプ観を表明したため、日本人学生はペンパルから何度も指摘を受けた。このような経験は、コミュニケーションをとる際に熟考するべき重要な視点、すなわち、言語使用者は社会的存在(social agents)であるという認識をもたせる一助となったと考えている。また、今月(2013年2月)は筆者が担当している「異文化コミュニケーション」ゼミの1年次の学生をシンガポールに引率した。多民族により使用されているさまざまな種類の英語に触れ、自らの限られた英語力を用いてコミュニケーション活動をする機会を得た学生たちが、今後自律学習者として成長することを願っている。

複言語、複文化主義を目指して

 最近日本でも注目を集めている、「外国語の学習、教授、評価のためのヨーロッパ参照枠(Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessment)」(欧州評議会より2001年に出版)の理念的基盤は、複言語、複文化主義に据えられている。27の加盟国、23の公用語を誇る欧州連合(EU)では、義務教育終了時までに、母語以外に2つの言語を使えるようになる(完璧さは求められない)ことを言語政策上の目標としている。学習者個人の中に、複数の言語や文化の知識・体験が有機的に関連付けられることにより自文化中心主義から脱却し、共同体としての平和、発展を促進する狙いがある。

 日本はEUと異なり、学習者が日常的に複数の言語、文化に接する機会が多いとは言えない。しかし、外国語を習得する過程で、日本人学習者の中に複言語、複文化の視点が芽生え、新しい価値観、多面的思考力が養成されることは、グローバル人材育成の要請に合致した方向性であろう。前例がない事象、複雑な課題に直面し、前向きに解決を目指し行動することができる人材育成につながる、英語以外の言語も含めた外国語教育のあり方について、さらに議論と実践が深まることが期待される。

参考文献
  • 大津由紀雄(編著)(2009)『危機に立つ日本の英語教育』(慶応義塾大学出版会)
  • Council of Europe (2011) Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessment. Cambridge: Cambridge University Press.
  • Crystal, David (2003) English as a Global Language. Cambridge: Cambridge University Press.
栗原 文子(くりはら・ふみこ)/中央大学商学部准教授
専門分野 応用言語学・英語教育
広島県出身。1990年津田塾大学学芸学部英文学科卒業。1992年ジョージタウン大学より修士号(言語学)、1998年国際基督教大学より博士号(教育学)取得。2001年中央大学商学部専任講師、助教授を経て、2007年より現職。大学英語教育学会、異文化コミュニケーション学会などに所属。