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深町 英夫

深町 英夫 【略歴

教養講座

奇妙な大衆運動の物語

深町 英夫/中央大学経済学部教授
専門分野 中国政治史

不思議なポスター

 「秩序を遵守すること」「道路は左側を歩くこと」「接待を減らすこと」「賭博をせず、喫煙をせず、酒に酔って暴れない」「飲食は清潔にすること」「礼儀正しく人に接すること」――こういった標語が、いささか時代がかった絵とともに記された、36枚のポスター集がある。題名を『新生活掛図』といって、1938年に中国で製作・発行されたものだ。

 私は大学院生時代、1994年から1995年にかけて留学していた、米国ハーバード大学のイェンチン図書館(Harvard-Yenching Library)の書庫で、この資料を初めて目にした時、不思議な既視感を覚えた。それらの標語の多くが、1985年と1989年に計3回訪れていた、中国の各地で見かけた様々な標語と、とてもよく似ていたからである。

 このポスター集は、1934年から1949年にかけて国民党政権が実施した、新生活運動という奇妙な大衆運動の産物であることを、私はすぐに知った。その頃に取り組んでいた国民党組織の形成過程に関する博士論文を、2002年までに執筆・出版し終えた後に私が、この新生活運動を次の研究課題に選んだのは、60年の時を遡る既視感に突き動かされたためにほかならない。

集団的な神経質・潔癖症?

 「ボタンをきちんと留めること」「頻繁に入浴すること」「物を拾ったら持ち主に返すこと」「穏やかな態度で話すこと」「所構わず痰を吐かぬこと」「家を頻繁に掃除すること」「駅・埠頭での乗り降りの際には一人ずつ順番に進むこと」「公園・劇場は清潔にすること」――このような日常生活上の様々な行為をめぐる、きわめて具体的かつ広範で微細な一連の規定こそが、新生活運動の提唱する内容であった。

 新生活運動が発動された1934年、国民党政権は共産党の根拠地を殲滅すべく、江西省で討伐戦争を実施しており、また満洲事変(1931年)から約2年半を経て、東北4省の領土的喪失が固定化しつつあった。だが、この運動は日中戦争(1937~1945年)や国共内戦(1945~1949年)の時期を経て、その内容・性質を変化させながらも、国民党の大陸統治が終焉するまで15年にわたり、一貫して遂行されたのである。

 このように深刻かつ重大な内憂外患に直面しながらも、なぜ国民党政権は日常生活習慣の改善などという、いささか皮相・瑣末とも思われる啓蒙運動を発動し、またこれがなぜ全国的大衆運動として長期にわたり展開されたのか。この時、集団的な神経質・潔癖症が突然に中国人を襲ったのか。それともこれは単に独裁政党による、強制的な大衆動員にすぎなかったのか。

身体を躾ける政治

 この深刻な危機の最中に重箱の隅をつつくような、時代錯誤とも思われる不可思議な運動にこそ、実は中華民国期の政治・社会・文化・軍事・国際関係といった諸相、さらには中国近代史の全体的な趨勢までもが凝縮的に表れており、いわば新生活運動を覗き窓とすることで、さながら万華鏡のような民国期中国像が現れ出る。

 この奇妙な運動の焦点となったのは、実は身体の維持・管理・操作・提示の方法であった。より具体的に言えば新生活運動とは、国民党政権が近代的な身体観・社会観を普及させ、中国人民の身体を「躾ける」ことにより、近代という時代に適応しようとする試みだったのである(その主張と活動の詳細については、下記の拙著『身体を躾ける政治 中国国民党の新生活運動』岩波書店、2013年を参照されたい)。

 「近代化」概念を定義することは容易でないものの、それが非西洋世界(少なくとも東アジア)においては、自ら国民国家を形成するか列強により植民地化されるか、そのいずれか(あるいは両方)の過程に伴って進行したと言って、おおむね間違いはなかろう。より具体的には(主に前者の場合)、列強に対抗して独立と統一を維持すべく、教育の普及や産業の振興といった社会編制の強化により、国家が社会から調達しうる人的・物的資源を、最大化することが必要となったのである。

 その一方で、従来は徴税や治安維持の受動的な対象にすぎなかった人民が、国家発展の担い手たる能動的な「国民」へと転化するのを促すため、次第に政治参加の制度化が求められるようになっていく。「身体の躾」による近代的国民の創出とは、国民国家の軍事的・経済的潜在力を最大化すべく、勤勉かつ健康な兵士・労働者の育成を企図した、社会編制の一環だったのである。

アダム&イブvs.蛇

 さながら新生活運動は、エデンの園で無邪気に暮らしてきたアダムとイブに、禁断の果実を口にするよう唆して、自己の身体が他者に見られる可能性に気づかせ、自然な身体を恥ずべき醜いものと認識させた、蛇のような行為であった。これに対して、もはや自己完結的な楽園に暮らすことのできなくなった中国人民は、往々にして「陽奉陰違〔面従腹背〕」の態度で応じたため、新生活運動は劇場化・空転して失敗に終わることになる。

 こうして近代的な国民国家の創出を成し遂げられなかったとはいえ、第二次世界大戦の戦勝国となることにより、曲がりなりにも中国の独立と統一を守り抜いたにもかかわらず、天/民の声はあまりにも国民党政権に厳しいものだった。あたかもアダムとイブに自身の恥部を気づかせた、狡猾ではあるが知恵に富んだ蛇が、呪詛・嫌悪・畏怖の対象となったごとく、いまだ存在せぬ想像上の「中国国民」との比較の下に、一度は中国人民を侮蔑・否定した国民党は、中国人民に唾棄・排斥されて大陸を去ることになる。

 これとは逆に、中国人民の最大多数を占める特定階級の、現実的な利益を代表するという正統性原理を掲げ、社会内部の競争関係を扇動・利用することに成功した、いま一つの前衛革命政党がこれに取って代わったのである。

ポストモダン超大国

 2003年に新型肺炎(SARS)が流行すると、さながら新生活運動の再来かと見まがうほど、日常生活上の紀律・衛生をめぐる中国人の「陋習」が、事細かに指摘された。2008年のオリンピック開催を前に北京では、毎月11日が「自発的に列に並ぶ日」と定められ、また所構わず痰を吐く行為が批判されている。2010年の万国博覧会を控えた上海では、市政府が住民に寝間着のまま外出せぬよう呼びかけ、その是非が議論を呼んだ。2012年には歩行者の信号無視を意味する、「中国式過馬路〔道路横断〕」が流行語となっている。そして現在も中国各地で、冒頭に掲げた『新生活掛図』に似た標語が目にされるのである。

 それでは、新生活運動の発動から約80年を経た今日に至っても、依然として中国は近代化に成功していないのだろうか。確かに「身体の躾」を通じた近代的国民の創出が、十分に達成されたとは言いがたい。近年しばしば愛国主義が暴力的な発現形態をとるのも、民族意識の強烈さ以上に公共意識の薄弱さを示すものだろう。その一方で、この間に中国が紆余曲折を経ながらも発展を続け、現在では世界に影響を与えうるほどの軍事力・経済力を持つ、超大国となっていることは言うまでもない。

 つまり、「身体の近代化」による国民創出という段階を迂回しながらも、中国は軍事力・経済力の増大と、それによる国際的地位の向上に成功しているのだ。換言すれば、先進諸国が経てきた近代化過程を辿ることなく、いわば特異な「後現代(post-modern)」超大国として、21世紀の中国は台頭しつつある。はたして中国は、古い「近代」という教科書の書き換えを迫っているのか、それとも現在の発展方式がいずれ有効性を失い、その時点で「近代」の補習を受けることを余儀なくされるのか――その答えは、まだ出ていない。

深町 英夫(ふかまち・ひでお)/中央大学経済学部教授
専門分野 中国政治史
1966年東京都生まれ。1988年京都大学文学部哲学科美学専攻卒業。1994年から1年間、ハーバード大学文理大学院歴史・東アジア言語課程へ留学し、1996年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了(学術博士)。その後、中央大学経済学部専任講師、助教授を経て、2004年より現職(2004~06年の間、スタンフォード大学フーバー研究所で客員研究員)。主な著書に『近代中国における政党・社会・国家 中国国民党の形成過程』、『近代広東的政党・社会・国家 中国国民党及其党国体制的形成過程』、『中国政治体制100年 何が求められてきたのか』、『孫文革命文集』、『身体を躾ける政治 中国国民党の新生活運動』がある。
深町英夫『近代中国における政党・社会・国家 中国国民党の形成過程』中央大学出版部、1999年。新規ウインドウ
深町英夫『近代広東的政党・社会・国家 中国国民党及其党国体制的形成過程』社会科学文献出版社、2003年。新規ウインドウ
深町英夫編『中国政治体制100年 何が求められてきたのか』中央大学出版部、2009年。新規ウインドウ
深町英夫編訳『孫文革命文集』岩波文庫、2011年。新規ウインドウ
深町英夫『身体を躾ける政治 中国国民党の新生活運動』岩波書店、2013年。新規ウインドウ