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川喜田 敦子

川喜田 敦子 【略歴

教養講座

歴史と向き合う―ドイツの想起の文化をめぐって

川喜田 敦子/中央大学文学部准教授
専門分野 ドイツ現代史

ドイツにおける歴史の想起

 今年は第一次世界大戦開戦100周年にあたる。日本でも、第一次世界大戦にちなんだ研究会、シンポジウム等の企画をあちこちで目にする。ドイツでもその状況は変わらないが、今年のドイツはもう少し忙しい。なぜなら今年は、第二次世界大戦開戦(1939年9月1日)75周年であり、連合国によるノルマンディ上陸(1944年6月6日)70周年であり、東西ドイツの建国(1949年)65周年であり、ベルリンの壁崩壊(1989年11月9日)25周年でもあるからだ。折しも、ウェブ上で公開されている首相動静のPRビデオでは、首相アンゲラ・メルケルが旧連合国首脳とともにノルマンディ上陸70周年記念式典に参加したことがトピックとして取り上げられている。

 とかくドイツは歴史の記念日を大事にする。そのうち少なからぬものがナチズムと第二次世界大戦に関わる日である。昨年はナチ党政権掌握(1933年1月30日)80周年であると同時に、「11月のポグロム」(かつては「帝国水晶の夜」と呼ばれたユダヤ人迫害事件)(1938年11月9日)75周年でもあった。今年、第二次世界大戦開戦とノルマンディ上陸の記念が終わると、来たる2015年には、アウシュヴィッツ収容所解放(1945年1月27日)ならびに第二次世界大戦終結(1945年5月8日)の70周年記念が控えている。毎年のように記念日がくるのである。というよりも、それだけ多くのことを記憶すべきだと考える想起の文化をもつ国なのである。

「過去の克服」と記憶の継承

 ドイツ―東西分断下の西ドイツ時代を含めて―がナチの過去と真摯に向き合ってきたことは、「過去の克服」というキーワードとともに日本でもよく知られている。「過去の克服」とは、ナチ体制の暴力支配と侵略戦争がもたらした帰結に対するドイツの取り組みの総称である。ドイツがナチ犯罪の被害者に対する補償と名誉回復に力を尽くしてきたこと、殺人罪(謀殺)に対する時効を停止し、ナチ犯罪の加害者に対する司法訴追を今日にいたるまで続けてきていること、ネオナチのような勢力を違憲として規制したりホロコースト否定論やナチ讃美を刑法で禁じるなどナチズムの再来を防ぐための措置をとっていること、ナチ時代の教訓を世代を超えて共有するために現代史教育の充実、記念碑・歴史資料館の建設などにおいて積極的な取り組みを続けていることは、国際的にも高く評価されている。

 記念日や記念式典は、「過去の克服」のなかでも、最後に挙げた記憶の継承の領域に属する。これが私の主たる関心領域である。「過去と真摯に向き合う」と言うと、一般的には、自国の過去の負の側面をも率直に認めるという意味になろう。ドイツが過去と向き合う姿勢の根本にこれがあり、被害者集団や近隣の被害国との関係再編の基礎となったことは論を俟たない。しかし、ドイツの取り組みの「真摯さ」の意味はそれに尽きるものではない。そのことをドイツを代表する政治家の近年の二つの演説に着目して考えてみたい。

責任の主体をめぐる認識の変化

 昨年11月9日、「11月のポグロム」75周年追悼演奏会がポーランドとの国境近くの町フランクフルト・アン・デア・オーダーにて開催され、大統領ヨアヒム・ガウクが演説を行なった。この演説で強調されたのは、75年前にユダヤ系の市民に暴行し、店舗やシナゴーグを破壊・略奪・放火したのは「極めて普通の人」だったという事実である。

 ナチ体制崩壊後のドイツでは、「ナチ」は絶対的な「悪」であると受け止められてきた。ただし、「ナチ」とはヒトラーを中心とする少数のナチ党幹部、狂信的ナチ・イデオロギー信奉者を指す。ナチ体制下で行なわれた諸々の犯罪についても、一部の「ナチ」の仕業であり一般人の与り知らなかったこと、とされる時期が長く続いた。

 これに対して、一般のドイツ人もナチ体制の犯罪行為に加担したという考えが浸透しはじめたのは1980~90年代であろう。きっかけは、学術的には、歴史学において地域史、日常史への関心が高まり、歴史を個人の経験に引きつけて考える流れが生じたことである。社会的には、ユダヤ人殺害にドイツの正規軍(国防軍)が関わっていたことが、「国防軍の犯罪」展という1995年に始まる歴史巡回展示で取り上げられて大きな話題になったことが挙げられる。これらが契機となって、ナチ時代は、必ずしも狂信的ナチではない、一般のドイツ国民までもが罪を犯した時代として想起されざるをえなくなったのである。ガウク演説はこの変化を意識したものになっている。

民主主義と市民の自覚

 ただし、ガウク演説は単に歴史上の責任の所在のみを問うたものではない。ナチの過去をめぐるドイツの記憶継承には、個々の市民に歴史的のみならず今日的な文脈でも自省と自覚を促す方向性が強く存在する。このことは、昨年1月30日、ナチ党政権掌握80周年記念日に行なわれたメルケル演説にも見て取れる。

 ベルリンのゲシュタポ本部跡地に2010年に完成したナチの過去に関する歴史資料館「テロの地誌」の特別展「ベルリン1933年―独裁への道」の開幕式典で演説した首相メルケルは、「人権も自由も民主主義も自然に実現するものではない」、「批判を受けようとも逆境に立たされようとも、他者を尊重し、責任を果たし、勇気をもって意見を表明する覚悟をもつ人間」がいなければそれらは成り立たない、「ドイツが行なった残虐行為を想起するにあたり、このことが常にわれわれに責務として求められている」と述べたのである。

 こうした認識を支えるのは、ドイツの「戦う民主主義」の思想である。これを体現する憲法規定としては、現在のドイツの民主的共和制秩序を脅かす者に抵抗する権利をすべてのドイツ人に保証した基本法第20条4項がある。この規定は、憲法(基本法)に定められた基本的人権の尊重、民主主義、社会国家、連邦制、共和制などの諸価値を戦ってでも守ることを権利と認めたものであり、また市民にその自覚を求める源泉ともなっている。メルケル演説にも、主権者であること、市民として責任を果たすことへの自覚を促す姿勢が強くにじみでている。

歴史・現在・未来

 ヴァイマル共和政の時期、ドイツは世界的に見ても先進的な憲法をもち、議会制民主主義を実現しながら、短期間のうちにその崩壊を経験した。西ドイツ建国後、1950年代には、「ボンはヴァイマルではない」という言葉がよく聞かれた。西ドイツがヴァイマル共和政の二の舞になるのではないかという不安を示す言葉であり、そうはさせまいという決意を示す言葉だった。以来、民主主義は手に入れることよりも、維持することこそが難しい、だからこそ戦ってでも自分たちで維持するのだという覚悟がドイツ社会には脈々と息づいているように見える。この民主主義を維持することへの決意が、ナチの過去の想起と関連づけたかたちで、折りに触れて確認されるのである。このように、負の過去との取り組みが現在の民主主義の強化に積極的につながる点は、ドイツが過去と向き合う姿勢の大きな特徴のひとつと言えるだろう。

 無論、歴史を現在の文脈に照らして解釈し、教訓を引き出そうとすることが常に正しいとは限らない。1999年のNATOによるコソヴォ空爆の際には、ドイツ連邦軍の空爆参加への賛否両論が国内でともにナチの過去に照らして正当化されるという現象がみられた。これは歴史の政治利用との批判を免れえないだろう。過去の歴史的事実に現代の基準を無批判に投影することにも慎重でなければならない。他方、当時の文脈に照らせば合法であった、通例であったというかたちで過去の行為の弁明に終始し、その後の人権観念の発達や世界史の展開を十分に踏まえた未来像を示そうとしない態度をもって歴史に対して誠実だと評すこともできない。歴史を語るうえでは、歴史と現在の双方を見据えながらいかに未来を展望するかが常に重要な課題となる。

 歴史を顧みることを現在と未来のあるべき姿、それを自ら作り出す覚悟と結びつける想起の文化はことさら言いたてるまでもなく今日の日本も共有しており、ただその中核に「平和」という価値を置く点に違いがあるだけだと言うこともできなくはないだろう。しかし、ドイツの想起の文化について考えるたびに、中核的価値を維持する覚悟がどこまであるか、民主主義・人権といったその他の価値をわれわれの想起の文化はどこまで支えているか、必ずしも支え得ていないとするならばそれは何によって補われているのかいないのか、多くのことを自問せずにはいられない。

川喜田 敦子(かわきた・あつこ)/中央大学文学部准教授
専門分野 ドイツ現代史
東京都出身。1997年東京大学教養学部教養学科卒業。1999年東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。2002年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学術博士(東京大学)。東京大学大学院総合文化研究科・教養学部ドイツ・ヨーロッパ研究センター特任准教授、大阪大学大学院言語文化研究科准教授等を経て、2013年より現職。
現在は、ドイツにおける「過去の克服」(戦争賠償と被害者補償、歴史教育、国際歴史教科書対話ほか)、第二次世界大戦の戦後処理とヨーロッパ地域秩序の構築、「引き揚げ」の国際比較等を重点的な研究テーマとしている。主要著書に『ドイツの歴史教育』(白水社、2005年)、『図説ドイツの歴史』(河出書房新社、2007年)(石田勇治ほかと共著)などがある。