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緑川 晶

緑川 晶【略歴

教養講座

心理学の国家資格

緑川 晶/中央大学文学部教授
専門分野 神経心理学

心理学が抱える問題

 心理学は人の心を対象とした学問であるが、その領域は多岐にわたる。たとえば、子どもの発達を扱う発達心理学や、見る・聴くなど人の認識を探ろうとする知覚心理学、人々が行動するときの共通性を見いだそうとする社会心理学など、分野を挙げればきりが無い。しかし、その多くは学問として成り立っている一方で、国民が直接の恩恵にあずかることは少なく、おそらく関心が向いたときにそれらの書籍を手にする時くらいであろう。

 一方、国民の多くに関わりのある分野として臨床心理学がある。以前から病院では臨床心理学の専門家が活躍し、心理的な問題を抱える人を対象に評価やカウンセリングが行われてきた。近年では学校にスクールカウンセラーが配置され、臨床心理の専門家がより身近になり、実際に心理学を目指す学生の中にも、そのような経験から進路を考えるようになった者も少なくない。そしてより最近では、犯罪や大規模な災害があった場合に心理の専門家が派遣されるということを耳にするようになってきた。

 このように各現場で活躍しているように映る心理の専門家であるが、現時点では国家的な裏付けが乏しい状態で働いているのが現状である。そのため雇用も安定せず、たとえば多くの子ども達が恩恵にあずかるはずのスクールカウンセラーは時給こそ破格の扱いではあるが、非正規雇用であるため、その多くが将来の見通しを持つことが出来ない状況にある。

国家資格化のうごきへ

 特に病院で働く心理職にとって国家資格が無い中での活動は、心理職だけではなく、患者さんたちにとっても不幸な状況である。なぜなら病院の業務は診療報酬の多寡で判断されるが、心理職の活動の多くが医療保険の対象とならないため、たとえ患者や病院にとって必要性が高い職種であったとしても病院にとっては雇用しようとする動機づけにならない。そのため医療現場での心理職がなかなか増えない状況が続いている。また、医療機関で心理士のカウンセリングを受けたいと思っても、医療保険の適応ではないため、支払う金額も高額にならざるを得ない。

 心理職と比較的近い立場であった言語聴覚士が、1997年に国家資格化がなされてからは、養成校や卒業生が増えただけではなく、着実に雇用の場が増え、活躍する分野も医療・教育だけではなく、介護の分野にも広がって来たのとは対照的である。

心理職の国家資格とは

 このような状況に対して、心理学の関連団体も手をこまねいていた訳ではなく、これまで国家資格化のうごきが何度か試みられたが、心理学界内外の様々な利害があったため、直前になって流されてしまう状況が続いていた。しかし今年に入って状況が一変した。関係者同士の調整が進み、2014年6月16日にようやく「公認心理師法案」が提出され、この秋の臨時国会で審議される見通しとなった。提出された法案の第二条には公認心理師の定義として、以下が記述されている。

第二条 この法律において「公認心理師」とは、第二十八条の登録を受け、公認心理師の名称を用いて、保健医療、福祉、教育その他の分野において、心理学に関する専門的知識及び技術をもって、次に掲げる行為を行うことを業とする者をいう。
 一 心理に関する支援を要する者の心理状態を観察し、その結果を分析すること。
 二 心理に関する支援を要する者に対し、その心理に関する相談に応じ、助言、指導その他の援助を行うこと。
 三 心理に関する支援を要する者の関係者に対し、その相談に応じ、助言、指導その他の援助を行うこと。
 四 心の健康に関する知識の普及を図るための教育及び情報の提供を行うこと。

 この法案の成立によって、心理職が医療だけではなく教育の現場においても、より安定した立場で支援を行えるようになり、国民にとって心理職がより身近になることが期待される。今後の動向を見守って頂きたい。

神経心理学という領域

 われわれの研究室は、神経心理学という領域で活動している。神経心理学とは、脳科学的な視点を持った心理学とも言えよう。一見すると理系的な領域のように感じるかもしれないが、対象は脳に疾患や障害を持った方々やその家族であり、臨床心理学的な視点が欠かせない。

 たとえばリハビリテーションの領域では、交通事故や脳卒中などで脳に障害を負った方々を対象に評価や訓練、相談などを行うが、障害された脳の機能回復を促すとともに本人が自己の状態を理解することを支えることが大切となる。一方で、神経内科の領域では、認知症の患者さんを対象とすることが多いが、評価だけではなく、患者さんの家族に対する支援や理解の促しがとても重要になってくる。

 なお、われわれの研究室では、都立駒込病院脳神経外科と共同して、覚醒下手術中の神経心理評価にも取り組んでいる。覚醒下手術とは、脳腫瘍などの手術の際に、手術の途中で患者さんに目を覚ましてもらい、言語や運動などの機能を随時確認しながら、摘出手術を進める手法で、脳の機能を温存するのに適した手術法と考えられている。実際に手術にあたっては、手術が長時間にわたるため、評価だけではなく、患者さんが快適に続けられるように心理的な支援を行うことも大切な役割である。

 このように神経心理学は、これまでの障害があった脳の機能回復を支援するというだけではなく、実際の医療現場の中で、脳を守るという方向に対しても支援を行うことが可能な領域でもある。

脳という共通言語

 脳は人間心理の基盤であり、脳によって私たちの認識や行動が支えられている。そのため、脳が障害を受けると様々な形で日常の生活にも支障を来す。たとえば額の位置にある前頭葉が障害を受ければ、段取りを付けて仕事をすることが難しくなったり、注意を維持することが難しくなったりする。より後ろにある頭頂葉が障害を受ければ、文字の読み書きが困難となったり、方向の判断が難しくなったりするという具合である。

 逆に脳に明らかなダメージを受けていないにもかかわらず、子どもの頃から注意を維持することが難しかったり、いくら勉強しても文字の読み書きが苦手な人々がいるが、実はそのような人々の脳機能を調べて行くと、前頭葉や頭頂葉の問題が見いだされることがある。また、年を取ってから段取りをつけることが難しくなったり、方向の判断が徐々に難しくなることがあるが、このような困難の背景にも脳の機能低下が関与していることが少なくない。

 このように脳損傷だけではなく発達障害や認知症、さらには統合失調症などの精神疾患についても、脳という共通言語を通してみることによって、人間の行動の理解に結びつくことがある。また、そのような背景を理解した上で対応方法を考えたり、患者や家族に対する説明をして理解を促して行くことが、この領域における大切な役割でもある。

おわりに

 以上のように神経心理学を背景とした人間の理解は、多くの可能性を有しているにもかかわらず、本邦では先に述べた国家資格化の問題とともに、神経心理学の知名度や位置づけがまだまだ不十分である。一方、米国では心理学を学んだ上で博士の学位を取って心理学者(Psychologist)となり、さらに研鑽を積んだ上で、その上位に位置する臨床神経心理学者(Clinical Neuropsychologist)としての資格(州としてのライセンス)を取得する制度があり、臨床神経心理学者としての開業も可能である。ここまで求めないまでも、「公認心理師」が国家資格として成立した上で、本邦における神経心理学の認識が向上することを願っている。

緑川 晶(みどりかわ・あきら)/中央大学文学部教授
専門分野 神経心理学
東京都出身。 1971年生まれ。 1995年中央大学文学部卒業。2002年中央大学大学院文学研究科博士後期課程修了。 博士(教育学)。中央大学文学部専任講師・准教授を経て2013年より現職。文中に紹介した以外にも、地域のリハビリテーションセンターや、神経内科(昭和大学)をフィールドとして活動し、脳の機能障害によって「なにができないか」だけではなく「なにができるか」の研究を行っている。
主要著書に『音楽の神経心理学』(医学書院、2013年)、論文に、『The emergence of artistic ability following traumatic brain injury』(共著)(Neurocase誌、2014年)などがある。