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松山 登喜夫

松山 登喜夫【略歴

教養講座

文化としての数学

松山 登喜夫/中央大学理工学部教授
専門分野 偏微分方程式論

1.文化性を感じにくい学問、数学

 数学は中学校から学ぶ科目であるにも拘らず、多くの人が苦手意識を持ち世の中にはなかなか理解されにくい学問分野です。「小学校のときは算数ができたのに、中学から因数分解がわからなくなった」などが原因で数学を敬遠することになった方が多くいます。また「二次方程式が解けたからといってそれがどうした」などの数理的関心が全くないというようなコメントも耳にすることもあります。高校で習う代数、三角関数、指数関数、ベクトル、行列、微分積分も高校を卒業したあとに使う機会は滅多にない人も多いと思います。さらに数学は世の中にどのように役に立っているのかという質問も寄せられることもあります。音楽や美術あるいは文学とは一見異なり、数学は世の中にどのように役立っているかがわかりにくく文化性を感じにくい学問であると思われているせいか、とかく敬遠されがちです。本稿ではなぜ数学を学ばなければならないのかを考えながら、数学を学ぶ意義、数学の研究の方法、特に私の専門分野である偏微分方程式の研究について報告いたします。

2.数学は文化である

 この世の中に音楽や美術、あるいは文学が存在しないとしましょう。人類はどのように進化(あるいは後退)していくでしょうか。おそらく人々は欲望に駆られ、争い事が絶えず人間の尊厳などという考え方を持てないのではないかと想像できます。人間を大事にするという姿勢は我々人類にとって最も基本的かつ必要不可欠なことと考えられます。芸術・文学は人類の知的創作活動であり作品は後世残されるべきものが多くあります。芸術はその時代の民衆の趣向、価値観を具現化するのに最も適した人間活動ではないでしょうか。実は数学の研究者はいつも数学的「美」を探求しており、数学の研究は知的人間活動の一つです。このような観点から数学の研究は芸術家の行為と何ら変わることはないと考えられます。つまり数学は「文化」であり、単に科学技術に知識を提供するだけではない、人類にとって必要不可欠な「芸術」であり知的創作活動です。「(数学的)美」を実現することはとても難しいのですが、我々はいつもこれを目指し、欠けた知識はその都度補い、時には必要な道具は自分でこしらえ「補題」なる形で証明の中に加え、またアイディアが湧かない時には湧くまで集中力をそぐことなく落ち着かない行動をすることもあります。結果として、数学の研究者は人々に奇異に映ることも多々あります。ここで「素数は無限に存在する」という定理について考えてみましょう。素数とは1と自分自身以外に約数を持たない整数(2,3,5,7,11,13,…) のことをいいます。この定理はギリシャ時代からよく知られているもので、紀元前3世紀頃のユークリッドの著書「原論」で既に証明されていました。素数は一見ランダムに並んでいるように見えますが、どのように分布しているのかについては19世紀になってようやく認識されるようになりました。「素数が無限にあってその分布がわかったからそれがどうした」と問いかけられても私は何も返答できません。それ自身美しいからであって、世の中に役立つために考えられたのではないからです。このように数学の研究は、即効性のある理論を追求しているのではなく、それ自身に美を感じる研究対象を自ら選択し「定理」として具現化することであると私は考えます。ここで必要となることは、物事を筋道建てて考えていく論証能力と計算能力です。時には背理法に依ることもあります。すなわち、成り立ってほしい命題を直接証明するのが難しい場合、結論を否定して推論すればもともとある仮定に矛盾し、したがって命題の結論が正しいという論法です。この論証では命題の否定に慣れていなければなりません。例えば、「すべての人間は善人である」という命題を否定してみましょう。答えは後に与えることにして、手強い問題の証明の論証作業では命題の否定を考えることは多々あり、苦しいのですが楽しくもある思考過程を経て証明を遂行します。計算だけで示せる数学的帰結は定理と呼ぶにふさわしいものではないと思います。論理と計算が一体となって証明が表現されている命題が定理であると考えています。前述の問題の答えは、いろいろな表現がありますが、「この世には悪人が存在する」です。

3.謎多き方程式:キルヒホッフ方程式

 私は数学の一分野である解析学を専門に、特に波動方程式の解の存在や漸近挙動について研究してきました。最近はキルヒホッフ方程式を扱っています。以下では私の研究の紹介をとおして数学の研究の一つの側面を紹介します。この方程式はキルヒホッフが1883年にドイツ語で書かれた彼の「力学講義」の著書で発表されたものであり、縦方向の振動よりも横方向の振動が大きい弾性弦の振動を記述する方程式として提唱された2階双曲型準線形偏微分方程式として知られています。方程式は波動方程式に似ていますが未だに謎が多い方程式の一つです。この方程式は1940年にロシアの数学者Bernsteinによりようやく実解析解の時間大域解の存在が証明されました。それ以来実解析性を拡張する機運があるにもかかわらず未だに満足すべき解が得られていません。話は変わりますが、流体力学に現れる基礎方程式であるナビエ・ストークス方程式の時間大域解の存在についても未だにわかっていません。この未解決問題はクレイ数学研究所の懸賞金がかかったミレニアム問題として有名なものです。キルヒホッフ方程式をミレニアム問題に付け加えてもおかしくないという数学者もいます。しかしナビエ・ストークス方程式と違いキルヒホッフ方程式は現実問題に則しているかどうかを疑問に思う学者もいます。キルヒホッフ方程式はエネルギー保存則という保存量を持っています。方程式に保存量が多くあればあるほど解析しやすのですが、波動方程式と同様にキルヒホッフ方程式にはエネルギー保存則の一つしかありません。このような未解決問題に目下取り組んでいますが、いろいろ考えているうちあるアイディアが湧きました。証明は背理法に依りますが、証明が完結したらどこかで発表します。

4.言語としての数学

 前述した数学嫌いの方が多くいる一方で、数学は自然科学の基礎をなす学問という認識をもち数学をこよなく愛する方も多くいます。数学科には教員志望やIT関連企業に就職するためにフレッシュな新入生が入学しています。彼らの多くは将来数学に関連した仕事に就きたいという希望があります。理工学部数学科では広く代数学、幾何学、解析学を中心としたカリキュラムが組まれており、さらに統計数学、計算機数学の科目も設置されており、論理的思考力や高度な数理的知識が学生に身につくよう指導しています。数学は確実に計算できれば良いだけではなく、自然現象や数理経済理論等を記述する「言語」という見方をもち、数学の諸定理を身につけておけばこれらの分野を理解するのには大いに有益であるはずです。しかし、前述したように数学を学ぶのに最も重要なことは、物事を論理的に考え論証能力を身につける姿勢です。できれば数学の文化性を感じ取っていただければ我々数学科教員一同本望につきます。最後に、高度な数理的知識を積極的に学ぼうとする意欲を持つ多くの若者が本学数学科に入学することを心より願っております。

松山 登喜夫(まつやま・ときお)/中央大学理工学部教授
専門分野 偏微分方程式論
北海道函館市出身。1958年生まれ。1983年東京都立大学理学部数学科卒業。
1986年東京都立大学大学院理学研究科修士課程修了。
1995年 博士(理学)(東京都立大学)東海大学理学部助教授・教授を経て2011年より現職。
現在の研究課題は、キルヒホッフ方程式の時間大域的Gevrey級解の存在について研究をしている。
主要著書は Global well-posedness of Kirchhoff systems, Journal de mathématiques pures et appliquées (Liouville's journal) 2013, (with M. Ruzhansky)  他多数。