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酒井 克彦

酒井 克彦【略歴

税務コンプライアンス

酒井 克彦/中央大学商学部教授
専門分野 租税法、税務会計

本稿は、JSPS科研費15K03220の助成を受けたものです。(広報室)

1.はじめに―租税法令遵守に関する企業と国民の意識―

 企業のコンプライアンスに対する意識改革が進む中、コーポレートガバナンス議論はまさに花盛りの時期を迎えている。法令遵守がひいては企業価値を高めるという視角が、今後ますます注目を浴びることになることは間違いない。

 しかしながら、かかる法令遵守の文脈で論じられる「法令」のうち、果たして租税法はどれほど重要視されているのであろうか。思うに、会社法や金融商品取引法、独占禁止法や消費者関連法などの領域では内部統制システム等を通じて相当程度のレベルで法令が遵守されているものと思われるが、租税法はさほど意識されているようには思えない。

 企業の「脱税」や「申告漏れ」に関する報道は日々行われているものの、これら税務当局から指摘された事件の多くは、かかる企業側のスポークスマンにより、「当局の指摘のとおりに修正申告を終え、納税も済ませております」とか、「当局との見解の相違がありましたが、是正処理は済ませております」といったコメントが発表され事なきを得ているようにも思われる。しかしながら、管見するところではあるが、企業の租税法令違反に関して株主から強い批判を受け、結果的に経営陣が退任するというような事例をほとんど聞いたことがない。あろうことか政治家の所得申告漏れ事案であったとしても、必ずしも致命傷にはなっていないようにさえ思える。これは政治資金規正法違反の場合に一時的かもしれないが激しいバッシングを受けることと比較すれば、由々しき事態ではなかろうか。

 他方、諸外国では、脱税とまではいかなくとも大規模な租税回避をしていると指摘されたスターバックスに対して、国民(消費者)による不買運動が起きていることは周知のとおりである。脱税は明らかに租税法令違反である一方、租税回避は必ずしも租税法令違反とはいえないにもかかわらず、このような国民レベルでのムーブメントが生じていることは注目すべきであろう。また、グーグルの租税回避に対するマスコミの報道をきっかけとして、インターネットを通じて広告ビジネスを展開する多国籍企業を対象とした、いわゆる「グーグル税」の創設がなされたり、パナマ文書に名前があがったイギリスのキャメロン首相らが退陣したりしている。これら諸外国の例と比較すれば、我が国の租税法令遵守に対する意識は、国民レベルでも相対的に低いものといわざるを得ない。

 税務を取り巻く環境は、企業の国際化、ITC化等を背景に、高度複雑化を極めているが、これにより税務調査の困難性は日々高まっている。さらには、税務当局の人的資源の制限から、調査日数の確保や、調査着手件数を現状どおりに維持することもままならない。そこで、近時は、納税環境整備として、ペナルティである加算税制度の強化や資料情報制度の拡充などが行われてきており、いわゆる抑止力と資料収集によって適正申告を維持する方向にあるといってよい。

 そこで、国税庁が関心を寄せているのが、企業のコンプライアンス意識の醸成である。近時、同庁は「税務に関するコーポレートガバナンス」に対する取組みを展開し、税務に関するコーポレートガバナンスが構築されていると認められる企業については、税務調査の省略という特典を与える仕組みを用意することとしている。

2.国税庁の「税務に関するコーポレートガバナンス」

 国税当局は、①企業における税務に関するコーポレートガバナンスの取組みの確認をし、②その判定を行った上で、③トップマネジメントとの面談を行い、④その結果、税務に関するコーポレートガバナンスの状況が良好であり、調査結果に大口・悪質な是正事項がなく調査の必要度が低いと判定した場合に、⑤企業側に、一般に税務当局と見解の相違が生じやすい取引等を自主的に開示(以下「自主開示」という。)を促し、⑥当局がその適正処理を確認することを条件に次回調査までの調査間隔を延長することとしている。

 この事務の中では、税務当局は、税務に関するコーポレートガバナンスの状況が良好な法人に対して行うトップマネジメントの面談時に、調査間隔を延長する条件として、自主開示に同意するかの確認を行うこととしている。自主開示は、調査間隔を延長した結果、調査の事務負担が過重とならないために行うものであり、当局の確認の結果、処理に誤りがあると思料される場合は、行政指導として自発的な見直しを要請する。このような、自主開示に同意した法人(延長対象法人)は、次回調査までの間隔を前回調査と今回調査の間隔より1年延長することになるのである。なお、この取扱いは平成28年7月1日より実施されている始まったばかりの施策である。

 このような取組みが浸透すれば、企業の行う税務に関するコーポレートガバナンスという視点が社会一般に共有され、いずれ、企業の税務コンプライアンスに対する株主の目線にも何らかの影響が出るのではなかろうか。すなわち、税務調査で非違が指摘され多額の加算税や延滞税が課された場合に、本来回避できた余計なペナルティ負担や企業イメージの下落等に対して、株主が経営者側を追及するということが考えられるように思われるのである。そうなると、もはや、「当局と見解の相違がありましたが、是正処理は済ませております」などといったコメントだけでは自体を収拾することはできないであろう。

3.税務コンプライアンスと企業の社会的責任

 企業が税務調査により非違事項の指摘を受けた場合、当局の意向に沿って修正申告をすべきか、更正処分を受けた後に訴訟において争うかという選択肢があり得るが、かかる局面においては訴訟における勝算を念頭に置いた判断も要求されよう。しかしながら、修正申告の勧奨を受けた際においては、単なる勝算の有無に拘泥するのではなく、租税法令の解釈の面から訴訟をすべきか否かを決するべきであることはいうまでもない。なお、この場面において、経営責任の原則が斟酌されるべきかについても議論の余地があろう。

 もっとも、税務当局が展開している「税務に関するコーポレートガバナンス」が、納税者のコンプライアンス意識に響くものでなければ意味がない。その際、なぜ、コーポレートガバナンスが論じられる必要があるのか、企業にとっては、税務調査省略のためという意義しか単に有しないものなのか、行政に押し付けられたものにすぎないのか等について考えることが重要である。

「税務に関するコーポレートガバナンス」は、本来あるべき姿としてどのように位置付けられるべきであろうか。そこでは、いかにして企業が主体的な納税者として自立し得るかという点を念頭に置いた議論が必要であると考える。

酒井 克彦(さかい・かつひこ)/中央大学商学部教授
専門分野 租税法、税務会計
東京都出身。2006年 中央大学大学院法学研究科博士後期課程修了。
法学博士(中央大学)国士舘大学法学部教授を経て2014年より現職、
現在の研究課題は、租税法と私法との交錯や租税回避論などである。
また、主要著書に、『フォローアップ租税法』(2010)、『ステップアップ租税法』、『所得税法の論点研究』、『ブラッシュアップ租税法』(以上2011)、『クローズアップ課税要件事実論〔第4版〕』、『スタートアップ租税法〔第3版〕』(以上2015)、『クローズアップ租税行政法〔第2版〕』(以上財経詳報社、2016)、『行政事件訴訟法と租税争訟』(2010)、『裁判例からみる法人税法』(2012)、『裁判例からみる所得税法』(以上大蔵財務協会、2016)、『プログレッシブ税務会計論Ⅰ』、『プログレッシブ税務会計論Ⅱ』(中央経済社、2016)、『レクチャー租税法解釈入門』(弘文堂、2015)、『アクセス 税務通達の読み方』(第一法規出版、2016)ほか多数の単著がある。