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滝田 賢治

滝田 賢治【略歴

現代中国の海洋進出―その背景と展望(前編)

滝田 賢治/中央大学法学部教授
専門分野 政治学、国際政治学

常設仲裁裁判所の裁定

 オランダ・ハーグにある常設仲裁裁判所(Permanent Court of Arbitration)は、2016年7月12日、南シナ海問題に関するフィリピン政府の訴えを認める裁定(Award)を下した(注1)。十分予想されたことではあるが、中国はこの裁定に対して激しく反発し、中国外務省の劉振民次官は記者会見で「この裁定は紙くず」「無効で拘束力もない」と断じ、「南シナ海問題には関係ない日本がこの問題を煽り、日本の柳井俊二氏が裁判官を指名して、この裁判手続きに影響を与えた」と非難した。12日にEUのトゥスク大統領と会談した際、習近平国家主席も「裁定は受け入れない」と宣言し、15日からウランバートルで始まったASEM(アジア欧州会議)で、李克強首相は安倍首相に「日本は関係ない事案に介入するな」と強圧的発言をするなど、中国は国家を挙げて国際法には従わない姿勢を強めている。

 中国の批判に対して、当時、国際海洋法裁判所長であった柳井俊二氏は次のように反論している。「5人の裁判官のうち2人は裁判の当事国が1人ずつ選任することになっており、フィリピンはドイツ人裁判官を選んだが、(裁判そのものを拒否していた)中国は権利を行使しなかった。そこで国際海洋法条約の規定により所長が任命することになった。中国にも書簡で事前に裁判官となる人物について提案したが返事はなかった。そこで紛争当事国でもなく関係国でもないポーランドの裁判官を選任した。残り3人はフィリピンと中国で協議して決める規定だったが、中国が参加しなかったため、規定により裁判長としてフランス、カナダ、ガーナ人を裁判官として指名したが、いずれも海洋法の知識を有する一流の専門家であった」(注2)

 フィリピンの提訴から3年半かけて下された裁定の柱は5つであった。第1に、中国が歴史的領有権を主張する「九段線(Nine-Dash Line)」には国際法上の根拠はない。第2にスプラトリー諸島(南沙諸島)には海洋法上の「島」は存在しない。岩や暗礁を埋め立てて構築物を建設しても領海や排他的経済水域(EEZ)と領空の権利は存在しない。第3に南シナ海において中国政府が行っている埋め立てや中国漁船による漁業は周辺海域の生態系を破壊している。第4に中国船はフィリピンの石油探索や漁業を不法に妨害している。第5に仲裁裁判が開始されていた間も大規模な埋め立てや造成を行ったことを非難する(注3)

大陸国家から海洋国家へ

 歴史的に大陸国家であった中国には海洋進出する動機は皆無とは言わないまでも希薄であった。1949年に成立した共産党政権は中国大陸内部における支配権を確立するために陸軍強化政策に重点を置き、結果的に海軍を軽視していた。その上、1960年前後から中ソ対立が激化し4,380㎞に及ぶ国境を防衛するため、更なる陸軍の強化が図られ大陸国家としての「伝統」が堅持されていた。1969年3月に発生した中ソ国境のウスリー川ダマンスキー島を巡る軍事衝突は、当時アメリカの大統領であったR.ニクソンに中ソ核戦争の可能性さえ危惧させるほどであった。しかし1990年前後以降の米ソ冷戦の終結は、中ソ対立も緩和させる効果を持ち、中ソ(露)は国境問題を解決していった。中国はロシアと1991年に中ソ(露)東部国境協定、1994年に中露西部国境協定を締結し、未解決の国境部分に関しては2004年に協定を締結してユーラシア大陸内部の紛争の可能性を低下させた。130年間の及んだタジキスタンとの領土問題も2011年1月に解決した。さらにインドとは長年にわたり係争の対象となっているインド東北部のアルナチャル・プラデーシ地方の帰属をめぐり2009年にホットライン設置協定を締結して未解決ながらも緊張緩和を実現している。大陸内部における国境紛争の解決が、海洋進出の大前提となっている。いわば中国は大陸国家から海洋国家へと国家としての基本的性格を転換させる条件を確保したのである。

沿岸海軍から近代海軍へ

 中国革命の指導者であった周恩来・毛沢東の死去(1976年1月と9月)の後、4人組による弾圧に耐え77年7月に3度目の復権を果たした鄧小平は、新憲法に「4つの現代化」を明記(78年3月)するとともに米中国交樹立を実現(79年1月)した。しかしアメリカのレーガン政権が台湾との関係を再強化する姿勢を示し始めると(注4)、鄧小平は海軍司令員(中国海軍司令官、89~97年中央軍事委員会副主席=制服組トップ)劉華清に「第一列島線(First Island Chain)」概念の具体化を指示し(82年8月)、中国は海洋進出と海軍建設への関心を強めていった。人民解放軍の最大の課題、それは同時に軍の最大の存在理由(レーゾンデートル)でもあったものは、中ソ(露)国境防衛から台湾併合――「イタリア・イレデンタ(未回収のイタリア)」になぞらえれば「未回収の中国」である台湾――へ大転換したため、この台湾を「防衛」していると中国が認識したアメリカがソ連・ロシアに取って代わり最大の潜在的仮想敵となったのである。建国以降80年代初頭まで、中国海軍は16,000㎞と言われる沿岸を防衛する沿岸警備隊程度の組織であったが、経済成長に合わせるかのようにアメリカ第7艦隊の動向を強烈に意識しつつ海軍の近代化を進めていった。

 劉は近代海軍建設の工程表を作成したが、それによると(1)1982年から2000年の18年間に中国沿岸海域を完全に防衛できる態勢を整備し、(2)2000年から2010年には第一列島線内部(中国近海)における制海権を確保し、(3)2010年から2020年に第二列島線内部の制海権を確保し、そのために航空母艦を建造する、(4)2020年から2040年にかけアメリカ海軍が太平洋とインド洋を独占的に支配する状況を打破する、(5)最終的には2040年段階でアメリカ海軍に対抗できる海軍建設を完了させる、というものであった。

(1)の時期に当たる1992年2月には、尖閣諸島、西沙諸島、南沙諸島を中国の領土であると規定した「領海法」を制定し、97年3月には海洋権益を固守することを明記した国防基本法である「国防法」を制定した。97年に劉司令員の後継者となった石雲生は、この「国防法」制定に合わせて「沿岸海軍」を「近代海軍」へ変革させるための「海軍発展戦略」を策定し、この中で第一列島線と第二列島線の概念(注5)を明確に打ち出した。もちろんこれらの概念は軍内部の国防方針であったが、次第に中国共産党政権の基本的国防方針として広く世界に認識されるようになっていった。

(2)の時期に当たる2005年3月14日には全人代が「反国家分裂法」を採択し、直ちに施行した。これは台湾が独立を宣言した場合、「非平和的手段」によりそれを阻止することを規定したものであり、独立志向の強い台湾の陳水扁政権を牽制するために制定されたものであったが、台湾側の激しい反発を呼んだ。さらに2009年12月26日には、全人代が①大陸沿岸付近の島嶼開発を制限し、②生態系の破壊を防止し、③国家海洋権益を保護することを目的とした「海島保護法」を制定して、翌2010年3月1日以降施行した(注6)。同年2月26日には全人代が、「国防動員法」を可決し、7月1日以降施行された。これは97年3月の「国防法」を基礎に制定されたものであり、中国国内で有事が発生した場合、全人代常務委員会の決定に従い、18~60歳の男性と18~55歳の女性に動員令が下り、個人・組織の物資・生産設備を徴用できることが規定されていた。

 2016年の現在は(3)の段階にあるはずであるが、(2)の段階の目標すら達成できずにいるため習近平指導部や人民解放軍、とりわけ海軍は焦っているようである。その焦りが南シナ海や尖閣諸島への一方主義的強硬政策に表れている。

  1. (注意1)^ フィリピン政府は2013年1月22日に国連海洋法条約に基づく仲裁裁判手続きを開始し、その旨、中国政府に通告していた。しかし中国政府は仲裁手続きを一貫して拒否し、関係国による交渉で解決すべきと主張してきた。
  2. (注意2)^ 「朝日新聞」2016年7月14日
  3. (注意3)^ Press Release: The South China Sea Arbitration (The Republic of the Philippines v. The People’s Republic of China), The Hague, 12 July 2016. Permanent Court of Arbitration
  4. (注意4)^ 1972年2月の上海コミュニケでは、台湾について米中がそれぞれの立場を両論併記するという外交史上、例のない形式をとったが、79年1月の国交樹立に際してアメリカ議会が「台湾関係法」を成立させ、この中で台湾には防御的兵器の供給を政府に義務付けている。
  5. (注意5)^ 第一列島線は九州から沖縄・台湾・フィリピンからボルネオ島に至る線を指し、これらの島嶼線を第一潜在敵のアメリカが侵入するのを阻止するものとして規定されている。一方、第二列島線は、伊豆諸島から小笠原諸島、グアム、サイパン、パフアニューギニアに至る線を指し、台湾有事の際(台湾が独立を宣言する場合)にアメリカ軍海軍の接近を拒否する海域と理解されている。
  6. (注意6)^ 中国領海には500㎢以上の島嶼が6,900あり、そのうち6,000が無人島で、1,400以上には島名がついていないと言われている。

<*後編に続く

(『白門』10月号より転載)

滝田 賢治(たきた・けんじ)/中央大学法学部教授
専門分野 政治学、国際政治学
1946年8月 横浜に生まれる
1970年3月 東京外国語大学英米語学科卒業
1977年3月 一橋大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得満期退学
1987年4月 中央大学法学部教授、現在に至る
1991年3月 ジョージワシントン大学(ワシントンDC)客員研究員(〜93年3月)
2002年4月 中央大学政策文化総合研究所所長(〜2008年3月)
社会活動:
国連大学グローバルセミナー委員・講師、東アジア共同体評議会有識者委員、かながわ国際財団インカレセミナー委員など
主要業績:
『太平洋国家アメリカへの道』(有信堂、1996年)、『東アジア共同体への道』(編著:中大出版部、2006年)、『国際政治:150号——冷戦後世界とアメリカ外交』(責任編集:日本国際政治学会、2007年)、「東日本大震災と日本の課題」『中央評論』(中央評論編集部、2012年1月)、『アメリカがつくる国際秩序』(編著:ミネルヴァ書房、2014年)、「グローバル化論の類型学」星野智編『グローバル化と地球社会の現実』(中大出版部、2014年)