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北井 辰弥

北井 辰弥【略歴

契約法に関する国際的共同研究

北井 辰弥/中央大学法学部教授
専門分野 英米法、比較契約法、法制史

はじめに

 中央大学の共同研究「アジア太平洋地域における法秩序多様性の把握と法の支配確立へ向けたコンバージェンスの研究」が文部科学省の私立大学ブランディング事業に採択されたことは、すでに佐藤信行教授が「リポートその1」において述べている。

 研究対象となる法域は、日本、韓国、タイ、香港、シンガポールおよびオーストラリアの6法域であり、対象となる法分野は、国際取引(契約)、紛争処理そしてデータプライバシーの3分野である。今回私は契約法の一部、すなわち「契約の成立」について、調査のための質問票を作成する作業を担当した。現時点では、各カウンターパートからの回答は届いておらず、質問票作成段階で気がついたことを述べてみたい。

対象法域について

 比較法研究において、しばしば世界の諸法域は、その一定の特徴によって分類されてきた。この場合、「法族」という言葉によって分類がなされるのが一般的だが、この言葉を世界でいち早く使用したのが中央大学の創立者の一人である穂積陳重であることは、ほとんど知られていない。穂積は、1884年に「五大法族の説」を発表したが、彼の系図学的な法族論は、法の継受関係を母と娘にたとえて説明した点において、ユニークであると同時にアジア的であった。

 穂積の理論に従うならば、ドイツのパンデクテン式の民法典を採用した日本、タイそして韓国は、少なくとも民法典の出生に関する限り、姉妹関係にあるといえるかもしれない。一方で、イングランドのコモン・ローをそれぞれ継受したオーストラリア、シンガポール、そして香港も、契約法に関する限り、同様に姉妹関係にあるとみることができる。

 もっとも、法族による分類は学術上のそれにすぎず、実務にとっては、各法域の具体的な法規範に関する情報こそが有益であろう。同じグループに属するとしても、各法域の原則は独自に発展をとげており、細部において異なることは当然である。動産売買や契約に関しては、全世界的規模の調査もすでに存在するが、今回の調査は、対象国をアジア太平洋地域の一部に絞っており、さらに詳細かつ深みのある研究が期待される。

契約の成立

 私が担当した部分は、「契約の成立」であった。実は、苦労したのは、質問項目を考えることよりも、むしろ回答例としての日本法の情報を作成することであった。タイミングが良いのか悪いのか、今年の6月に120年ぶりに日本の債権法・契約法の相当の部分が改正されたのである。当面は現在の民法が効力を保ち、改正民法は、2020年(日程は未定)から施行されるが、日本法の回答例においては、現行法と新法の2つの情報を提供しなければならなかった。まず、この点が回答例の作成にあたって負担となった。つぎに、これと矛盾するかもしれないが、提供する情報が少ないことにも悩まされた。私が担当した領域では、裁判例や学説といったものがなかなか見当たらなかったからである。

 ミルハウプト、ラムザイヤ、ウェスト著『日本の法制度』(2012年)は、アメリカ法と日本法を比較しながら「アメリカのロースクールの1年生が徹底的に勉強する申込みと承諾に関する法原則も、その大半について、日本の裁判所や法学部ではまったくといってよいほど関心が払われていない」といみじくも述べたが、判例集や教科書の類を調べながら、この点を改めて実感させられた。

 今回の債権法改正は、決して小さなものではない。例えば、契約の成立時期に関して、現行の民法526条1項は、「隔地者間の契約は、承諾の通知を発した時に成立する」と規定している。これは、当時の東京と大阪の商慣習にも配慮しながら、イギリス法のポスティングルールを採用したものであった。今回の改正では、この条文は法典から削除され、契約の成立時期は、承諾の通知を発信した時ではなく、相手方にそれが到達した時へと変更されることになる。CISGやユニドロワ原則の立場にしたがったのだろうが、これほどの大改革であるにもかかわらず、法律家の間で活発な議論が戦わされたようには思われない。

 懸賞広告にいたっては、議論自体がまったく聞かれなかった。例えば、迷子のペットを見つけた人に報酬10万円支払うというような広告である。この場合、広告を知らずにそのペットを飼い主に届けた人は、報酬を受け取ることができるのかという論点がある。英米法では、申込みを知らずに指定された行為を行ってもそれは承諾とはならず、したがって契約は成立しない。一方、ドイツ法はこうした広告を単独行為とみなして、広告を知らずにペットを見つけた者にも10万円の請求権を認めてきた。120年前の起草者たち(穂積陳重もその一人である)は、両者を熟知しつつ、英米法的な解決を意図的に選択したのだが、今回の改正では、ほとんど議論がなされず、ドイツ法と同様の趣旨の規定が採用されたのである。契約の本質論がなおざりにされたことも残念であるが、まるで条文の変更などは形式に過ぎず、日本人の法生活の実態にはあまり影響がないといわんばかりである。

むすび

 質問票を作成する過程で、実は、各国の制定法の規定や判例に関する基本情報であれば、比較的容易に入手できることがわかった。目下の私の関心は、他の諸法域においても、日本法のように「外見と現実が異なる」ということがあるのかという点にある。もしそうであるなら、地域における差異はあるのか。そもそも、なぜこのようなことが起きるのか。これらは法文化に関わる深遠な問いであって、現地の法律家との間で質問と回答を交換しただけではその答えに到達することは容易ではない。今後は国際シンポジウムなどの開催による本格的検討も必要となるだろう。共同研究は、緒についたばかりではあるが、中央大学の比較法研究における新たな一章となることを確信している。

北井 辰弥(きたい・たつや)/中央大学法学部教授
専門分野 英米法、比較契約法、法制史
愛知県出身。1964年生まれ。
1996年中央大学大学院法学研究科博士後期課程満期退学。
桐蔭横浜大学法学部助教授、中央大学法学部准教授を経て2014年より現職。
2016年にはチュレーン大学ロースクール客員教授として、「日本法」の講義を担当した。
最近発表した論文としては以下のものがある。
「アメリカ人法律家としてのベン・ブレークニ」法学新報、123巻7号(2017年)、「明治初期の陪審制度論」法学新報、121巻9-10号(2015年)、「イギリス契約法における信義誠実の原則」法学新報、121巻7-8号(2014年)、「イギリス契約法における法律関係形成意思―その史的素描」法学新報、119巻9-10号(2013年)。