パラスポーツへの関心が高まる中、それぞれの競技で世界の舞台を目指し、挑戦を続けるアスリートたちがいます。MS&ADインシュアランス グループの4人の選手に、これまでの挑戦と、未来へ向けた思いを聞きました。
多様な特性が競い合うパラ水泳の魅力
写真:エックスワン
――ご自身が取り組まれている競技について教えてください。
僕はパラ水泳の選手で、特に背泳ぎと個人メドレーに力を注いでいます。パラ水泳にはクラス分けがあって、肢体不自由の選手は1が最も重く、10が軽いという10段階に分かれています。僕が属しているのは8です。軽い方から数えて3番目なので、数字の上では「比較的軽いクラス」といえます。でも、その数字だけで各選手の状態や特性を理解することはできません。
同じ8の中でも、ハンデのある部位や程度は本当にさまざまなんです。腕に障がいがある選手もいれば、足に障がいがある選手、半身に麻痺がある選手もいる。肩が上がらない人もいれば、足首が固定されている人もいる。見た目では分からない違いも多く、スタートやターン、キックの強さなど、得意不得意の出方も全く違います。水泳には「腕のクラス」「足のクラス」という分け方がないので、同じ8の中で全く異なる身体特性を持った選手同士が、同じレースで競い合うことになります。
はい。そこがパラ水泳の一番の面白さであり、難しさでもあると思います。例えば僕は右肩と右足にハンデがあります。右肩は可動域に制限があり、右足は平泳ぎのキックがうまく使えません。個人メドレーでは四種目を順番に泳ぎますが、平泳ぎに入った瞬間、体感として一段ギアが落ちるような感覚になります。バタフライと背泳ぎでは前半から積極的に攻められるのに、平泳ぎではどうしても推進力が足りない。その落差がきつい。それでもレースは止まらないので、どう補うかを常に考えています。一方で、平泳ぎが得意で他の種目に課題を抱える選手もいます。全員が「できること」と「できないこと」を持ち寄って、同じ水面で戦っている。それがこの競技のリアルです。
クラス分けは、動かない部位や機能にポイントを割り振って決まります。ただ実際には、7寄りの8、9寄りの8といった幅があります。若い選手は成長や回復によってクラスが変わることもあります。条件が固定されているわけではない中で、どう自分の強みを最大化するか。どんな特性であっても、言い訳にせず、工夫に変えるしかない。その前提を受け入れたところから、僕の競技は始まっています。
試行錯誤で自分だけの泳ぎを追求
写真:エックスワン
――水泳を始めたきっかけを聞かせてください。
4歳の頃、右肩の軟骨肉腫の手術が終わった後に、親に勧められて始めました。水の中は無重力に近いので、陸上のような不自由さを感じにくかったんです。地面に立っていると、どうしても左右差や可動域の違いを意識しますが、水の中では体が浮く。その感覚が心地よかったのを覚えています。ただ、当時は「競技で上を目指す」というより、リハビリの延長のような感覚でした。パラ水泳の世界に入ったのは中学3年生のときです。それまでは、親の考えもあって、塾や英会話なども並行していました。「競技で戦うより、頭(勉強)で戦ってほしい」というのが親の方針で、高校に入ったら水泳はやめるという将来設計もありました。
はい。中学3年で出場した大会で思った以上の記録が出て、周囲の評価も一気に変わりました。進学校に進む予定で勉強もしていたんですが、海外遠征や合宿に柔軟に対応できる環境を優先して、直前で進路を変えました。親の願いとは違う方向になったわけですが(笑)。水泳でどこまでいけるか挑戦してみたいという気持ちが勝ちまして。そこから本格的に「自分の泳ぎ」と向き合うことになります。
僕は右肩の可動域に制限があり、右足もうまく使えません。一般のトップ選手のフォームを何度も映像で見て、同じように体を動かそうとしましたが、再現できない。キックで腰を浮かせようと意識しても、左右のバランスが崩れる。真似をするほど、自分との差を突きつけられる感覚がありました。何が足りないのかではなく、「そもそも同じことはできない」という現実に向き合う時間でした。
そこで考え方を変えました。できない動きを修正するのではなく、できる動きを最大化する。背泳ぎでドルフィンキックを混ぜる泳ぎを自分でやり始めたのは、その延長です。パラスイマーの体はそれぞれに違うので、教科書はありません。コーチに「正解」を示してもらえるわけでもない。映像を撮っては修正し、レースで試し、また戻る。その繰り返しでした。バタ足より浮力は落ちますが、僕にとっては推進力を生み出せる。代わりに消耗は激しく、レース後半は乳酸が一気にたまる。それでも僕は、自分の特性に合わせたこの泳ぎを選びました。
独創と学びの“ハイブリッド”で世界へ
写真:エックスワン
――荻原選手の挑戦を支えている原動力は何ですか?
成功体験ですね。本格的にパラ水泳に取り組み始めた1年目、16歳のときにインドネシアで開催された国際大会の4×100mフリーリレーに出場しました。「(強豪国の)中国には勝てないかもしれない。でもメダルは持って帰ろう」と先輩が声をかけてくれたレースでした。でも僕らは、金メダルを獲ることができたんです。あの瞬間の喜びは、今も忘れられません。そして「またあの感覚を味わいたい」という思いが、僕にとって最大の原動力になっています。
かつての僕は、一人で独創的な泳ぎを突き詰める傾向がありました。自分の体のことは自分しか分からないという思いが強く、他人の意見を入れすぎると自分らしさが消えるのではないか、とも考えていました。しかし背泳ぎのタイムが伸び悩んだ時期に、あえて周囲の声を取り入れる決断をしました。「その動きは抵抗になっているのではないか」「呼吸のタイミングを変えてみたらどうか」。そうした客観的な指摘を受け入れ、修正を重ねた結果、タイムは再び上向きました。独創性だけでも、模倣だけでも足りない。自分の感覚と他者の視点を掛け合わせる“ハイブリッド”こそが、今の僕の武器です。
今年の国際大会で自己ベストを更新し、来年の世界選手権につなげることです。国際大会では、4年に一度の大舞台の前年に行われる世界選手権でメダルを獲得した選手の約70%が、翌年も表彰台に立っているというデータがあるそうです。だからこそ来年は大きな分岐点になります。今年1月から練習環境を変え、メダリストと同じプールで汗を流しています。練習量も質も上がりました。世界基準のレースで結果を出し、再びあの高揚感を手にするための準備は、もう始まっています。
ガイドの声と記憶力だけを頼りに
写真:Nakajima/Timmerman/World Climbing
――會田選手が取り組まれているパラクライミングについて教えてください。
私はパラクライミングのブラインドカテゴリー、B1クラスで競技しています。視覚障がいのクラスはB1からB3まであり、B1は全盲にあたります。B1の選手は全員アイマスクを着けて登りますが、これは残存視力の差をなくし、条件をそろえるためです。
大会には選手と「サイトガイド」が出場。サイトガイドは、登っている選手に対して下から声でルート情報を伝える役割を担います。いわば“声で導くナビゲーター”ですね。ブラインドカテゴリーでは、選手とガイドが協力して登りを組み立てます。ただし、壁に取りつき、身体を動かし、最終的な判断を下すのは選手自身です。二人で進めながら、決断は自分で行う。その関係性がこの競技の特徴だと思います。
予選では前日にデモ動画が公開され、サイトガイドからルート情報がテキストで送られてきます。1ルート40〜50手ほど。その情報をスマホの読み上げ機能で確認し、翌日までに頭に入れます。映像のアングルや撮影条件によっては実際の印象と異なることもあるため、トライ前にサイトガイドと壁を見て相談しながら細かな修正を加えます。
登攀中、方向はクロックポジションで「1時」「3時」と伝えてもらい、距離は「近い」「普通」「遠い」「めっちゃ遠い」といった感覚的な言葉で教えてもらいます。センチ単位で伝えるペアもいますが、壁には傾斜があるため、下から見た距離と、実際に身体を伸ばしたときの距離の感じ方が異なる場合があります。細かい数値よりも、大まかな方向と適切なタイミングのほうが重要です。手を出した後に「もう少し右」「少し上」と修正しながら高度を上げていきます。
決勝では競技前に6分間だけ壁を確認する時間があり、その間にガイドと一気にルートをなぞります。実際に登るより速いテンポで確認し、できれば2周したい。6分という時間は短く、集中力にも限界があります。どこまで精度を高められるかが勝負です。
準備も丁寧に行います。足を置く予定のホールドは登りながら手で触れて感触を確かめる。前日にルートを覚える時間は一時間から一時間半ほどで区切る。限られた時間の中で情報を整理し、本番に臨む。練習は週3〜4日、持久力を高める登り込みを中心に行っています。派手ではありませんが、その積み重ねが結果につながると考えています。
世界との戦いで身に付けた強さ
最初に体験したのは9歳の頃です。本格的にジムに通い始めたのは中学生になってから。最初は半年に1回ほどだったのが、やがて週1の習慣になっていました。競技としては2011年、15歳で最初の公式戦に出場しました。
もともと運動が大好きだったわけではありません。小さい頃は障がいのない子たちと一緒のチームでサッカーをしていましたが、学年が上がり活動時間が遅くなると、暗い中でボールが見えにくくなりました。一方で、クライミングは壁と向き合えばいい競技で、自分の身体とホールドとの関係に集中できる。その感覚が心地よかったので、続けられたのだと思います。「もう少し登りたい」という気持ちが、自然と次につながっていきました。
写真:Nakajima/Timmerman/World Climbing
――これまでの競技人生における最も大きな挑戦は?
2022年からワールドカップに本格参戦し、2023年シーズンは全戦に出場しました。それまでは2年に一度の世界選手権が中心でしたが、年間を通して複数戦を戦うことは大きな挑戦でした。
私は16歳から国際大会に出場しています。若い時期から海外の大会を経験できたことは、今振り返ると大きな財産です。会場ごとに違う壁の質感や競技の進行のテンポ、言葉が十分に通じない中でのやり取り。そうした環境に早い段階で慣れられたことが、その後の結果につながっていると思います。
コンペでは一度の登りで順位が決まります。2回目ならうまく対応できそうな壁の登攀も、1回で決めなければならない。身体の状態も、集中力も、その瞬間に合わせる必要があります。ワールドカップを通して、その“一回勝負”を繰り返し経験しました。そうした経験の中で世界と戦う力が養われたように思います。
名声よりも大切なものがある
直近の目標は、アメリカで開催される次の国際大会で優勝することです。ただし、大会で実施されるクラスは限られています。実施クラスであるB1で競技する自分に求められるのは「いい登りを見せること」だと考えています。個人として名声を得ることよりも、パラクライミングが今後どう扱われていくか、その転換期の中に自分がいるという意識の方が強いです。2032年、2036年と先の未来に向けて、このスポーツが広がっていくかどうか。その流れを後押しできる登りができるかどうか。そこに責任を感じています。
写真:Nakajima/Timmerman/World Climbing
――會田選手がこれから挑戦したいことを聞かせてください。
競技の結果を追うことはもちろんですが、それと同じくらい、自分のクライミングそのものを高めたいと思っています。岩場で難しいグレードに取り組むことも、その一つです。競技で結果を出しても、自然の岩で通用しなければ悔しいんです。
大事なのは結果や順位より、登りの質。初めて触る難しいルートに、どれだけ冷静に対応できるか。限られた時間の中で、どれだけ精度を高められるか。その積み重ねが選手としての説得力につながると思っています。
目の前の一手を積み上げることが、競技の未来につながる。そう信じて、壁に向き合い続けたいと考えています。