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長谷川 聰哲

長谷川 聰哲 【略歴

近代国家樹立に邁進した王様の名前を冠した大学が百周年

長谷川 聰哲/中央大学経済学部教授
専門分野 国際経済政策、マクロ動学型産業連関分析

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シャム王国最古の大学設立の背景

チュラロンコーン大学創立者の二人の王の彫像

 タイ王国首都バンコクの中心に、この国で最も古くに設立された高等教育機関として名声を誇るチュラロンコーン大学がある。チュラロンコーン大学の名前は、シャム国家の近代化を果たしたことで知られる国王ラーマ五世(1853-1910)の幼少期の名前に由来する。国王は、近代的政治制度の確立を進める中で、文官研修所を1899年に設立し、3年後に近習学校と改称、その子息ワチラーウットが1910年にラーマ六世を即位すると、官吏養成のために文官学校を創立した。ほどなくして、それまでの組織を継承するものとして、医学、行政、工学、文理学部からなる総合的教育機関としてのチュラロンコーン大学が1917年に誕生した。今から、ちょうど100年前の3月26日のことである。

 ラーマ五世が統治した当時のシャム王国は、インドシナ全域での欧州列強の植民地化の圧力に喘いでいた時代である。ビルマ、マレーシアを植民地化した英国にマレー半島の一部を割譲、ラオスとカンボジアをフランスに割譲することで、かろうじて独立を維持することができた。

 日本は、当時のシャム王国と1887年(明治20年)9月26日、「日暹(にちせん)修好通商に関する宣言」(日タイ修好宣言)により国交が開始された。日本にとって、東南アジア諸国との外交関係を築くことができた初めての条約であり、今年は130年の節目を数える年にあたる。

 インドシナ半島の動乱期の中で産声を上げ、チュラロンコーン大学は100年の歳月を重ねた。近代国家を建設する王室とともに歩んできたチュラロンコーン大学は、現在では、19学部を数え、それに23のカレッジと研究所が設置された大学組織である。学生数は38,941名、2016年の教員数2,842名を擁するまでに発展している。

仏式により厳粛に執り行われた百周年式典

左から、チャヨドム・サブハスリChayodom Sabhasri前経済学部長、ブンディット・ユゥアアルポルンBundhit Eua-arpornチュラロンコーン大学学長、長谷川聰哲(中央大学経済学部教授)、ウォラウェット・スワンラダWorawet Suwanrada経済学部長
チュラロンコーン大学マハ・チュラロンコーン貴賓室にて 2017年3月25日 

 100周年目を迎える直前の昨年十月十三日に逝去されたラーマ九世こと、プミポン国王の服喪は公式に一年間続く時期にあたることから、チュラロンコーン大学の最高決定機関である諮問委員会は、華美を排してできるだけの百年を記念する行事の開催する内容をぎりぎりになるまで検討を重ねてきたようである。世界中に広く活躍するチュラ(チュラロンコーン大学の通称)の卒業生にしてみれば、百周年には以前から盛大なパーティーの開催を望む声が強いと聞いていた。

チュラロンコーン大学百周年式典参列者 前列左から二番目、新旧経済学部長に挟まれ着席 

 3月25日と26日の二日間での百周年式典行事の日程の最終的決定は、3月に入ってからだったようである。私がこの百周年式典行事に参加するようにとの連絡をいただいたのは、2週間ほど前のことであった。チュラロンコーン大学経済学部と中央大学経済学部の私のゼミナールとの学術シンポジウムを含む交流を、2012年に開始してから今年で6年目となる。毎年、研究室の学生の英語による論文作成を指導し、20名以上の学生諸君を引率して交流する企画を、チャヨドム前経済学部長をはじめ、スタッフの方々による交流の受け入れ努力に甘えながら、活動を続けてきた。昨年度からのウォラウェット新学部長もこの学生の交流をしっかり引き継ぐと仰って下さった。すでに、この交流企画は、両校の学部同士で締結した機関間学術協定により支援されている。一昨年からは、チュラロンコーン大学側からも十数名の学生が中央大学の多摩キャンパスを訪れ、同じように研究討論会が行われている。こうした交流の枠組みは、チュラの経済学部の先生方は私と時間をかけて作ってきた。

創立者の二人の彫像と百周年式典参加者 (長谷川は後方左から三番目)

 百周年式典には、多くの外国のゲストが当然参加されるものだと、私は思い込んでいた。訪問に先立ち、大学の百周年式典ということから、中央大学の酒井学長からチュラロンコーン大学ブンディット・ユゥアアルポルン学長宛てのお祝いの親書を準備して頂き、お渡しすることとなった。二日間の式典と関連行事が始まる3月25日の早朝、まさに世紀のイベントが始まろうとしていた。キャンパス内で大学を象徴する建築マハ・チュラロンコーンの一階に王室の方が来臨される際に使用する貴賓室がある。そうした世紀の行事が始まる間際に、学長との面会の場として貴賓室が使用されることとなった。私と同席しているのは、チュラロンコーン大学新旧経済学部長チャヨドム・サブハスリ先生とウォラウェット・スワンラダ先生である。


ラーマ五世、六世の祭壇に焼香

総長の焼香から参列者は続く

大学諮問委員でもあるチャヨドム前学部長と共に

 こうした緊張感漂うチュラロンコーン大学の早朝、大学のリーダー諸氏が、この貴賓室を囲むバルコニーに集合し、コヒーと簡単なサンドウイッチをつまみながら談笑している。元学長などの大学の刻んだ歴史に貢献してきた高齢の功労者、現学長、副学長、多くの学部長に交じって、外国人の私が一人多くのリーダーに紹介され挨拶をする。六時半を過ぎると、歩いて200メートル程の距離にあるチュラロンコーン王とその王子であるラーマ五世とラーマ六世の像の前に移動する。チュラロンコーン大学の馴染みの広場はいつもの佇まいと違い、この日のために祭壇として飾り付けられ、特設の卓上には多くのお供えが盛り付けられている。式典を執り行う仏教の導師の先導により、厳かに式典が開始された瞬間である。タイの仏教は、スリランカから伝来した上座部仏教で、日本などの大乗仏教とは異なる。

 参列者は120名ほどいただろうか。いずれも大学内の役職の方々であった。その集団には大学付属校の小学生も約二十名が後方で見守っている。祭壇のお供物は、タイの仏教らしく、果物、菓子に交じって、豚の頭や、蟹が大皿や鉢に盛り付けられている。学長がはじめに献花と線香をあげると、それに続き全ての参列者が線香を思い思いのお供えに挿して席に戻る。私も周りに習って、日本では洒水灌頂(しゃすいかんちょう)と呼ばれる「法性水」(ほっしょうすい)を頭と顔にかけたあと、供物の豚とバナナに線香を挿した。

 大学の象徴的な一角に参列した小規模で執り行われたこの式典こそ、チュラロンコーン大学百周年記念行事の幕開けであった。二日目の夕刻には、公式行事と切り離して行われる同窓生二千名ほどが集まるための会場設営が、この祭壇と式典を囲むパーティションの向こう側に拡がっていた。一千席の椅子や、食事の屋台の準備がほぼ終わっていた。朝の式典が8時を過ぎるころには、気温およそ30度、参列者から臨むラーマ五世、ラーマ六世の像の真上には、印象的にも太陽がちょうど輝いていた。

僧侶が首座の大学創立記念式典



タイ王国仏教界の首席高僧と108名の僧侶をお迎えして祝辞と説教、そして食事へと進む

 ラーマ五世、六世への大学の指導者による奉祀式が行われたのち、これに続き、仏式による創立記念式典が経済学部のほど近くの講堂で行われた。講堂には赤と黒に分かれた椅子が並べられている。私も経済学部長に引率され着席し、108名の僧侶がホールの右半分のスペースに準備された黒色の席に着くと、最後に僧侶の指導者が前方の座に就くために会場に現れ、参列者はみなひざまずいて迎える。この指導者こそ、タイ王国における首相と同じステイタスが終生与えられている老師である。老師の主導で読経が講堂に響き渡る。長い読経が終えると、チュラロンコーン大学として僧侶への感謝を表す饗応となる。

 私が着席した前方の108人分の黒の座席は、饗応者として割り当てられたチュラロンコーン大学側の席であり、僧侶に三度にわたって膳を進める役割。一度目は食事、二度目はデザート、三番目に感謝の贈り物である。この日の私はゲストなのか、はたまた饗応者の一員なのか。チュラロンコーン大学は、私を経済学部の仲間として、この式典に関わる栄誉を整えてくれていたことが、ようやくこの場に座らされて実感することになった。そして、僧侶の食事が終わると、全学諮問委員会の委員長から、最初に大きな団扇状の仏具、最後に法衣が各僧侶に贈り物として渡された。

 実家の法事の施主を務めたことはあるものの、こうした一対一での僧侶への饗応形式には驚かされた。僧侶が食事を済ますまで、参列者はその会場で待機するのである。かくして、仏式による百周年式典の初日は、お昼になる時間をもって終わりとなる。以前、タイでの仏教形式の催しが朝に集中すると聞かされていた理由は、僧侶にとってお昼からは食事が禁じられているからだったのである。あるチュラの先生が仰っていたのだが、「このような行事で僧侶は初めから最後まで座ってただ食べ続けるという、きわめて不健康なことをしているのだ!」食事は、私たちがレストランで頂くものと変わりのないものであった。一汁一菜で修行する日本の僧侶の話をしたところ、タイの友人はあまりの違いに驚いていた。それはそれで、栄養不足による健康上問題の症状は出るのではあるのだが。

シリントーン王女を迎えて行われた式典二日目


マハ・チュラロンコーン棟前の経済学部のブースに立ち寄る王女様に拝謁する筆者

 3月26日早朝6時30分、マハ・チュラロンコーン棟の周りは、すでに王女様(Princess Maha Chakri Sirindhorn)、そして多くの僧侶の皆さんを迎える体制が整っている。チュラロンコーン大学評議会の一員として重要な式典運営の責任を担うChayodom経済学部教授は、この後、評議会のブースに移動していく。王女様をお迎えしての会合の段取りのためだという。大学の重要なアドバイスをする財務省次官Somchai Sujjaponges氏も、この日は王女様に随行する。


 大学の各部署がテーブルを一つ確保し、僧侶へのお布施の品を準備し、廻ってくる僧侶に提供する。一人一人の僧侶の荷物を運ぶためにアテンド役の学生は、まるでサンタクロースのように大きな袋に難儀していた。割当てられた経済学部の一角で、私も経済学部の仲間の一人に加えられ待機する。副学部長のソンブーン先生は、新旧二人の学部長とともに、日本から来た友人が戸惑わないようにと終始、気遣ってくださる。

 7時近くになると、200メートル先に大きな傘が見えてきた。傘の下には高貴な方がおられることの印。多くの国民から敬愛されるシリントーン殿下が到着された。程なくして、経済学部のコーナーに近づくシリントーン殿下は、お辞儀をした私を肌合の違う者がいると感じられたようであった。昨日の学内の関係者で行われたチュラロンコーン王父子の像への弔問ということである。

 王女様をお迎えする行事が済むと、チュラロンコーン大学百周年記念公園の開園式典会場に、私たちは移動することになった。キャンパスのはずれにこの日のために工事が進められていた公園の開所式のためである。9:20AM 大学の幹部の皆さん約100名が集まる中、一時間にわたり、33度の炎天下、王女様は開園を記念して多くの植樹や、公園を隈なく視察される。テント内での私たちにとっても暑さが堪える。こうして、百周年記念式典は終盤を迎えた。

百周年記念公園で

博物館では王室の関わりが伝承される

卒業生画家の記念美術展 ウォラウェット学部長と伴に

建学百周年記念講演会 芸術・文化学部棟講堂にて

 二日目の記念行事の最後は、「挑戦する世紀の中での大学」と題する記念講演会が芸術・文化学部の講堂で行われた。米国から招かれたワシントン大学総長マーク・ライトン博士と、学内でもその才智で名高いヴィッチット・ムンタルボーン法学部教授のお二人による講演であった。百周年記念講演会の二人の碩学による講演は深い感銘を与えて、百周年記念式典関連公式行事の最後を飾るものとして終わった。

 卒業生の多くは、大学での盛大な行事への参加を期待してきた。このため、二日目の夜は、学内の建学の王が見守るフィールドを利用した2000名の同窓生のパーティーが別企画で進んでいた。この夜のステージには、黒のポロシャツという出で立ちでシリントーン殿下が登場し、参加した同窓生とそのボランティアとして参加していた学生に、歴史の中でチュラロンコーンの家族的な一体感を覚えた忘れられぬ一夜となっていたようである。

 シャム王国時代からの歴史を歩んだチュラロンコーン大学の百周年記念行事に、はじめはゲストとして臨んでいたのだったが、キャンパスではチュラロンコーン大学のファカルティーの皆さんは、筆者を友人としてこの重要な式典に関わらせていただいたことは、この上なく光栄なことであり、貴重な経験であった。ここで紹介した行事を、日本の仏教学部を主とする大学では違和感なく受け止めて頂けるかもしれないが、明治時代からの友人としての多くの日本人にとっては、興味深い行事と印象付けられるのではないだろうか。

 備考:この論考に利用した写真の多くは、チュラロンコーン大学の写真担当Pimluck Siriwatcharatornさんの許可を得て使用している。

長谷川 聰哲(はせがわ・としあき)/中央大学経済学部教授
専門分野 国際経済政策、マクロ動学型産業連関分析
1948年北海道に生まれ。慶応義塾大学大学院博士課程(国際経済学専攻)修了。
拓殖大学助教授、ハーバード大学経済学部・同国際問題研究所、ブランダイス大学客員研究員、中華人民共和国陝西財經學院、北京大學、清華大学客員教授を経る。この間、財務省(大蔵省)税関研修所、国際基督教大学、横浜国立大学兼任講師などを歴任。現在:中央大学経済学部教授。
【所属学会】
日本国際経済学会、
American Committee on Asian Economic Studies(米国アジア経済研究学会)
環太平洋産業連関分析学会(PAPAIOS)、INFORUM(メリーランド大学産業連関予測学会)
国際産業連関分析学会(International Input-Output Association)など
【近年の主な研究業績】
『C.アーモン 経済モデルの技法』(共訳著)日本評論社、2002年4月。
『APECの市場統合』(編著)、中央大学出版部、2011年。
「アジアの産業構造と相互依存」(共著)、産業連関、Vol.20,No.1、2012年。
『3・11複合災害と日本の課題』(共著)、中央大学出版部、2014年。
『アジア太平洋地域のメガ市場統合』(編著)、中央大学出版部、2017年。