アメリカ合衆国における最近の薬物問題
鮎田 実(あゆた みのる)さん/中央大学卒業生
専門分野 刑事政策・犯罪者処遇論
1. はじめに
本年1月、トランプ氏(D. J. Trump)がアメリカ合衆国(以下、"アメリカ"と略す)第47代大統領に就任した。そのトランプ大統領が重要な政策として取り組んでいるものに、フェンタニルの密輸入規制がある。その対策として、フェンタニルの主たる製造・輸出国とされる中国に関税を追加でかけることで、政府にフェンタニルの取締りを求めている。
では、なぜフェンタニルなのか。それは、アメリカにおいて、およそ2013年頃から、違法に製造された合成オピオイドであるフェンタニル等に関連する過剰摂取による死者数が大幅に増加し始めたからである。データによると、オピオイドの過剰摂取死者数は、2013年に25,052人であったものが2022年には81,806人までに増加し、また薬物過剰摂取死者数全体では、2013年の43,982人が2022年には107,941人となった。2023年の数字では、それぞれ79,358人、105,007人と減少してはいるが高い状態にある。そして、このオピオイド危機と言われる事象は、アパラチア地方において見られており、とりわけウェストバージニア州とテネシー州は、薬物過剰摂取死者数の比率(※人口10万人あたり、それぞれ80.9人、56人[2022年])が突出している。まさに薬物過剰摂取の問題は、トランプ大統領の支持基盤である"ラストベルト"で起こっているのである。
2. 薬物過剰摂取が起こった背景
アメリカでオピオイド危機が発生したきっかけは、1990年代、オピオイドが主流の医療行為や治療に受け入れられるようになったことであるとされる。それ以前は、オピオイドの使用は必要最小限であった。医師や看護師は、患者に対し、死が差し迫っていない限り、痛みに対して最小限のオピオイドしか投与しなかったのである。
この考え方が変わったのは、研究者や専門家がこれまでの慢性疼痛の治療が十分ではなかったと判断したことによる。この点に関し、1996年、当時の米国疼痛学会(American Pain Society)会長が、痛みを人の健康を決定する"第5のバイタルサイン"(the Fifth Vital Sign)とまで宣言したことで、疼痛管理を支援するため、研究者や医師は、医療提供者に対し、オピオイドをより多く処方するよう促すこととなった。その結果、オピオイドは鎮痛剤の定番となり、オピオイドが市場に大量に普及することとなったことで、患者等の間でオピオイドの過剰摂取が引き起こされたのである。因みにアパラチアの問題は、経済不況、石炭産業の衰退、それに続く"アパラチアの絶望"(Appalachian despair)を原因として引き起こされた、日常生活の不安を抱えた白人中年層による快楽追求への過剰な欲求が、結果として薬物の過剰摂取に至っているとされている。
こうした状況に加え、薬物過剰摂取を支えるもの・仕組みがある。その一例が"ドクター・ショッピング"(Doctor Shopping)である。ドクター・ショッピングとは、薬物使用者が継続的に医師を変え、過剰な量の処方薬を手に入れることである。処方薬を入手した薬物使用者は、その薬を自分で服用するか、その処方薬を売って利益を得ている。これとは別に嗜好目的で処方薬を不正に入手する者もいる。
またもう1つの例が "ピル・ミル"(Pill Mill)である。ピル・ミルとは、薬物に依存する患者に規制薬物の処方箋を発行し、調剤する医師と薬剤師のネットワークのことを言う。この活動は、ペイン・クリニックで医師が薬物依存症患者に規制薬物を処方し、患者が地元の薬局で処方箋を現金化するということで医師と薬剤師が多額の利益を得ると共に、多くの処方薬がまた市場に出回ることになったのである。
3. 薬物過剰摂取問題への対策
上述した状況を解決するために、連邦と州において幅の広い対策が行われている。その1つが"薬物起因殺人法"(Drug-Induced Homicide)である。この規定はオピオイド危機前からあるものであるが、現在とくに適用されることが多くなっている。規定制定の発端は、バスケットボールでアメリカ最高のカレッジ・プレーヤーとみなされていたバイアス(Len Bias)が、1986年6月、コカインの過剰摂取で死亡したことである。彼の死を受けて、連邦議会委員会は1986年薬物乱用防止法(Anti-Drug Abuse Act of 1986)の制定に着手し、薬物の販売により薬物使用者の死亡を引き起こした者に対し、最低20年の拘禁刑、最高終身刑を科すことを定めた。多くの州もこれに続き、現在33州で連邦法と同様な規定が制定されている。
また別の対策として、処方薬監視プログラム(Prescription Drug Monitoring Program)がある。このプログラムは、上述のドクター・ショッピング等による大量の薬の入手を阻み、薬の処方を適正化することで薬物依存症者を生み出さないことを目的としたものである。処方薬監視プログラムは、州内で調剤された薬に関する指定データを収集する州全体の電子データベースであり、これらのプログラムに含まれるものは、処方医によって書かれ、薬局によって調剤された規制薬物の処方に関する情報である。このことによって、処方医が、複数の医療機関から処方薬のオピオイドを入手している患者を特定したり、患者1人あたり1日に処方されるオピオイドの総量を計算したりすることで、患者の安全性を向上させることができ、大量のオピオイド薬の市場への流通を抑制することとなるのである。
4. 薬物対策の問題と課題
薬物過剰摂取対策として、このような幾つかのものが採られているが、問題も指摘されている。
例えば、薬物起因殺人法についてである。実はこの条文の運用が、本来対象とされている薬物の売人に適応されず、逆に親族や友人など薬物摂取死亡者の身近な人に適用されているとの指摘がある。なぜなら薬物起因殺人法は、一般的に誰がこの法律で起訴される可能性があるかについて曖昧であり、通常は規制薬物を配達または頒布した者を列挙しているだけである。つまり、薬物過剰摂取で亡くなる場面に遭遇しているのが上述の身近な人であり、そうした者に薬物起因殺人法が適用され逮捕されているのが実情になっている。
処方薬監視プログラムについても、問題点が指摘されている。メディケア=メディケイド・サービスセンター(Center for Medicare and Medicaid Services, CMS)によれば、「患者は、医療提供者のケアの質に不満を抱えていても、『ドクター・ショッピング』と見なされるため、医師を変更できないと感じる可能性がある。痛みを抱える人は、他の薬剤が効果的でない場合でも、数週間から数ヶ月ごとに薬剤を変更する可能性がある。必要な痛み止めを拒否された患者は、過剰摂取のリスクを高める違法薬物に手を伸ばす可能性がある」としている。
今回のフェンタニル等をめぐる薬物問題は、これまでの需要側の問題よりも供給側の問題、すなわち規制薬物の密輸入と、医師・薬剤師等による不適切な薬の大量処方という事象にあると言えよう。しかし、このような状況を作りだし支えることになってしまっているのは、やはりアメリカ国民が感じている社会の閉塞感や国民の対立状況にあるように思われる。薬物に頼る必要のない安定した社会の構築が、アメリカの連邦・州に求められているように思われる。
参考文献
* 拙稿「アメリカ合衆国におけるオピオイド乱用問題」『白門』864号(2025年)45-53頁。
* Centers for Medicare & Medicaid Services, Report to Congress: State Challenges and Best Practices Implementing PDMP Requirements Under Section 5042 of the SUPPORT Act, 2021, p. 38.
鮎田 実(あゆた みのる)さん/中央大学卒業生
専門分野 刑事政策・犯罪者処遇論栃木県出身。1964年生まれ。1988年中央大学法学部卒業。1994年中央大学大学院法学研究科博士前期課程修了。1999年中央大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得中退。中央大学法学部通信教育課程インストラクターを経て、中央大学法学部(通信教育課程)兼任講師他、他大学にて非常勤講師を勤めている。また法務省矯正研修所にて外部講師として刑務官や法務教官等現場職員の指導もしている。
現在の研究は、受刑者の処遇をめぐり、アメリカ合衆国における多様な方策を参照しつつ、民主主義的視点からの再犯防止策の在り方と課題を検討している。









