研究

平安貴族と除目の儀式

―「公卿学」としての除目作法の形成―

志村 佳名子(しむら かなこ)/中央大学文学部准教授
専門分野 日本古代史

1. 平安貴族と除目

 平安時代の宮廷では、日々多くの宮廷儀式が行われた。その中でも、平安時族たちにとって重要な儀式の一つに「除目」がある。除目じもくとは、官職に任命する儀式のことである。今も昔も人事は人々の関心ごとであるが、平安文学を代表する『枕草子』にも「すさまじきもの(興ざめなもの)」の例として「除目に司つかさ得ぬ人の家」が挙げられており、任官の結果に落胆する家の様子が描かれている。ではその除目とはいかなる儀式であったのか。

2. 除目とは何か

 「除目」は聞き慣れない熟語だが、漢字の「除」には「つかさをさずける、旧官をのぞいて新官をさずける」との意味があり、中国では「除目」とは官に任ずる詔書という意味があった。それをもとに、平安時代以降「除目」の語がこの行事を示す語として定着した。ちなみに、奈良時代までは「任官」と称した。

 除目には恒例のものと臨時のものがあり、恒例のものは年二回行われる。春に行う除目を「外官除目」(県召あがためし除目)、秋に行うものを「京官除目」(司召つかさめし除目)と称し、大臣以外の諸司・諸国の四等官などを任命する。外官除目は主に地方官を任命するものだが、京官も同時に任ぜられる決まりであった。外官除目は正月から二~三月にかけて行われ、「春除目」とも呼ばれた。京官除目は当初は二月であったが、平安後期には秋から冬の十二月にかけて行われ、「秋除目」とも称した。除目は三夜にわたる長い儀式で、数ある宮廷儀式のなかでも複雑な次第(作法)を持つ。そのため、儀式を執り仕切る執筆しゅひつ(責任者)の公卿は、除目の手順を熟知しておく必要があった。

3. 除目の儀式次第

 除目儀の作法は儀式書によって異なる点があるが、『西宮記』『北山抄』『江家次第』などの主要儀式書からうかがえる春除目の概略は、以下の通りである(1)。

①前日に大臣が勅を給わり、外記・弁官に除目儀の開催を伝える。大間書の料紙や労帳を用意し、饗饌の準備をさせる。

②当日、大臣以下の公卿が陣座から議所に移る。蔵人の召しにより、大臣は外記に筥文(除目に必要な文房具や書類が入った箱)を用意させる。執筆の大臣が任官結果を記入する大間書おおまがき、欠員状況を記す帳簿、事前に提出された申文(任官申請文書)などの必要書類を準備する。

③主として、官位相当の低い官職から高い官職へと順番に任命する。諸国国司の目・掾、京官の判官以下、顕官(外記・史・式部丞など)、受領へと続く。顕官と受領については「挙」(公卿が欠員のあるポストに適当と思われる人物の名を記して奏上し、天皇が決定する)の方式で任命する。

④執筆は任官が決定するたびに、大間書の空白に任官者の名と任官事由を注記する。すべて終わると、天皇に奏上する(初夜・中夜・竟夜を通じてこれらの任官を行う)。

⑤最終日には、返給された大間書をもとに、大納言以下が召名めしな(任官者を記した文書、清書ともいう)・下名おりな(任官者を位階順に書き分けた文書)を作成する。

 このように、天皇の面前で三夜にわたって開催される除目儀は、様々な任官の種類とそれに付随する詳細な作法があり、儀式を取り仕切る執筆は、その作法に関する膨大な知識が必要とされたのである。

〈参考図〉平安宮内裏おける除目儀の装束(敷設)と関係箇所

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(出典:公益財団法人鳥取市文化財団・鳥取市歴史博物館編『因幡と朝廷 平安時代の因幡国司』展示図録、2016年)

4. 除目儀の様子

 平安時代の著名な政治家である藤原実資[957-1046]の日記である『小右記』の長和二年(1013)正月二十三日条には、時の左大臣・藤原道長を執筆とする県召除目の様子が記されている。

二十三日、乙卯、内に参る〈未一点〉。陣頭に卿相無し。(中略)しばらくして、内大臣参入す。その後、左大臣、陣に着きて云はく「議所に着かざるは如何」てへり。蔵人左兵衛尉敦親、諸卿を召す。大臣、大外記敦頼を召し、筥書を侍らしむべき由を仰す。即ち外記四人、筥書を捧げ、日華門より入り、宜陽殿の南第一間に立つ。(中略)外記、筥を捧げ、南殿の下を経ること、昨の如し。左大臣云はく「是れ降雨の事なり。晴時のごとく参入すべし」てへり。〈此の間、天晴る。〉よりて外記、南より参入し、射場の砌に立つ。外記、若し晴儀を用ゐるは、また晴に立つべきか。今日の事、駮白なり。時宜に随ふか。

 字数の関係で儀式の詳細は省くが、参加者の集合から事務方への指示、除目儀に使用する筥の扱いまで、細かな作法に則り行うことがうかがえるだろう。また、儀式の冒頭に左大臣・道長が、参加者が議所に着くという次第通りにしていないことに疑問を呈していることがわかる。平安貴族は先例に基づいて儀式を行うことを重視するため、常と異なることに敏感である。しかしながら、続く箇所では雨のため雨天時の次第を用いたことに対し、晴天時の次第で行えという指示を出している。これに対し、大納言・実資は、(道長の指示が通例と異なるため)今日の除目は厳しく追及すべきものだと非難する言葉を書き付けている。

 このように、除目の作法は厳格に行われるべきものであり、やがてそれを滞りなく執行するための次第書(マニュアル)が編纂されるようになる。そしてその作法が子孫へと伝えられ、先例として重視すべき「故実」(手本にすべき先例)として引き継がれた。

5. 「公卿学」としての除目作法

 除目に限らず、平安時代の年中行事や儀式に関しては、「公卿学」ともいうべき口伝・故実が形成された。貴族における故実の形成は藤原基経[836-891]に始まり、藤原忠平[880-949]の時に集大成され、その子の実頼・師輔はそれぞれ「小野宮流」「九条流」という流派を形成した(2)。各家で積み重ねされた故実が、貴族の政務運営の根拠となった。その後、九条流は宇多・醍醐両天皇から臣籍降下した皇孫や親王が受け継ぐ儀礼説を取り込み、「御堂流」(道長)故実を形成した(3)。「御堂流」嫡流の摂関の口伝故実は、藤原忠実[1078-1162]に継承されたのち、やがて藤原(九条)兼実に受け継がれた。そして、除目故実は兼実の子・良経[1169-1206]の代に『春除目抄』などにまとめられることとなる。

 政権運営の主体が武家に渡った中世以降も、除目の儀式はその実質的意味を失いつつも連綿と続けられ、14世紀には平安期以来の多数の除目書、申文・大間書等の諸記録が洞院公賢編『魚魯愚鈔』『魚魯愚別録』が成立した。各家の説にもとづく除目儀は、朝廷を支える公家としてのアイデンティティーを示すものであり、重要な知識体系の一つとして維持され続けたのである。


(1) 佐々木恵介『天皇の歴史3 天皇と摂政・関白』(講談社学術文庫、2018年)などによる。
(2) 竹内理三「口伝と教命―公卿学系譜(秘事口伝成立以前)―」(『竹内理三著作集』五、角川書店、1999年、初出1940年)
(3) 田島公「「公卿学系譜」の研究―平安・鎌倉の公家社会における朝議作法・秘事口伝・故実の成立と相承―」(田島公編『禁裏・公家文庫研究』第三輯、思文閣出版、2009年)

志村 佳名子(しむら かなこ)/中央大学文学部准教授
専門分野 日本古代史

東京都出身。2004年同志社大学文学部文化史学科卒業、2007年明治大学大学院文学研究科史学専攻博士前期課程修了、2012年明治大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了、博士(史学)。信州大学学術研究院教育学系准教授を経て、現職。

主な研究課題は、日本古代の王宮構造と政務・宮廷儀礼、儀式における奏楽(雅楽)など。

また、主要著書に『日本古代の王宮構造と政務・儀礼』(塙書房、2015年)、『明治大学図書館所蔵 三条西家本 除目書』(共著、八木書店、2021年)などがある。