知財マネジメントを誰に任せるか:CIPOが企業の知財戦略とイノベーション戦略を左右する
西村 陽一郎(にしむら よういちろう)/中央大学商学部准教授
専門分野 経営学
知財マネジメントは誰が担うべきか
知的財産マネジメントというと、特許出願や権利管理といった「守り」の業務を思い浮かべる方が多いかもしれない。しかし実際には、知財マネジメントは、知財戦略はもちろん、研究開発戦略、事業戦略、事業提携、標準化、知財ライセンス、知財訴訟対応にまで関わる、きわめて経営的なテーマである。本稿では、名城大学経済学部の蟹雅代先生との共同研究として進めてきた、CIPO(Chief Intellectual Property Officer、最高知的財産責任者)に関する2つの研究成果を紹介する。問いは明快である。知財マネジメントを経営者が直接担うのか、それとも専門役員に委ねるのかによって、企業行動はどのように変わるのか。
なぜいまCIPOなのか
近年、企業価値の源泉は、有形資産から、技術、ブランド、ノウハウなどの無形資産へと移りつつある。それに伴い、知財マネジメントは単なる事務管理ではなく、企業の競争優位性を左右する経営課題になっている。ところが、経営者はもともと多くの課題を抱えている。たとえば、ハーバードビジネススクールのマイケル・ポーターらによるCEOのタイムマネジメント研究(2018年)でも示されている通り、大企業の経営者は週平均で60時間以上働いていると報告されている。そのうえ知財マネジメントまで自ら担うとなると、経営者の業務負荷はさらに大きくなり、経営者の判断は複雑で不確実な選択を避け、業界で一般的なやり方や、すでに慣れた領域に傾きやすくなる。私たちの研究は、この「経営トップの過負荷」が、企業の知財戦略やイノベーション戦略に影響するのではないか、という問題意識から出発した。
2つの研究で何を見たか
第1の研究では、特許庁『知的財産活動調査』をもとに、日本企業がどのような条件でCIPOを社内に置き、その結果として知財戦略がどう変わるのかを分析した。第2の研究では、同じ調査に特許データを組み合わせ、社内におけるCIPOの有無が探索型・深化型のイノベーションにどのように作用するのかを検証した。前者は「知財戦略の独自性」、後者は「イノベーション戦略の方向性」に焦点を当てているが、両者をつなぐ軸は共通している。すなわち、知財マネジメントを誰が担うかという組織設計が、企業の将来の選択肢を広げるのか、それとも既存の延長線にとどめるのか、という点である。2つの研究を重ねることで、知財とイノベーションを別々の問題としてではなく、1つの経営課題として捉え直すことができる。
CIPOは知財戦略とイノベーション戦略に何をもたらすか
第1の研究から見えてきたのは、企業規模が大きく、研究開発規模も大きい企業ほど、経営者の負荷を軽減するためにCIPOを社内に置く傾向が強いということである。さらに重要なのは、CIPOがいる企業では、知財の「保護」戦略が業界平均からより大きく差別化される点である。つまり、どの特許をどこで押さえるか、どのような商標や意匠を組み合わせるかといった面で、より独自性の高い戦略をとりやすくなる。とくに、CIPOが知財経験を持ち、他の業務を兼ねずに知財業務に専念している場合、この効果は一段と強かった。他方で、知財の「活用」戦略への効果は限定的であった。権利としての知財を収益へ結びつけるには、知財部門だけでなく、事業部門との連携が不可欠であることも示された。
第2の研究では、CIPOの存在がイノベーション戦略の方向性にどう影響するかを分析した。ここで注目したのは、未知の領域へ踏み出す「探索」と、既存の知識を磨き込む「深化」への影響である。分析の結果、製造業全体では、CIPOを社内に設置している企業で探索型イノベーションが一律に増えるわけではなかった。しかし、既知の技術や得意分野に依存しすぎる「深化偏重」は、CIPOの存在によって着実に抑えられていた。さらに、技術変化が速く知財マネジメントが難しいハイテク企業では、CIPOが探索型イノベーションを後押しする効果も確認された。加えて、企業年齢が高まるにつれて起こりやすい「探索からの回避」と「深化への逃げ」も、CIPOがいることで一定程度緩和されることがわかった。CIPOは、知財の専門家であると同時に、組織が過去の成功体験に閉じこもりすぎないようにする調整役でもある。短期的に安全な選択へ流れやすい経営判断に、別の選択肢を提示する役割を果たしているのである。
重要なのは「置くこと」だけではない
この2つの研究から得られた実務的示唆は以下のとおりである。もっとも、CIPOは社内に置けば自動的に機能するわけではない。役職名だけがあっても、十分な権限がなければ効果は限定的である。また、CIPO自身の職歴も重要である。知財、研究開発、マーケティングのいずれを主な経験分野としてきたかによって、得意な判断と偏りやすい判断が異なる。たとえば、特定分野における知財専門性が高いほど、まったく新しい技術領域への参入には慎重になる場合がある。したがって、知財経験が豊富な人材をCIPOに任用することは、知財戦略の独自性を高めるうえで有効でありうる一方、イノベーション戦略に対しては保守的な影響をもたらす可能性にも注意が必要である。
知財マネジメントは、法務や研究開発の一部にとどまらず、経営そのものである。誰がその責任を担うかは、企業が何を守り、どこへ踏み出し、どの程度独自の戦略を描けるかに直結する。CIPOの設置は単なる流行ではない。無形資産の時代にふさわしい経営体制を設計するうえで、わが国の企業が真剣に考えるべきテーマである。知財を「管理する対象」から「経営を動かす資源」へと捉え直すとき、CIPOという存在の意味はさらに大きくなると考えられる。
参考文献
- 西村陽一郎・蟹雅代. 2023. 「企業の知的財産活動に関する権限委譲に関する実証分析」『研究・イノベーション学会 年次学術大会講演要旨集』38, pp.928-931.
- 蟹雅代・西村陽一郎. 2024. 「知的財産活動に関する権限移譲とイノベーションの関係」『研究・イノベーション学会 年次学術大会講演要旨集』39, pp.1082-1086.
- Porter, M. E., and N. Nohria. 2018. How CEOs Manage Time. Harvard Business Review, 96(4), 42-51.
西村 陽一郎(にしむら よういちろう)/中央大学商学部准教授
専門分野 経営学中央大学商学部准教授。博士(商学)。神奈川大学経済学部専任講師、同准教授を経て、2019年より現職。
2013年9月から2015年9月まで米国ワシントン大学ロースクール客員研究員。2023年より特許庁知的財産経済アドバイザー。2026年7月より、特許庁産業財産権国際課題対策推進事業(令和7~8年度)派遣研究者およびドイツ マックス・プランク競争イノベーション研究所客員研究員。2026年11月より、米国カリフォルニア大学アーバイン校ポール・メレージ経営大学院客員研究員(予定)。専門は経営学。
主な論文に、“Does patent fee reform lower the bar?”Research Policy(2025年、共著)、“Executive succession”Strategic Management Journal(2018年、共著)、「中小企業における特許保有・営業秘密とパフォーマンスの関係」日本知財学会誌(2018年、共著)などがある。









