究極のミニチュア工作
~分子の構造が機能を生み出す~
上野 祐子(うえの ゆうこ)/中央大学理工学術院教授
専門分野 分析化学、構造化学
1. 分子の形でその運動を制御する
化学を専門分野とする研究者は、日々「分子」を扱う仕事をしています。水や二酸化炭素などの分子は、構成する原子の数が少なく比較的簡単な形状をしていますが、分子の世界にはもっと複雑な構造を持つものも存在し、中にはモーターや車輪のような人工物を思わせるような構造を持つ分子が知られています。これらの分子は、特殊な構造を利用して回転や移動などの機械的運動を行う『分子マシン』として利用できます。この分野の研究を先駆的に行ったJean-Pierre Sauvage教授、J. Fraser Stoddart教授、Benard L. Feringa教授は、「分子マシンの設計と合成(for the design and synthesis of molecular machines)」という業績により、2016年のノーベル化学賞を受賞しました。この成果は、分子運搬機や分子筋肉など、分子の形を利用してさまざまな機能を生み出す研究の重要な出発点となったのです。
2. 分子マシン研究の発展経緯
分子マシンの研究は、分子を「動く部品」として捉える発想から大きく発展してきました。1980年代にSauvageらは2つの輪っか状構造が鎖のように絡み合った形状の「カテナン」の合成に成功し、後の分子マシンにつながる機械的結合を持つ分子を実現しました[1]。カテナンの2つの輪っかは互いに絡み合って機械的に結合していますが、通常の分子のように化学結合で連結しているのではありません。これにより「部品が動ける状態で組み立てられた分子」が実現しました。続いてStoddartらは、棒状の分子を軸として輪っか状のいくつかの分子を貫通させ、両端を大きな分子で塞いで、輪が抜けないようにした形状の「ロタキサン」という分子集合体を用いて、輪っか状の分子が軸上の2つの「認識部位」の間を行き来する「分子シャトル」を実現しました[2]。これにより「分子の形を利用して部品を並進運動させる」ことに成功しました。そして1999年、Feringaらは、光という外部エネルギーを利用して、一方向に連続回転する「光駆動分子モーター」の実現に成功しました[3]。分子モーターについては、次の章で詳しく紹介します。
3. 光刺激で一方向に回転する「分子モーター」
光駆動分子モーターが「分子マシン」といえるのは、熱平衡状態で単にランダムに起こる運動とは異なり、外部から光などのエネルギーを与えることで分子の構造変化を特定の方向へ繰り返し進めることができるからです。この光駆動分子モーターは立体障害の大きなアルケンを中心に、2つの芳香族部分が結合した構造を持ちます。中央の炭素―炭素二重結合の光異性化と、その後に起こる熱的な構造変化を組み合わせることで、分子の回転を一方向に進めることができます。次の章では、この分子モーターを利用して発展した「ナノカー」について紹介します。
4. 分子の「車輪」とナノカー
先述の分子モーターを組み合わせると、分子全体を移動させる分子ユニットが実現できます。2011年、Kudernacらは、4個の分子モーターから構成される分子ユニットを「車輪」として取り付けた四輪分子を開発し、銅表面上で電気的刺激によって移動させることに成功しました[4]。走査トンネル顕微鏡の微小な針から「車輪」に電気的な刺激を与えると、4個の回転モーター分子の運動によって四輪分子全体が表面を移動するという仕組みです。この研究の価値は、単に「車に似た分子」を作ったことではありません。モーター、車輪、車体という複数の分子部品を設計に従って組み合わせ、それぞれの部品の運動を分子全体の移動という機械運動へと変換している点にあります。これはマクロスケールな従来の機械の基本原理を、分子という極めてミクロなスケールで再構築した例といえます。
5. 刺激によって伸縮する「分子筋肉」
Feringaの分子モーターと並行して、回転運動だけでなく伸縮運動についての研究もおこなわれてきました。この具体的な例として「分子筋肉」が挙げられます。2000年、Sauvageらは、先述のロタキサンの2量体を用いて、化学的な刺激によって分子が伸びたり縮んだりする「分子筋肉」を報告しました[5]。ロタキサンの構成要素同士が相対的に移動することで、分子全体が収縮・伸長します。これは、生体の筋肉でフィラメント同士が滑って収縮する仕組みと類似した運動が、分子マシンによって再現されていると考えられます。
6. 「究極のミニチュア工作」としての化学
分子マシンの研究が実証したことは、分子は単なる小さな物質ではなく、形によって機能を生み出しているということです。分子の形を少し変えるだけで、回転したり、伸び縮みしたり、ものを運んだりする機械をつくることができます。そう考えると、化学の研究の中に「原子や分子を組み立てて、思い通りに動く仕組みをつくる、究極のミニチュア工作」という側面も見ることができます。普段は目にすることのできない分子の世界を、「この形だから、こんな機能が生まれるのか」という視点で眺めてみると、化学についての印象も少し変わるかもしれません。形から分子への新たな興味を持つきっかけとなり、化学の奥深さを楽しんでもらえればと思います。
参考文献
[1] C. O. Dietrich-Buchecker et al., J. Am. Chem. Soc. 1984, 106, 3043-3045.
[2] P. L. Anelli et al., J. Am. Chem. Soc. 1991, 113, 5131-5133.
[3] N. Koumura et al., Nature 1999, 401, 152-155.
[4] T. Kudernac et al., Nature 2011, 479, 208-211.
[5] M. C. Jiménez et al., Angew. Chem. Int. Ed. 2000, 39, 3284-3287.
上野 祐子(うえの ゆうこ)/中央大学理工学術院教授
専門分野 分析化学、構造化学広島市出身。
1972年生まれ。
1995年東京大学理学部化学科卒業。
1997年東京大学大学院理学系研究科化学専攻修士課程修了、同年日本電信電話(株)入社。
2002年東京大学大学院理学系研究科化学専攻 理学博士(論文)。NTT物性科学基礎研究所 主幹研究員、特別研究員、グループリーダーを経て2020年より現職。
現在の研究課題は「ナノカーボン材料と分子認識素子を用いた時空間化学・バイオセンシング」など。
電気化学会化学センサ研究会清山賞(2022)、全米出版協会PROSE Awards(2020)、日本分析化学会女性Analyst賞(2019)、日本分析化学会奨励賞(2008)など。









