研究

国家が人々の期待を裏切ることはどこまで許されるのか?:憲法29条の役割をめぐる考察

渕 圭吾(ふち けいご)/中央大学専門職大学院法務研究科教授
専門分野 公法学、租税法

はじめに

 私は、租税制度の法的側面を分析する租税法という分野を主として研究しているが、そこから派生して憲法29条(財産権保障)にも興味を持ち、少しずつ検討を進めている。本稿では、同条に関する研究の契機となった最高裁判決を紹介するとともに、私が面白いと思っている幾つかの論点を示したい。

税制改正と新法の適用

 日本では、税法の規定が毎年改正される。前年の12月に、与党税制改正大綱が定められ、基本的にその内容に従った政府税制改正大綱が閣議決定される。2月に、政府が「所得税法等の一部を改正する法律案」を閣議決定し国会に提出する。そして、3月末にこの法案が国会で可決・成立し、改正法が4月1日に施行される。
 ところで、所得税は、個人の1月1日から12月31日までの1年間の所得に対して課される。すなわち、所得税の納税義務は12月31日が終わると同時に成立する(国税通則法15条2項1号)。ここで、納税義務の内容はその時に施行されている所得税法の規定に従って決まる。このため、年末にある人のある1年間の所得に対する納税義務を算出するとき、法改正があれば、当然、改正された新法が適用される。所得税の課税対象である所得とは個人の日々の経済活動の成果として算出されるものであるところ、4月1日に新法が施行される前の1月から3月までの経済活動から生ずる所得についても、新法が適用されるのである。

譲渡所得をめぐる法改正

 それはおかしいのではないかと考えた人が、訴訟を提起し、最高裁の判断が示されたケースがある。その事案は、2004年の税制改正にかかわる。この改正では、不動産の譲渡に関する税制が改められ、全体としては人々の租税負担を軽減する内容だったものの、一部の人にとってはそれまでより負担が重くなりえた。訴訟の原告は、2004年3月初旬に不動産を譲渡していて、旧法によれば、それによって生じた損失を他の所得と相殺できた(その分税額が減った)はずだった。しかし、新法の適用によってこの相殺ができなくなり、支払うべき税額が増えてしまった。3月に行った取引の税法上の帰結が4月1日施行の法律によって左右されるのはおかしい。憲法84条(租税法律主義)に反する、というのが原告の主張である。
 なお、憲法39条は刑罰法規について遡及立法(行為時に適法であった行為に対して事後的にそれを犯罪とする法律の定めを置き、それに基づいて刑罰を科すこと)を禁じているが、この規定の対象は行為に対する非難に伴う制裁としての刑罰を科すことである。このため、人にとっての不利益ではあっても非難の要素をおよそ含まない租税の賦課はその対象外である。古い最高裁判決は、刑罰法規以外の法規については「憲法は法律がその効果を遡及せしめることを禁じてはいない」と述べていた(最高裁1949年5月18日判決)。

最高裁2011年9月22日判決

 さて、本件の最高裁判決は、次のように判示した。まず、納税義務が生じる時点を基準とすると、2004年の改正法は遡及立法にはあたらない。しかし、本件における新法の適用は、「納税者の租税法規上の地位」を変更するものであり、「課税関係における法的安定」に影響を及ぼしうる。そして、憲法84条は「課税関係における法的安定が保たれるべき趣旨を含む」。
 さらに、最高裁は次のようにいう。課税関係における法的安定に対するある法改正の影響が憲法84条の趣旨に沿うか否かを判断するにあたっては、法律が一旦定めた財産権の内容を事後的に法律によって変更することが許されるか否かを憲法29条に照らして判断した、最高裁1978年7月12日判決の判断枠組みが参考になる。本件においては、「暦年途中の租税法規の変更及びその暦年当初からの適用による課税関係における法的安定への影響が納税者の租税法規上の地位に対する合理的な制約として容認されるべきものであるかどうかという観点から判断する」べきである。そして、最高裁は、本件における納税者の期待を保護すべき必要性はそれほど高くないのに対して、新法を2004年の所得税の計算に適用すべき必要性が高いことを認定して、新法が憲法違反とはならないと結論づけた。

本判決の示唆と私の研究

 本判決の事案及び判決のロジックは、国家が人々に租税をはじめとする金銭支払い義務を課すこと、また、国家が政策を変更することで人々の期待を裏切ることの意味や、そうしたことから人々を守るために憲法が果たしうる役割について、さまざまな示唆を与えてくれる。私は、こうした示唆を手がかりとして、これまでに以下のような問題を考えてきた。

①金銭支払い義務が課されることは憲法29条の問題か?

 まず、本判決とは少し離れてしまうのだが、国家が人々に対して金銭支払い義務を課すことは、憲法29条の問題となるのか、という問題がある。同条は、基本的には、国が土地等の財産権を収用する場合に正当な補償を支払わなくてはならないことを定めるものだが、それ以外にも財産権制度のあり方について規定していると理解する論者が少なくない。しかし、外国の状況を見ると、租税をはじめとする金銭支払い義務の賦課はそもそも財産権の問題ではないという理解が有力である。租税を含む金銭債務は人々の財産権の集合体としての「財産(資産)」の中から払われるのであるから、それが個々の財産権に対して与える影響はたかだか間接的なものにとどまる、というのがその理由である。

②人々の期待が裏切られることは憲法29条の問題か?

 次に、1978年の最高裁判決のように、人々の期待が裏切られることを憲法29条の問題として考えるべきか、ということも問題である。戦後の日本の最高裁判決は、同条1項や2項の問題として考えてきた。しかし、学説の中には、憲法13条(幸福追求権)、または、31条(適正手続)の問題としてとらえるべきとの見解もある。確かに、ドイツでは日本国憲法13条に相当する規定、アメリカでは日本国憲法31条に相当する規定で、それぞれ人々の期待を裏切るような国家の立法の憲法適合性を判断している。

③そもそも期待や信頼という観点から考えるべきか?

 さらに、1978年判決や本判決のように、人々の期待や信頼、法的安定といったものを憲法上、保護すべきなのかも問題になりうる。国家はその時々の国民の代表によって構成された議会や執行機関を通じて意思決定を行っており、その決定は人々の既得の利益を多かれ少なかれ害しうる。それゆえ、私は、人々の期待が害される程度を考慮するのではなく、その時々の国家の意思決定が過去や未来の人々のそれと著しく抵触するか否かを基準として判断すべきだ、という見解(Julian N. Eule)に説得力があるように思う。

おわりに

 法学の研究は、日本や外国の裁判所の下した判決や新旧の内外の論文を検討することを通じて何か新しいこと・世の中に役立つことを言おうとする、地味な営みである。しかし、その過程では、時代や国を超えて、さまざまな人々が今、日本にいる私たちと同じような問題について必死に考えてきたことがよくわかる。そして、そのような判例や文献との対話から、常識と思われていることについて根底から批判するためのアイデアが得られることもある。そして、そのような批判は、時に、理科系における派手な発明や発見と同様に、世の中を良い方に動かしうるのだ。

渕 圭吾(ふち けいご)/中央大学専門職大学院法務研究科教授
専門分野 公法学、租税法

1975年生まれ。1998年、東京大学法学部卒業、東京大学大学院法学政治学研究科助手。学習院大学教授、神戸大学教授等を経て、2026年から現職。

租税法を中心に、人々の経済活動を規律する公法のあり方について、広く研究している。最近の研究課題として、憲法29条の財産権保障の仕組み、憲法上の「租税」概念、相続税と所得税の関係等がある。

主要業績として、『租税法講義』(有斐閣、2024年)、『所得課税の国際的側面』(有斐閣、2016年)、『公益の実現における私人の役割』(日本評論社、2025年。松井智予と共編)、『租税法概説〔第5版〕』(有斐閣、2025年。中里実ほかと共編)、「憲法上の『租税』の意義」租税法研究54号1頁(2026年)、「国内法の『在外国民』:渉外的事案において国内法が果たす役割」公法研究86号118頁(2025年)、「日本における財産権保障に関する通説の起源とその問題点:田中二郎の「公法上の損失補償」という構想は何を意味していたのか」神戸法学雑誌74巻3号71頁(2024年)等がある。