AIが翻訳する時代に、なぜ外国語を学ぶのか?
――VRと生成AIが拓く複言語・複文化教育の新たな可能性
斎藤 裕紀恵(さいとう ゆきえ)/中央大学国際情報学部 教授
専門分野 外国語教育、第二言語習得論、語用論、言語教育政策、EdTech
はじめに:AI時代に外国語を学ぶ意味
フランス語でカフェの注文をしてみたい。イタリア語で挨拶を交わしてみたい。ウクライナ語やロシア語を話す人々と、その言葉で交流してみたい。しかし、知らない言語を使って話しかけることには、誰しも戸惑いや不安があるだろう。
では、海外に行かなくても、大学の教室や自宅から、こうした言語や文化に触れることができたらどうだろうか。さらに、生成AIを相手に少し練習してから、仮想空間で現地の人々と交流できるとしたら、外国語を学ぶことへの心理的なハードルも変わるのではないだろうか。
近年、生成AIによる翻訳や通訳技術の発展は目覚ましい。外国語を話せなくても意思疎通が可能になりつつある時代に、私たちはなぜ外国語を学ぶ必要があるのだろうか。
私はこれまで、VR(Virtual Reality:仮想現実)やAI(人工知能)を活用した英語教育、そしてAIが生成する会話の語用論的適切性について研究してきた。現在は、その研究を英語以外の言語や文化との出会いへと広げ、複言語・複文化能力を育む新たな教育の可能性を探っている。
VRとAIは、外国語を話す不安を軽減できるのか
日本では長年英語を学習していても、実際に話す場面になると言葉が出てこないという人が少なくない。文法や語彙の知識があっても、間違いを恐れたり、他者からの評価を気にしたりして、発話をためらってしまう。このような心理的障壁は「外国語不安(Foreign Language Anxiety)」と呼ばれる。
こうした課題を解決する手段の一つとして、海外留学前の準備教育にVRを活用する研究に取り組んできた。VRでは、学習者が仮想空間に入り、海外の街や施設などを模した環境で英語を使用する経験ができる。
さらに、生成AIを搭載したアバターが登場したことで、学習者は時間や場所に制約されず、自分のペースで会話を練習できるようになった。2026年に発表したパイロット研究では、日本の大学生8名を対象に、パソコン上の低没入型VR環境でAIアバターと1か月間英会話を練習してもらい、その変化を調査した。その結果、1分間あたりの発話語数で測定した流暢性に統計的に有意な向上が認められ、外国語不安についても有意な低下が確認された。
本研究は少人数を対象とした探索的な研究であるものの、AIアバターとの対話が外国語を話す際の不安を和らげ、流暢性の向上につながる可能性が示された。今後は、より多くの学習者を対象に検証を重ね、AIを活用した外国語学習の効果と課題をさらに明らかにしていきたい。
AIは本当に「自然な会話」ができるのか――語用論からの検証
しかし、ここで新たな疑問が生じる。AIが流暢な英語を話せることと、人間同士の自然で適切なコミュニケーションを再現できることは、同じなのだろうか。この問いを考えるうえで重要なのが、「語用論(Pragmatics)」である。語用論は、言葉が具体的な状況や社会的・文化的文脈の中でどのように使われ、その意味がどのように理解されるのかを研究する分野である。
私は長年、英語の会話の終わり方、すなわち「会話の終結(conversation closings)」に関心を持ってきた。会話を終えるという、一見単純に思える行為にも、実は複雑な仕組みがある。例えば、話している相手に唐突に「Goodbye」と言えば、不自然に感じられる場合がある。実際の会話では、話題を少しずつ終わりに向かわせ、お互いに会話を終えることを確認し、最後に挨拶を交わすなど、段階的なやり取りが行われる。
2026年に刊行された著書の一章では、ChatGPTが生成した会話の終わり方を、英語教科書、米国のテレビドラマ『フレンズ(Friends)』、実際の英会話を収録したデータベース(MICASEコーパス)と比較・分析した。その結果、ChatGPTは会話を終えるための基本的な段階を含むやり取りを生成できる一方、会話の終わりを示唆する表現の使用が少なく、会話を終える際に用いる表現の種類も、ドラマや実際の会話に比べて限られていることが明らかになった。
さらに、VR空間で英会話の練習相手となるAIアバターの発話についても、語用論的適切性の観点から分析し、その研究成果を2026年に発表した。AIが生成する会話は、一見自然で流暢に思えても、必ずしも語用論的に適切とは限らない。この問題は、AIを言語教育に活用する際に見落としてはならない重要な課題である。
英語教育から複言語・複文化教育へ――VRで広がる世界
こうした研究で得られた知見を基盤に、現在はVRやAIの活用を英語教育から複言語・複文化教育へと広げ、多様な言語や文化に触れる新たな学習環境の構築に取り組んでいる。
欧州評議会が策定した「ヨーロッパ言語共通参照枠(CEFR)」では、「複言語・複文化能力(Plurilingual and Pluricultural Competence)」が重視されている。これは、複数の言語をそれぞれ高い水準まで習得するのではなく、自分が持つ多様な言語的・文化的知識や経験を関連づけ、状況に応じて柔軟に活用する能力を意味する。
この理念を踏まえ、2026年から「VR Language & Culture Hub」というプロジェクトに取り組んでいる。パイロットプロジェクトでは、現地の教員や大学院生が2Dや3Dの素材を用いて、言語や文化を体験できるVR空間をデザインした。学生はアバターとして参加し、講師たちからロシア語、フランス語、ウクライナ語、イタリア語の言語や文化を学び、自己紹介や挨拶、日常表現、カフェでの注文などに挑戦した。
このプロジェクトは、対象言語の事前知識がなくても参加できる点が特徴である。また、専用ヘッドセットを使う高没入型VRではなく、パソコンから参加できる低没入型VRを採用しており、高価な機器を購入せずに比較的手軽に参加できる。
目指しているのは、短期間で複数の言語を習得することではない。これまで接する機会のなかった言語に興味を持ち、その言語を話す人々と交流し、異なる文化や価値観に出会うことである。言葉を十分に知らなくても、相手の言語で挨拶してみる。その小さな経験が、他者への関心を生み、自分自身の言語や文化を見つめ直すきっかけになるのではないだろうか。
おわりに:生成AIとVRが拓く新しい学びの可能性
現在、VRによる複言語・複文化体験を発展させるため、各言語に対応した生成AIによる事前学習アプリの開発を構想している。例えば、初めてフランス語に触れる学生が、生成AIアプリで挨拶や簡単な会話を練習した後、VR空間で現地の講師から言語や文化を学び、コミュニケーションを体験する。体験後には学んだ表現や文化的な違いを振り返る。こうした「生成AIによる事前学習」「VR空間での交流」「体験後の振り返り」を結びつけ、言語の知識とコミュニケーション経験を関連づける学習環境を構築したい。
その際、これまでのChatGPTの会話終結の分析やAIアバターの語用論研究は、生成AIが提示する言語表現の適切性を検証する基盤となる。VRやAIを導入するだけで複言語・複文化能力が育成されるわけではない。現在のプロジェクトを通じて、学習者の意識や行動の変化をさらに検証する必要がある。
VRやAIを活用し、これまで学ぶ機会のなかった言語に触れ、その言語を話す人々との交流へ一歩踏み出せる環境をつくりたい。AIが言語の壁を低くする時代だからこそ、異なる言語や文化に関心を持ち、多様な他者を理解しようとする力が一層重要になる。英語教育から複言語・複文化教育へ。VRとAIを通じて、世界の多様な言語と文化に出会う機会を広げること。それが、現在の研究の目指すところである。
参考文献
- Council of Europe. (2020). Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessment - Companion volume. Council of Europe Publishing.
- Saito, Y. (2025). Effects of high-immersion and low-immersion VR English lessons as a preparation for studying abroad on students' English proficiency and foreign language anxiety. 『国際情報学研究』第5号, 47-58. https://chuo-u.repo.nii.ac.jp/records/2002247
- Saito, Y. (2026). An exploratory study of AI-avatar speaking practice in low-immersion VR: Fluency, anxiety, and technology acceptance. The JALT CALL Journal, 22, 103142. https://doi.org/10.29140/jaltcall.2026.103142
- Saito, Y. (2026). Exploring the potential of ChatGPT for enhancing pragmatic instructions: Generating and analyzing conversation closings. In R. Dykes, O. Edwards, D. Bollen, & T. S. W. Lin (Eds.), Artificial intelligence in Japan's language learning classrooms (pp. 85-112). Candlin & Mynard. https://doi.org/10.47908/45/4
- Saito, Y. (2026). Pragmatic appropriateness of AI avatars' talks in VR-based language learning: A preliminary investigation. 『国際情報学研究』第6号, 47-67. https://chuo-u.repo.nii.ac.jp/records/2003625
斎藤 裕紀恵(さいとう ゆきえ)/中央大学国際情報学部 教授
専門分野 外国語教育、第二言語習得論、語用論、言語教育政策、EdTech米国コロンビア大学ティーチャーズカレッジ修士課程、テンプル大学博士課程、フランスのコート・ダジュール大学修士課程を修了。2019年より中央大学国際情報学部に勤務し、現在は教授。現在の研究課題は、VR(仮想現実)や生成AIを活用した外国語教育の効果検証、およびAIが生成する会話の語用論的分析などである。また、VR空間での複言語・複文化体験と生成AIによる事前学習を組み合わせた新たな言語教育モデルの構築に取り組んでいる。主要論文に、"An Exploratory Study of AI-Avatar Speaking Practice in Low-Immersion VR"(2026年)、"Exploring the Potential of ChatGPT for Enhancing Pragmatic Instructions"(2026年)などがある。









