
高校受験を控えていたある日、三者面談で志望校は難しいと言われた。
帰り道、私は感情のやり場がなくて、信号待ちの交差点で言ってしまった。
「わたしのこと、何にも知らないくせに。励ましたりとか、やめてくれない?」
吐き出した瞬間に、取り返しのつかないことを言ったとわかった。
けれど、言葉はもう白い空気の中に放たれていた。
目の前の信号が青に変わるまでの時間が、やたらと長く感じた。
鼻の奥が熱くなって、息が苦しかった。
そんな私に、母は正面を向いたまま、少しだけ口角を上げて言った。
「何年あんたの母親やってると思ってんの」
それきりだった。
振り返らない母の背中を追いかけるように、私も前だけを見て歩き出した。
その一言が胸に染みて、あたたかくて、情けなくて、でも不思議と力が湧いてきた。
その日の夜ご飯は、甘辛そぼろ丼だった。
いつもと変わらない、いや、むしろちょっと濃いめだった。
みりんと砂糖と醤油だけの、なんてことない味付けなのに、しみじみとおいしかった。
味が出尽くすまで、何度も何度も噛んだ。
口の中に広がる甘じょっぱさが、どうしようもなく泣きたい気持ちを、どこかに連れていってくれた。
よくもまあ、これだけでこんなにおいしくなるなと思った。
今日のは、たぶん醤油が多めだった。
社会人になって、今は彼と二人暮らしをしている。
仕事が遅くなった日、
冷蔵庫を開けてひき肉と玉ねぎが目に入ったとき、なんとなくそぼろ丼を作ってみた。
甘辛く炒めた肉の香りが1Lに広がった瞬間、不意にあの日の記憶が蘇ってくる。
彼は「これ、好きだわ」と言って、いつもより早く箸を動かした。
その様子を見ながら、私はなんだか少しだけ泣きそうになった。
母がそぼろ丼に込めてくれた、あのときの気持ち。
それを、今度は私が誰かに渡しているんだと思った。
味は、まだ母には敵わない。
でも、醤油の分量を少しだけ多めにしたのは、あの日の味を思い出してのことだった。
忙しい毎日のなかで、上司に言われた「社交辞令を本気にするな」という言葉が、心に刺さった。
社会って、想像以上にしょっぱすぎる。
誰かの本心がどこにあるのか、探ってばかりいる自分がいる。
そんなとき思い出すのは、あの日のそぼろ丼だ。
あの味だけは、探らなくてもちゃんと伝わる。
あの時の母の気持ちは、口じゃなくて、味に宿っていたんだと今は思う。
うまく言葉にできないとき、人は料理に頼るのかもしれない。
言葉を交わさずとも、伝わるものがあると知ったのは、きっとあの日の夕飯のおかげだ。