迷いながら、漂いながら
自分だけの言葉や表現を探している
田中 裕希さん
瀬戸内の静かな風景が作風につながっている
コー 2026年3月、全米批評家協会の詩部門において、第1詩集『Chronicle of Drifting』がノミネートされた、詩人の田中裕希さんをお招きしています。法政大学文学部英文学科で教えていらっしゃる田中先生ですが、こうしてじっくりお話を伺う機会はなかなかないため、今日をとても楽しみにしていました。まずは今回のノミネートについてお聞きしたいのですが、ご自身としてもある程度予想されていたのでしょうか。
田中 いえいえ、まさか。まったく考えていませんでした。詩は小説と比べると注目されにくい分野ですし、書評が出ることすら想像していませんでした。公式のSNSで発表されるまで、事前に個別連絡をいただいていたわけでもありません。発表は日本時間で夜の11時頃だったのですが、その日はなかなか眠れませんでした(笑)。
コー 詩人になるまでの歩みについても少し伺えればと思います。ご出身は山口県上関町と伺っていますが、幼少期の経験や風景が、現在の作風に影響していると感じることはありますか。
田中 私の詩には海がよく出てくるのですが、それはやはり、海のそばで育った影響が大きいと思います。瀬戸内海は荒波が立つような海ではなく、穏やかで静かな風景が広がっています。いわゆるアメリカ的な詩には、強い調子で多くを語りかけるようなスタイルもありますが、私の場合はどちらかというと静かなイメージの作風です。そうした感覚は、幼少期に見ていた風景や空気感と無関係ではないように感じています。
コー 大学進学を機にアメリカへ渡られたそうですね。どのようなきっかけがあったのでしょうか。
田中 母が英語が好きで、「海外に行かせたい」という思いがあったようです。ある日、急に留学のパンフレットを持ってきて、「こういうのがあるよ」と勧められ、私自身も英語が好きだったこともあり、チャレンジしてみようと思いました。最初はハワイの短期大学に入学。そこは、のちに4年制大学へ編入することを前提にしたプログラムだったので、その後、バージニア州にあるウィリアム・アンド・メアリー大学に編入し、英文学を専攻しました。
英語と日本語 言葉の「摩擦」が詩を書く原動力に

コー 田中先生は最初から詩人を目指されていたのでしょうか。
田中 いえ、もともとは小説を書きたかったんです。江戸川乱歩や赤川次郎のような、エンターテインメント性のあるミステリー小説が好きでよく読んでいました。ただ、どうやら自分には小説家の才能はあまりなかったみたいで(笑)。登場人物を設定しても、なかなか動いてくれなくて、物語が展開しません。そこで、「小説は向いていないな」と思うようになりました。ただ、その経験は今の詩作にも影響している気がします。私は比較的、物語性のある詩を書くことが多いのですが、語りの構造への興味は、小説を好きだった頃の感覚とつながっているのかもしれません。
コー 詩を書き始めたのはいつ頃からだったのでしょうか。
田中 本格的に書き始めたのは、ワシントン大学の博士課程で学んでいた頃です。そこで、とてもいい先生に出会えたことが大きかったです。
コー その先生からは、どのようなことを学ばれたのでしょうか。
田中 一番大きかったのは、それまで自分が書いていたのは、"詩っぽいもの"ではあっても、本当の意味で現代の詩ではなかったと気づかされたことです。たとえば今、モネのような印象派の絵を描いても、それだけでは新しい芸術にはなりません。印象派は昔は新しかったけれど、今ではすでに確立されたスタイルですから。当時の私は、「これが詩らしいだろう」と思うものを書こうとしていた。でも、自分は今を生きているのだから、今の言葉で、今の詩を書かなければならない。そのことを教えてもらえたのは、とても大きかったです。
コー なぜ英語で詩を書くことを選ばれたのでしょうか。
田中 単純に、英語そのものが好きだったというのが大きいです。英語は音の強弱がはっきりしていて、口を大きく動かして発音する。独特のリズムや音楽性があって、まるで音楽を奏でているようでもあり、果物を食べているようでもある。そうした英語の身体性が好きです。
コー 母語のほうが表現しやすい、と考える人も多いと思うのですが。
田中 私の場合、日本語には家族や友人との関係性、社会的な役割のようなものが強くまとわりついている感覚があります。たとえば一人称でも、「僕」や「私」には、それぞれ属性やニュアンスがある。母語だからこそ、それを強く意識してしまう。一方で、英語の "I" はとてもフラットで、ある意味、何者にもなれる感覚がある。そこに自由さを感じています。
コー 詩を書くときはもちろん、ご自身の経験を詩として言葉にしていく過程でも、頭の中では英語なのでしょうか。
田中 ほとんど英語だけで考えています。あまり日本語との行き来はしません。特にアメリカにいた頃は完全にそうでした。ただ、日本に帰ってきて法政大学で教えるようになってからは、作品の中で日本語が少し混ざるようになりました。日本での体験を英語に置き換えるときには、摩擦のようなものが生まれるのですが、そのズレや違和感が、逆に自分の詩を書く原動力になっている気がします。
「いい詩」には世界の見え方を変える力がある

コー 田中先生は翻訳も手がけていらっしゃいますが、先生にとって翻訳はどのようなものでしょうか。
田中 翻訳は、創作する上での大きなエネルギー源になっています。自分の作品だけを書いていると感覚が固定されがちですが、別の詩人を翻訳すると、自分では使わないような語彙や表現に出会える。その感覚を自分の詩に持ち帰るのが楽しいと感じています。また、翻訳には制約があります。たとえば原文に「リンゴ」とあれば、勝手に「パンダ」や「椅子」に変えることはできません。でも、自分の詩なら言葉はいくらでも変えられる。だから翻訳のあとに自作へ戻ると、すごく自由に感じます。プールで泳いだあとに海へ出るようなものですね。
コー ジャンルがまったく違うので単純には比べられないと思うのですが、たとえば私が文章を書くときには、ある程度、読み手を意識しています。田中先生が詩を書くときはいかがでしょうか。
田中 私は、読者を全く想定せずに書いてきました。もし詩がもっと日常的なもので、多くの人が自然に読む文化だったら、また違ったのかもしれませんが。もちろん、自分の中には「理想の読者像」のようなものはあります。その人が、この詩はいいかどうかを判断してくれる感覚ですね。でも、特定の誰かや、一般的な読者を意識して書くことはありません。
コー 田中先生にとって「いい詩」とはどういう詩なのでしょうか。
田中 自分なりの基準はありますが、一番大きいのは「驚き」があることです。ありきたりな表現ではなく、見慣れたものが急に違って見える瞬間が欲しい。たとえば、中国・唐代の詩にすごく好きな一節があって、「月明かりがあまりにも美しいので、手ですくってあなたに届けたい。でも、それはできない」という内容です。月が綺麗だというだけなら誰でも言える。でも、その詩人は月明かりを水のように"すくう"という表現にした。そこに飛躍があります。見慣れたものを、見慣れないものとして立ち上がらせる。いわゆる"異化"の感覚ですが、私はそこに詩の大切な力があると思っています。
コー 私は社会学がバックグラウンドにあるので、どうしても分析や解釈には、ある程度「正しさ」のようなものを意識してしまいます。でも、詩の場合は、読む人によって受け取り方が変わる部分も大きいですよね。田中先生の中で、「こう読んでほしい」という思いはあるのでしょうか。
田中 詩は、書き終えた瞬間に自分の手を離れていく感覚があります。私にとっては、まず書くことそのものがすべてなので、その後の解釈については、基本的には「ご自由に」という気持ちが強いです。詩人としては、「読んでくれてありがとうございます」、という気持ちのほうが大きいです。
シュルレアリスムは現実を少し柔らかくする想像力
装画:東郷青児《超現実派の散歩》(1929年、SOMPO美術館蔵)
コー 書評や詩評では、田中先生の作品について「シュルレアリスム的」と評されることもありますよね。ご自身では、その言葉をどのように捉えていますか。
田中 「今いる現実を少し柔らかくすること」に近い気がしています。たとえば、カチカチに固くなったパンを水に浸すと、ふっと柔らかくなります。現実もそれに似ていて、想像力を使うことで、固定された世界の見え方を少しほぐすことができる。そうやって現実を柔らかくすることで、別の見方や新しい形が見えてくる。私にとってはシュルレアリスムってそういう感覚に近いものです。
コー 第1詩集『Chronicle of Drifting』というタイトルにも表れているように、田中先生の詩には、漂流することによる想像力の自由さや広がりがあり、そこに大きな魅力を感じます。一方で、現代社会では「安定すること」や、自分を客観視することが強く求められているようにも思います。普段、学生たちと接する中で、そのあたりについてはどのように感じていますか。
田中 確かに漂っていると感じる学生はあまりいないかもしれません。むしろもっと漂える社会だったらいいな、なんて思ったりします。あまり余暇がないのでしょうね。コー先生はどのように感じているのでしょうか。
コー そうですね。私の所属している学部には、海外での滞在経験が長い学生や、多文化的な背景を持つ学生も多くいます。そうした学生たちは、日本社会にある「こういう進路を選んで、こういう会社に就職するべきだ」という画一的な価値観に、息苦しさを感じることが少なくありません。
田中 それは分かります。私もアメリカにいて、「自由でいいな」と感じることが多々ありました。ギャップイヤーを取ることも比較的自然に受け入れられていますし、一度立ち止まったり、寄り道したりすることに対して、日本ほど否定的ではない。少し"漂う"ことが許されている感覚がありました。
コー 漂流することが簡単ではない時代に、進路や生き方に迷っている学生も多いと思います。最後に、そうした若い世代へメッセージをお願いしたいです。
田中 それは一番難しい質問ですね(笑)。実は、私は学生の頃、卒業式の祝辞のような"大人が与える言葉"があまり響きませんでした。最近は特に、誰かから与えられる言葉そのものが、以前ほど力を持たなくなっている気もしています。だから私から言えるとすれば、「自分自身の言葉を見つけてほしい」ということです。詩を書くことも、結局は自分の言葉を探す行為です。誰かの言葉を受け取るだけではなく、自分なりの表現を見つけていくことが、きっと力になるのではないかと思っています。
コー 田中先生らしい、とても素敵なエールですね。今日は貴重なお話をありがとうございました。

- 詩人・翻訳者 田中 裕希(たなか ゆうき)
1982年山口県生まれ。法政大学文学部英文学科専任講師。英語圏の近現代詩を専門とし、英語での詩作活動を行う。テキサス大学オースティン校ミッチェナーセンターでMFA(芸術修士)を取得、ワシントン大学セントルイス校で英文学博士号を取得。
近刊に、第一詩集『Chronicle of Drifting』(Copper Canyon Press、2025 年)、瀧口修造詩選『A Kiss for the Absolute』(Mary Jo Bang との共訳、PrincetonUniversity Press、2024 年)。大森静佳の短歌英訳集が2027年にCopper Canyon Pressより刊行予定。
- 法政大学 第21代総長 Diana Khor(ダイアナ・コー)
1960年香港生まれ。1983年香港大学社会学科卒業 (B.Soc.Sc.)。同大大学院社会学研究科修士課程修了(M.Phil.)、スタンフォード大学大学院社会学研究科修士課程修了(M.A.)を経て、1994年スタンフォード大学大学院社会学研究科博士課程修了 (Ph.D.)。1999年法政大学第一教養部専任講師、その後法学部教授などを経て、2008年よりグローバル教養学部教授。2021年に法政大学常務理事・副学長(2025年3月まで)、2025年3月31日より法政大学総長。専門は社会学、ジェンダー・セクシュアリティ。





