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人生は一度きり。別れや挫折も糧にして
自分らしく生きていく

河合 紫乃さん河合 紫乃さん

希望を失った日々の先で見つけた新たなスタートライン

コー 本日は、2014年に法政大学キャリアデザイン学部を卒業された河合紫乃さんをお招きしています。元バドミントン選手であり、パラフェンシングの選手を経て、現在はパラバドミントン選手として2028年に開催されるロサンゼルスの国際大会でメダル獲得を目指されています。なかなか珍しい競技人生を歩まれてきたと思うのですが、これまでの経緯についてお聞かせいただけますか。

河合 私は小学生の頃からバドミントンを続けていて、スポーツ推薦で法政大学キャリアデザイン学部に入学しました。大学でも4年間バドミントンに打ち込むつもりだったのですが、入学して間もなく股関節を痛めてしまい、手術を受けました。そのため、大学1、2年生の頃はほとんど競技ができず、リハビリに明け暮れる日々を過ごしていました。

コー 本来であれば競技に打ち込みたい時期に、思うようにプレーできなかったのは、とても歯がゆかったのではないでしょうか。

河合 そうですね。周りには全国優勝経験のある選手たちが次々と入学してきましたから、焦りや葛藤は常にありました。でも、大学3年生で競技に復帰することができ、3年生と4年生のときには全日本学生選手権(インカレ)の団体戦で優勝を経験しました。そのときの喜びや感動は今でも忘れられません。

コー 卒業後は実業団に進み、S/Jリーガーになられましたね。

河合 実業団の北國銀行に入社しました。ただ、社会人2年目に再び股関節を痛めてしまいました。1年以上にわたる入院と4度の手術を経験しましたが、その過程で障害が残り、車いすで生活を余儀なくされました。それまで当たり前だった競技生活を失い、仕事も続けられなくなってしまいました。生きる希望を見失い、本当に先が見えない日々を過ごしていました。

コー 再び前を向くきっかけは何だったのでしょうか。

河合 大きなきっかけは、法政大学時代のバドミントン部の後輩が、国際大会で優勝した姿を見たことでした。その瞬間、インカレで優勝したときの感動がよみがえってきたんです。もう一度あの気持ちを味わいたい。そのためには、やはりスポーツしかないと思いました。もう一つは、時間の経過とともに「あきらめ」がついたことです。車いすであることも障害があることも、少しずつ受け入れられるようになった。そうすると、「失ったもの」を取り戻そうとするのではなく、「この体でどう楽しむか」を考えられるようになりました。

コー 「あきらめ」がついたとおっしゃいましたが、そこに至るまでには、きっと大きいな勇気が必要だったのだと思います。

河合 もちろん最後まで努力はします。でも、自分で変えられることと、どうしても変えることのできない現実があるのも事実です。障害を負う前の体には、もう戻れません。だから私は、それを無理に追い続けるよりも受け入れて、「この体でどう生きるか」を考えたほうが前向きになれる、という考えに至ったのです。

法政大学のネットワークが支えた新たな競技人生

コー ただ再出発するのに選んだのはバドミントンではなくてフェンシング。ここが意外ですよね。

河合 当時は、どうしてもパラバドミントンに挑戦する気持ちにはなれませんでした。パラバドミントンを始めることは、自分が障害者になったという現実を認めることのように感じていたんです。今振り返れば、まだ障害を負った自分自身を完全に受け入れられていなかったのだと思います。

コー 法政大学のフェンシング部は、見延和靖選手をはじめ、日本フェンシング界をけん引する選手を数多く輩出しています。そうした法政大学のネットワークも大きかったそうですね。

河合 本当にありがたかったです。「車いすフェンシングをやってみたい」と、大学時代のつながりを頼って相談したのが始まりです。味の素ナショナルトレーニングセンターのフェンシング場へ行くと、法政大学出身の選手や指導者が本当に多くて。私が法政出身だと分かると、みんなが"法政の仲間"として温かく迎えてくれました。

コー フェンシングに転向されてから、わずか1年で日本代表に選出されたそうですね。

河合 バドミントンで培ってきた身体能力は生かせましたが、競技としてはまったく別物でしたし、適応するまでには苦労しました。

コー 競技としてまったく違うことはもちろん分かるのですが、選手としてはどのあたりに大きな違いを感じましたか。

河合 一番大きいのは、判断に与えられる時間ですね。バドミントンはラリーの中で考えながらプレーできますが、フェンシングは一瞬の判断が勝負を左右します。相手の動きを予測しながら、「これでいく」と決めたら迷わず踏み込まなければなりません。その緊張感や駆け引きの面白さに惹かれ、夢中で競技に取り組んでいました。

「楽しい」という気持ちが再び世界への扉を開いた

コー その後、フェンシングに区切りをつけ、再びバドミントンの世界へ戻られるわけですが、どのような心境の変化があったのでしょうか。

河合 フェンシングでは世界ランキング11位まで上がることができましたが、あと一歩のところで2021年の東京での国際大会には届きませんでした。もちろん次の機会を目指すという選択肢もありました。ただ、4年後に向けてすべてを懸けられるかと考えたとき、そこまでの覚悟は持てなかったのが本音です。ちょうどその頃、左足の病気が進行し、切断手術以外に選択肢がない状態でもありました。だからこそ、一度立ち止まって、自分が本当に挑戦したいことは何なのかを見つめ直すようになりました。

コー 再びバドミントンと向き合うきっかけは何だったのでしょうか。

河合 赤羽のナショナルトレーニングセンターで偶然、元バドミントン日本代表の選手と再会し、「もう一回やってみようよ」と声をかけてもらったことです。9年近くラケットを握っていなかったので不安もありましたが、実業団の練習に参加してみると、30分ほどで感覚が戻ってきました。当時はまだ足を切断する前でしたが、車いすに乗った状態でシャトルを打ったときに、「まだできるかもしれない」と感じたのです。そこからですね。もう一度、バドミントンに挑戦してみようと思うようになったのは。

コー 足を切断するというのは、とても大きな決断だったように思います。SNSで手術前日に「今までありがとう。足さん。」と投稿されていたのも印象的でした。そこにはきっと、さまざまな不安や葛藤もあったのではないかと想像します。ただ、その中で「ありがとう」と言える姿勢、深い強さを感じました。

河合 実は、あまり葛藤はありませんでした。障害を負ってからすでに8〜9年が経っていましたし、パラスポーツの世界で、足のない人や首から下が動かない人など、さまざまな選手たちと接してきましたから。だから私の中では、「足がなくなるだけか」という感覚でした。

コー 手術後は義足を装着して、再びパラバドミントンのコートに立たれました。競技に復帰して感じた難しさや新たな発見はありましたか。

河合 パラバドミントンは、障害があるからこそ考えることがたくさんあります。自分の障害だけでなく、相手の障害の特性も理解しなければなりませんし、配球や戦術も大きく変わります。相手によって攻め方を変える必要があるので、駆け引きがとても面白いんです。同じバドミントンではあるのですが、私にとってはまったく新しい競技を始めたような感覚があり、とにかく楽しいです。

コー 2026年2月にバーレーンで開催された「Para Badminton World Championship 2026」で見事に優勝されました。もちろん並々ならぬ努力があってのことだと思いますが、やはり並外れた運動能力をお持ちなのだと感じます。

河合 一般的には、切断後に義足を付けて歩いたり走ったりできるようになるまで1〜2年ほどかかるそうなのですが、私は2カ月ほどで走れるようになりました(笑)。それまでの運動経験も活きたのだとは思いますが、私の場合、何より楽しかったんです。8年近く歩いていなかったので、再び体を動かせるようになったときの喜びが本当に大きくて。感覚としては、赤ちゃんが初めて立って歩く瞬間に近かったかもしれません。その喜びが毎日の原動力になりましたし、競技力向上のスピードにもつながったのだと思います。

コー お話を伺っていると、「楽しい」という言葉が何度も出てきますね。

河合 「楽しい」という気持ちは、私が一番大切にしていることです。実は、健常者として競技をしていた頃は、「結果を出さなければならない」というプレッシャーが強く、どこかやらされている感覚もありました。でも今は違います。自分で目標を決め、自分で考え、自分の意思で挑戦している。その過程そのものが楽しいです。成長も実感できますし、それが今の自分の強みになっていると感じます。

主体的な意思が自分らしい人生をつくる

2025年JAPAN国際大会で活躍の河合選手

コー 現在は2028年に向けてトレーニングを頑張っているところでしょうか。

河合 そうですね。トレーニングはもちろんですが、海外遠征もかなり多いです。ロサンゼルスの大会に向けたレースはまだ本格的には始まっていないので、今は世界ランキングを上げながら経験を積み、実力を高めている段階です。

コー 海外遠征で大変だと感じるのは、どのようなところでしょうか。

河合 フェンシングの頃から、一人で海外へ行くことも多かったのですが、やはり言葉の壁はあります。それに加えて、食事や気候、空気感など、環境の違いに慣れるのも大変です。ただ、そうした生活も8年ほど続けてきたので、今ではだいぶ慣れました。むしろ、さまざまな国の文化に触れられることは大きな学びですし、とても楽しいです。今が人生でいちばん濃密な時間を過ごしているのかもしれません。

コー 河合さんとは状況こそ違っていても、人生の中では、挫折を経験したり、夢をあきらめざるを得ない瞬間に直面することもあります。そうした経験の中にいる人たちに向けて、最後にメッセージをお願いできますか。

河合 私はある日突然、障害を負い、それまで当たり前にできていたことができなくなりました。その経験を通して強く感じたのは、「人生は一度きりだ」ということです。人はいつ何が起こるか分かりません。だからこそ、自分の人生を自分らしく生きてほしいと思います。そのために大切なのは、自分で選択すること。「自分はこうしたいから、この道を選ぶ」「自分で決めたから、この選択をする」。そうした主体的な意思を持つことが、自分らしく生きることにつながるのだと思います。

コー 河合さんのお話を伺って、前に進むということの意味を改めて考えさせられました。本日は本当にありがとうございました。


パラアスリート・モデル 河合 紫乃(かわい しの)

1992年富山県生まれ。2014年法政大学キャリアデザイン学部を卒業後、北國銀行バドミントンチームに入部、S/Jリーガーとなる。2018年に車いすフェンシングに転向。アスリートモデルも務める。2020年4月より株式会社富山環境整備に所属。2024年9月頃からバドミントンの活動を再開、パラバドミントン国際大会2025優勝など、パラバドミントン選手としても活躍。2028年ロサンゼルスパラリンピックでのメダル獲得を目指す。

法政大学 第21代総長 Diana Khor(ダイアナ・コー)

1960年香港生まれ。1983年香港大学社会学科卒業 (B.Soc.Sc.)。同大大学院社会学研究科修士課程修了(M.Phil.)、スタンフォード大学大学院社会学研究科修士課程修了(M.A.)を経て、1994年スタンフォード大学大学院社会学研究科博士課程修了 (Ph.D.)。1999年法政大学第一教養部専任講師、その後法学部教授などを経て、2008年よりグローバル教養学部教授。2021年に法政大学常務理事・副学長(2025年3月まで)、2025年3月31日より法政大学総長。専門は社会学、ジェンダー・セクシュアリティ。