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対話を通して別の視点を自分の中に取り込む
関係性を築くことが多様性につながる

フォト内原 英聡さん

「沖縄って日本なのだろうか」という問いと向き合う

田中 内原さんは法政大学社会学部を卒業後、大学院の修士、博士課程を修了され、現在は沖縄県石垣市の市議を務めていらっしゃいます。学部から大学院まで私のゼミに所属されていましたが、今回来ていただいたのは私のゼミ生だったからということではありません。数多くいる法政出身の政治家の中で内原さんは最近市議になられたということで、法政で学んだ人が政治の世界に入った時に一体どういう役割を果たせるのかということを一緒に考えていきたい。そして、現在の内原さんの目には何がどう見えているのかを在学生に伝えたいし、政治家という職業に良いイメージを持っていないかもしれない学生にもこういう人生の選択があるということを知ってもらいたいと考え、お越しいただきました。
内原さんは学生時代を振り返ってみて、何を学んだと感じていますか。

内原 法政大学は良い意味で学ぶ場は提供するけれど、口は出さないというところでした。そうした学びの場で、特に「無知は罪である」ということを叩きつけられました。例えば、大学の内外を問わず、同年代には詐欺や新興宗教に騙された人も多かった。そうした環境で世の中の仕組みについての関心を持つことができましたし、読書の大切さも実感しました。田中先生のゼミでは、「沖縄って日本なのだろうか」という問題と向き合いました。東京に来て、「沖縄って文化が独特だよね。基地問題も大変だよね」と言われるうちに、沖縄が日本の中で異質にとらえられていることを実感したからです。

田中 差別されることはありましたか。

内原 差別されるというよりも、アルバイト中に地方出身者の中で沖縄県出身の私だけが「日本語上手だね」と褒められることがあったり、「沖縄って良いよね」と持ち上げられたりすることが多かった。それが重なると、反対に「何でそんなふうに言われるのだろうか」と不安になったんです。だからこそ、自分自身の育った場所のことをきちんと説明できなくてはならないと考え、ゼミでは琉球や石垣島を含む八重山諸島のルーツを中心に研究したいと思いました。

田中 大学には在日の学生もいましたけれど、彼らも差別されるというよりは、「こんなことも知らないのか」と思ってしまうレベルの質問をされて落ち込むと言っていました。

内原 明確な差別はないけれど、米軍や自衛隊などの話題になるとなぜか本土の人から怒られているような感じにもなる。自分がきちんと答えられないとなおさらもやもやした感じが残る。こうしたことは沖縄の前知事の翁長雄志さんが法政大学に在学していた時代やその以前から、連綿と続いているんだろうなとは思います。

田中 翁長さんは1975年に法政大学法学部を卒業されましたので、まだ沖縄がアメリカだった時代に入学されている。今以上にいろいろ聞かれたでしょうね。

内原 近年では「沖縄ヘイト」という言葉がメディアで取り上げられるようになり、あからさまな差別的言動が本土で目立っているのも悲しいです。

もう一つの選択肢を示していきたい

田中 法政大学への進学を決めた理由は。

内原 先輩から誘われていた地元での仕事に就くか、大学に進学するか迷った時期がありました。考えた末、やはり大学に行きたいと、一浪して必死で勉強し、第一志望の法政大学社会学部に合格しました。田中先生から学びたいというのが一番の志望理由でしたが、法政には沖縄文化研究所があったことも大きかった。

田中 江戸を学ぶゼミで学びたいと思ったのはどうしてですか。

内原 田中先生のゼミで手法と視点を学びたいと考えました。先生の著書を読んでその視点や切り口、ものの見方に触れ、これまで漠然としていた江戸の歴史や人々の暮らしが飛び跳ねて見えるような感覚があった。先生から資料のあたり方や議論の方法を直に学びたいと思い、ゼミの面接を受けました。

田中 面接前、志望理由と研究テーマが書かれた文章を読みましたが、内原さんの書いたものは飛び抜けていた。一体この力をどこで身につけたのか不思議に思った程です。文章はもちろん、問題意識が非常に明確だった。どうやってそういう問題意識を身につけたのでしょうか。

内原 私の育った地域は所得も教育水準も全国平均を下回ると言われていました。離婚率が高く、ひとり親世帯や、祖父母や親戚、里親に育てられる子どもの存在も珍しくない。厳しい状況で育った人が多くいる環境で、必然的に社会的な問題と直面せざるを得なかったからかもしれません。
でも、私はよく先生から「思いはあるけれど、技術がない」と言われましたよね。本当に、その一言に尽きる。どうしたらいいかわからないけれど、とにかくあがいている。先生にはその良い瞬間を切り取っていただけたのだと思います。先生からいただいたこの言葉は、今でもずっと大切にしています。

田中 確かにそう言いました。でも技術って、思いと別に訓練するものではない。例えば文章力でいうと、書きたいことが何もなくて文章力だけつけられるかといったらそんなことはない。どうしても伝えたいことがある、本や映画で心を動かされた時に自分の心の状態を言語化しておきたい、そういう思いがある時に技術はついてくるものなんです。さらに、この文章では伝わらないと気づいた時に、組み立て直して論理的にしてみようという意識が出てくる。だから、書き続けるしかない。
内原さんは博士論文では近世の沖縄や八重山諸島について書きました。そこでは、何を伝えたいと思いましたか。

内原 石牟礼道子さんの言葉を借りるなら、「もう一つのこの世」を示してみたいと思いました。今は「この道しかない」という表現がよく言われていますが、「それは本当なのか」「こういう別の選択肢もあるのではないか」ということを問いたかった。

田中 このまま書き続けていけば、「もう一つのこの世」を現すことができると私は予感しています。是非本にして出版してください。

内原 はい、がんばります。

対立するのではなく、対話をいかに諦めないか

田中 市議に立候補した経緯は。

内原 祖父が石垣市長でしたので周りからはそういう家系だと思われておりましたが、政治の世界は修羅場であることは幼心に刻まれており、できるだけ避けるようにはしてきました。一昨年父が倒れた時に東京の仕事を整理して石垣に戻った際も、別の事業計画を準備していました。ところが今年3月の市長選前後に流れが変わり、同世代の友人が、「9月の市議選にでるなら応援する」と推してくれたんです。「おまえはしがらみを超えて話すことができる」と言われた。実際には私は身近な人とのコミュニケーションは下手だと言われますが、「議会だったら、その空気を読まない力が生かせる」と。時間をかけて話し合うなかで、政治がタブーになりがちな世代がまとまる兆しもあり、立候補を決意しました。

田中 同世代に危機感があったのですね。

内原 そうだと思います。琉球弧の島々、つまり奄美大島や宮古島、与那国島、石垣島はいま、自衛隊の配備計画が進行中です。沖縄が抱える軍事的課題は「辺野古」だけではないのです。先の大戦の傷も癒えないなか、残念ながら国策の進め方には不透明なことがらが多く、地元の市民からは「強権的だ」との指摘もあります。選挙ではそうした課題をタブー視せず、正面から問いかけました。そのなかでとりわけ意識したのは、対立するのではなく、意見の違う人との対話をいかに諦めないのかということでした。他分野の重要な政策では、与党も野党も超えて必要な分野で議論と協力をしていくスタンスでいたいと思っています。

田中 石垣市と沖縄県の関係は外からは見えにくい。

内原 台湾が日本の植民地だった時代には、八重山諸島の人にとっては旧帝大もあった台湾に行くのが一種のステイタスでした。台湾の方が沖縄より近代化も進んでいた。一方、沖縄島の人は大和、つまり本土を見ており、お互いすれ違っていた名残がある。また、石垣島は沖縄県内でも資源豊富な地域であり、移民を多く受け入れてきた背景があります。戦前・戦後を通じて台湾や本土から来た人々が、島の産業や財界を牽引してきた側面もあるのです。

田中 石垣市や沖縄県にとってどういう存在になりたいですか。

内原 ヒーローや英雄みたいな存在ではなく、本当に困っている人に「大丈夫、こういう方法がある」と示せるような人間になりたい。選挙期間中にも「私を使ってください」と訴えたのですが、自分を卑下しているわけではなく、お役に立てる自負があるということでした。石垣では貧困や労働の問題は深刻です。一つ一つの問題をひも解いていくと解決策はあるのですが、現状ではどうしていいかわからないという人が多い。ですから、話し合いの場をもち、私がITや学術的なことを駆使して情報収集役を担うからどんどん使って欲しい、そして自然を大切にしながら循環を描ける暮らしを成り立たせていきたいと考えています。

田中 国内外から観光客がたくさん来ても、受け入れ体制が整っていないと繁栄もない。また、その土地ならではの良さを求めても、そういうものがなくなってきている。日本の地方の共通する問題ですね。

内原 外資系や本土の会社も多い。時代の変化に適応しつつ連携を取っていかないと、石垣の人の生活の苦しさは改善されないと思います。

田中 議会で質問に立ってみての印象は。

内原 前職の記者として質問していた頃はまともに答えてもらえないこともありましたが、議員になってお互いに逃げ隠れできないところで討論できるのがありがたいです。石垣は議会中継の視聴率も高く、政治への意識が高いんです。

田中 最近の国会を見ていると、正確なデータを整えないまま、言い逃れや印象でものを言う応酬が多いのが残念です。議員にはきちんとしたデータを元に議論を進めて欲しい。

内原 本当に解決する気があるのか。現場の声を聞かず、思い込みでデマを飛ばし合う政治は早く終わった方がいい。日本は今や泥舟。そういうことをやっている場合ではない。どれくらいの速さで動いていて、どれくらい浸水しているのかというデータを見て議論を行わないといけません。

田中 最後に、在学生に対してメッセージをお願いします。

内原 何になりたいかではなく、何をやりたいかを軸に考えてみてほしい。読書体験を積んで、相性の合う書き手の文体や思考方法を真似てみるのも大切です。この人に「入信」しようかというほど影響されても、次の日に別の書物を読むと全否定されることがある。そうしたゆさぶりや迷いの中でしか得られないものがあると思います。

田中 ゆさぶりは、多様性を受け入れることにも通じます。

内原 同じく対話も多様性につながります。以前、先生は江戸時代の浮世絵の構図を通じて、二人の登場人物が横に並んで共通のものを見ている姿に、「共視」という視点を教えてくださいました。二人で向き合っていても答えはでない。この世の中をどう見ているのか、思いを出し合う。その関係性をめざしたいです。

田中 違う視点を自分の中に取り込んでいくことが多様性につながるということですね。本日はありがとうございました。


石垣市議会議員 内原 英聡(うちはら ひでとし)
1984年沖縄県石垣市生まれ。2008年法政大学社会学部卒業。2013年大学院博士後期課程修了。日本学術振興会特別研究員DC1(2010ー12年度)を経て法政大学社会学部非常勤講師、『週刊金曜日』編集部勤務。田中優子『カムイ伝講義』(2008年、小学館)で一部執筆担当。昨年帰郷し、2018年9月の石垣市議会議員選挙で当選、現在1期目。

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