「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテスト

読売新聞社と中央公論新社は、キッコーマンの協賛を得て、「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテストを開催しています。笑顔や優しさ、活力などを与えてくれるあなたの「おいしい記憶」を、私たちに教えてください。
第17回

一般の部 (エッセー)

キッコーマン賞

「冷凍庫に残された餃子」
望月 育子さん(千葉県・58歳)

読売新聞社賞

「『もう』の親子丼」
小松崎 潤さん(埼玉県・42歳)

優秀賞

「あの日のなめろう」
木原 茂さん(東京都・63歳)
「いつもがそばにあるうちに」
中村 美香さん(兵庫県・58歳)
「ウチんがた、貧乏やったらしい」
岩瀬 温子さん(福岡県・61歳)
「オヤジ サバ缶しよう」
板垣 嘉彦さん(新潟県・71歳)
「がんこ婆ちゃんと涙」
村岡 大二さん(埼玉県・56歳)
「たらればがに」
中野 是丸さん(東京都・54歳)
「箱の中には」
古川 友美さん(福岡県・39歳)
「母が遺した美味しい記憶」
松田 正弘さん(京都府・68歳)
「ホストファザーの宝物」
染谷 春花さん(茨城県・16歳)
「勇者のレベルアップ」
永澤 朱美さん(東京都・64歳)

小学校低学年の部 (作文)

文部科学大臣賞

せかいいちのおみそしるプロジェクト
田中 詩乃さん(東京都・6歳)

キッコーマン賞

「おばあちゃんのまほうのおなべ」
佐々木 一燈さん(宮城県・7歳)

優秀賞

「ぼくをじゅう電してくれた味」
清水 蒼都さん(群馬県・9歳)

小学校高学年の部 (作文)

文部科学大臣賞

「割り切れなくてもさんぶんこ」
井原 彪さん(兵庫県・10歳)

読売新聞社賞

「ひいおばぁちゃんのキュウリ」
野村 志伊さん(和歌山県・11歳)

優秀賞

「初めて知ったおいしいむらさきの食べ物」
成川 圭さん(東京都・11歳)

※年齢は応募時

第17回
■一般の部(エッセー)
優秀賞

「あの日のなめろう」 木原 きはら 茂 しげる さん(東京都・63歳)

 一昨年、母を八十六歳で見送った。先日、居酒屋で「なめろう」を口にした瞬間、不意に母のことを思い出した。

 母は口腔機能の衰えによって、次第に会話と食事が難しくなっていった。毎日一万歩以上を歩いていた健脚の人だったが、やがて転倒するようになり、数か月後には寝たきりとなった。そして、その二か月後、静かに旅立った。

 晩年の意思疎通は、ほとんど筆談だった。思うように言葉を伝えられず、どれほどもどかしかったことだろう。それでも母は、一度も弱音を吐かなかった。電子メモパッドに残されるのは、「ありがとう」「うれしい」といった感謝の言葉ばかりだった。さらに固形物を飲み込めなくなり、入院後は点滴だけの生活となった。

 そんな母が、入院する少し前に「魚が食べたい」と伝えてきた。母は昔から魚料理が好きだった。刺身、寿司、焼き魚、煮魚。食卓に魚が並ぶと、本当にうれしそうな顔をしていた。しかし、その頃には、三分粥や牛乳に浸したパンを少し口にできる程度まで衰えていた。私は何とかして食べさせてあげたいと思いながらも、どうすることもできなかった。妹とも、「元気なうちに、もっとお寿司屋さんへ連れて行ってあげればよかったね」と話し、自責の念に駆られた。

 しばらくして、妹が突然車で出かけていった。戻ってきた妹の手には、あじの刺身があった。妹はそれをまな板に乗せると、包丁で細かく刻み始めた。形がなくなるほど丁寧にたたき、みそと少量のしょうが汁を加えて、さらに包丁で混ぜ合わせた。そして、「なめろうなら食べられるかもしれない」と言って、小さな器に盛りつけた。

 妹がスプーンで母の口元へ運ぶと、母はそれを舐めるようにして口にした。そして、満面の笑みを浮かべた。さらに妹の手を握り、何度もお代わりを求めた。食べた量はほんのわずかだった。それでも、しばらくすると穏やかな表情で手を放し、電子メモパッドに「おいしいね」「ありがとう」と書いた。

 その文字を見た時、私たち兄妹は、ようやく母に親孝行らしいことができた気がした。妹の機転のおかげで、人生の終末期に母へ大好物を味わわせてあげることができたのである。

 私もそのなめろうを口にした。薬味も入っておらず、特別な味付けではなかったが、不思議なくらい美味しかった。母と同じものを食べ、同じ美味しさを感じられたことが、何よりもうれしかった。

 今でもなめろうを食べると、あの日、母が見せた満面の笑みが静かによみがえる。

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