慣れ親しんだ環境から一歩踏み出すことの大切さを学生たちに伝えたい
Diana Khor 第21代総長
大学で気づいた「社会学」の意義
廣瀬 本日は、2025年3月31日より法政大学総長に就任されるDiana Khor(ダイアナ・コー)教授をお招きしています。法政大学にたどり着くまでのキャリアの歩みについてこれまでじっくりお話を伺う機会がなかったため、今日はとても楽しみにしています。
Khor 私はイギリス植民地支配下の香港で生まれ育ちました。教育制度もイギリス式で、小学校3年生からは国語と中国の歴史以外の授業がすべて英語で行われていました。幼稚園のときから、アルファベット、英単語、漢字を学んできていました。イギリスと同様に中高は一貫校が主流で、私もミッション系の中高一貫校で学びました。カリキュラムもイギリスのものでした。香港大学に入学後も授業は英語で進められました。香港の99%の人の母語は広東語でしたが、80年代までは英語のみが公式言語でした。中国語を公式言語にする運動が広がり、私が香港大学に通っていた80年代半ば頃から広東語も公式言語になりましたが、教育はずっと英語で行われていました。
廣瀬 日常生活では中国語も使いつつ、初等中等教育からずっと英語で教育を受けてこられると、例えばディスカッションの場面や、学術的な概念や抽象的な論理操作をしようとすると、英語の方が普通に使いやすいといったこともあるのではないでしょうか。
Khor 私は中国語では論文を書くことができません。もちろん話したり読んだりすることはできますが、英語の方が自然に使えます。
廣瀬 香港大学ではどのような勉強をされていたのでしょうか。
Khor 英国式の教育システムでしたので、日本の高校のように学ぶのは16歳までで、そのあと大学進学準備のために2年間学びます。その期間は、世界史、経済政治、文学を中心に学んでいました。E・M・フォースターの植民地文学について学ぶなかで、教員が香港が植民地であることには一切触なかったことに強い違和感を抱きました。大学に入ってから植民地に関することを学び、議論しました。
廣瀬 社会学への関心が高まったのもその頃ですか。
Khor 父が工場を経営していたので、家業を手伝えたらと経営学と統計学、経済学にも関心がありました。あるときアメリカ人の実務家の教員が「労働者をどう管理するか」をテーマに授業をした際、その話し方にどこか労働者を見下すようなニュアンスがあったことに違和感を覚えました。ちょうど香港や周辺のアジア諸国で工場が急増し、労働者の搾取や工場での権力関係に社会全体が敏感になっていた頃だったこともあり、次第に「これは個々の人の問題ではなく、社会制度の問題ではないか?」と考えるようになり、より根本的な社会の仕組みを学ぶために第2セメスターに社会学に出会い、その後専攻するようになりました。
廣瀬 学部と修士課程を香港大学で学び、博士課程でスタンフォード大学に進まれたのはどのような経緯だったのでしょうか。
Khor 社会学の研究を進めていくうちにジェンダーについて関心を持つようになり、最初は女性学の発祥の地であるイギリスへの進学を考えました。ただ、香港がイギリスの植民地だったことからイギリスでは自分が二等市民のように扱われるのではという懸念が拭えませんでした。そうした理由から、アメリカで、かつイギリスから距離的に離れてイギリスの影響も少ない西海岸にあるスタンフォード大学の大学院を選択しました。スタンフォード大学の奨学金を受けることも出来ました。
廣瀬 その頃のスタンフォード大学では、ジェンダーは盛んに研究されていましたか。
Khor 当時、社会学部の中にはジェンダーを専門とする研究者はいませんでした。ジェンダーを学ぶには家族社会学が最も近い分野だったため、私も当初は家族社会学とマルクス主義の視点を組み合わせて研究していました。しかし、他学部でジェンダーを専門とする教員たちによってフェミニスト・スタディーズのプログラムが作られた時期でもあったので、家族社会学以外の教授からもアドバイスを受けられるようになりました。
廣瀬 博士論文のテーマについて教えてください。
Khor フェミニスト運動が女性の社会進出や政府の体制とどのように結びついているのかをテーマに研究しました。アメリカのフェミニズムは個人主義的、ヨーロッパやアジアのフェミニズムとは異なる側面があります。その違いは単なる文化的要因ではなく、政治体制との関係が大きく影響しているのではないかと考え、比較研究を行いました。アメリカに進学した理由の一つでもありますが、香港・イギリスでは質的な研究が多かったので、アメリカで量的な調査法を学ばなければならないと思い、博士論文でも量的な分析を行いました。
研究員として来日 そして法政大学の専任教員へ

廣瀬 1999年から法政大学の教員になられましたが、その間にどのような経緯があったのでしょうか。
Khor 博士号を取得した1994年当時、香港の状況は非常に不透明で、両親も一時アメリカに滞在していました。私もアメリカで仕事を探すつもりでしたが、ちょうど移民政策が厳しくなってきたこともあり、両親は最終的に香港へ戻りました。ただ私は香港に戻るつもりはありませんでした。香港の社会学の分野は規模が小さく、先輩や指導教員との関係が固定化されていて、自分の成長の機会が限られると感じていたからです。そこでパートナーが日本人だったこと、アジア圏でのフェミニズム研究を深めたかったなど、いろいろと理由が重なり、日本でのキャリアを考えるようになりました。
廣瀬 そして「法政大学国際交流基金(HIF)」の外国人招聘研究員制度によって研究員として来日されたのですね。日本に来ることに不安はありませんでしたか。
Khor サンフランシスコの日本大使館で調べて、法政大学にこの制度があることを知って応募しました。実は日本ではもっと英語が通じると勘違いしていたので、大丈夫だと考えていました。それに漢字が読めるので何とかなるだろうという妙な自信もありました。今振り返ると、若さゆえの無謀なチャレンジだったとは思います。
廣瀬 そこからどのような経緯で法政大学の教員になられたのでしょうか。
Khor 一年間の研究が終わりに近づき、アメリカに戻るか香港に戻るか悩んでいたときに、研究員で女性学に関わる方々に聞き取り調査を行ったなかに当時法政の教員であった田嶋陽子先生もいたのですが、その田嶋先生から、英語ライティングの非常勤の先生が急に辞めて空きがあるので、英語の授業をやってみないかと誘っていただき、次年度から非常勤講師として授業を担当することになりました。授業を持ってみると、法政には優秀で熱心な学生が多く、やりがいを感じました。しばらくして専任教員の枠が空き、公募が出た機会に応募して採用されました。
学生が主体的に学ぶ環境をすべての学部に整備したい

廣瀬 法政にはかつて一般教養課程を担当する第一教養部という教員組織があって、Khor先生はそこに専任教員として所属されましたが、新任教員の頃はどのように過ごされていたのでしょうか。
Khor 初めの頃は日本語があまり分からなかったこともあり、ほぼ英語科の教員としか関わっていませんでした。ただその英語科の中でも、ネイティブスピーカーと非ネイティブスピーカーの間に英語教育に対する考え方の違いがあり、そこに少し違和感を抱いていました。英語教育について自分の考えが整理され納得できたのは、法政大学にGIS(グローバル教養学部)が設立されたときですね。
廣瀬 GISは教育言語を英語とし、少人数教育を採用するなど、従来のスタイルとは大きく異なる学部であり、法政大学にとっても大きな挑戦だったと思います。Khor先生はGISの立ち上げに関わるコアメンバーのうちの1人でした。
Khor GISに関わる教員は海外で学位を取得した人が多く、欧米のリベラルアーツの教育手法を取り入れるのが適しているのではという話になり、その方向でスタートしました。学生の英語レベルや、深い議論ができるかどうかといった不安もありましたが、学生のモチベーションが高く、想像以上に良いスタートを切ることができました。
廣瀬 一般に日本の学生は授業の中であまり積極的に議論をしたりしないと指摘されますが、GISが始まった時、学生たちは自然にコミュニケーションを取れていましたか。
Khor 英語をあくまでコミュニケーションツールと捉えていたため、過度に意識せずに発言できたのが良かったのだと思います。みな発音や文法を気にすることなく、積極的に話していました。少人数の環境だったので、学生同士が友達のような関係を築き一緒に学んでいくという雰囲気だったこともプラスの要因だったと思います。
廣瀬 これからの法政大学がグローバルな大学として発展していくうえで、GIS以外の学部はどのような方向に進むべきだとお考えですか。
Khor どの学部においても、アクティブラーニングを積極的に取り入れ、学生が主体的に学ぶ機会を増やしていくことが重要だと考えています。
廣瀬 いま大学では、正課外・正課内も含めて様々なアクティブラーニングのプログラムが動いていて、1年生から参加できる仕組みにもなっています。たとえば法学部でも1年生向けの専門科目の中にアクティブラーニングを取り入れています。最近気づいたのですが、4年生でも課外プログラムに熱心に参加している学生がいて、彼らの履修歴を調べてみると、1年生のときにアクティブラーニングのプログラムに参加し、その魅力に気づいたという共通点がありました。一方で、そういったプログラムの存在も知らずアクティブラーニングに触れる機会がないまま4年間を過ごし、単位はそろえたものの講義を「眺めるだけ」で終えてしまう学生もいるのが現状です。後者をどうやって減らすかというのは難問だと感じています。色々なチャンスを提供してもそれを受けるかは本人次第で、チャンスをつかむことを促す、そこに魅力を感じとらせる仕組みも必要だと感じています。
Khor 最初はある程度強制的に経験させることが必要なのかもしれません。授業内にアクティブラーニングを取り入れ、それが単位取得の必須条件となれば、学生はやらざるを得ないですよね。一度経験すれば、「面白い」と感じそこから積極的に参加する学生も増えてくるのではないかと思います。
社会における多様性の大切さをこれからも伝えていく
廣瀬 Khor先生はこの4年間、副学長・常務理事としてダイバーシティ担当、男女共同参画推進担当、そしてグローバル教育センター長を兼務して法政大学のグローバル教育の推進において中心的な役割を担われてきました。これまでの取り組みの中で、進展を実感できた部分と、思うように進められなかった部分の両方があると思いますが、現時点でどのように感じていらっしゃいますか。
Khor グローバル化に関しては、特に"意識"の面でまだ十分に進んでいないと感じています。日本人が持つ「私、英語ができない」というコンプレックスをどう解消していくかは、今後も積極的に取り組んでいきたい課題の一つです。一方で、ダイバーシティ化については大きく前進したと実感しています。特にDEIセンター(ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョンセンター)の設立により、多様性推進の理念がより明確になり、可視化された点は非常に良かったと思います。
廣瀬 トランプ政権の誕生以降、アメリカでは多様性への逆風ともいえる動きが出始めていますが、法政大学としては今後も、社会における多様性や、社会理解の大切さを伝えていくお考えですね。
Khor 「人びとの権利を重んじ、多様性を認め合う『自由な学風』」と「公正な社会の実現を目指す」という法政大学憲章『自由を生き抜く実践知』の理念は、「ダイバーシティ宣言」の根幹となっています。そして、近年では男女共同参画をはじめとする多様性、公平性、包摂性の推進を通じて、より具体的な形で実現されています。時代が変わっても、法政大学は、多様な背景やルーツ、アイデンティティを持つすべての学生が安心して学生生活を送れるよう、使命として取り組み続けます。
廣瀬 頑張っていただきたいと思うと同時に、Khor先生のお身体も少し心配です。ストレスをしっかり解消しながら、無理なく取り組んでいただきたいです。趣味や余暇はどのようにお過ごしですか。
Khor 以前はお茶の稽古でした。20年程続けていましたが、先生が亡くなって少し離れています。お茶を立てると気持ちが落ち着きます。今でも執務室には茶碗と茶せんがあります。
今の趣味は運動です。週5日、多い時は週6日、出勤前に筋トレや水泳などの運動をしています。カフェも好きですね。カフェで仕事するのが好きです。もちろん外に持ち出しても差し支えない仕事だけですが。また猫の存在が何よりの癒しです。今で三代目ですが、今の猫は東日本大震災の後に被災地の福島から保護猫として譲り受けたものです。
廣瀬 最後に、法政大学の学生に向けてメッセージをお願いします。
Khor 「環境から一歩踏み出そう」ですね。いわゆる"コンフォートゾーン"、つまり自分の慣れ親しんだ環境から一歩外に踏み出すことで、新しい風景が見えてくる。その挑戦の大切さを、ぜひ皆さんに知っていただきたいと思います。
廣瀬 ちなみにこの「HOSEI ONLINE」は総長がホストとなり、在学生や卒業生をお招きし対談する企画です。様々な人との出会いや対話を通じて新たな視点を得られる場なので、ぜひKhor先生にも楽しみながら、この場を盛り上げていただきたいです。本日はありがとうございました。

- 法政大学 第20代総長 廣瀬 克哉(ひろせ かつや)
1958年奈良県生まれ。1981年東京大学法学部卒業。同大大学院法学政治学研究科修士課程修了後、1987年同大大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学、同年法学博士学位取得。1987年法政大学法学部助教授、1995年同教授、2014年より法政大学常務理事(2017年より副学長兼務)、2021年4月より法政大学総長。任期満了により2025年3月30日をもって総長を退任。専門は行政学・公共政策学・地方自治。複数の自治体で情報公開条例・自治基本条例・議会基本条例などの制定を支援の他、情報公開審査会委員などを歴任。
- 法政大学 第21代総長 Diana Khor(ダイアナ・コー)
1960年香港生まれ。1983年香港大学社会学科卒業 (B.Soc.Sc.)。同大大学院社会学研究科修士課程修了(M.Phil.)、スタンフォード大学大学院社会学研究科修士課程修了(M.A.)を経て、1994年スタンフォード大学大学院社会学研究科博士課程修了 (Ph.D.)。1999年法政大学第一教養部専任講師、その後法学部教授などを経て、2008年よりグローバル教養学部教授。2021年に法政大学常務理事・副学長(2025年3月まで)、2025年3月31日より法政大学総長。専門は社会学、ジェンダー・セクシュアリティ。





