法政時代のボストン留学が導いた
「クロスボーダー」のキャリア
河本 孝志さん
ボストンへの短期留学がすべての始まりだった
コー 本日は、法政大学国際文化学部の卒業生であり、外務省や外資系コンサルティング会社、国連職員など、グローバルで多岐にわたるキャリアを歩み、今後アメリカで新たなチャレンジを控える河本孝志さんをお迎えしています。河本さんがアメリカの大学院を修了された際、私の研究室まで報告に来てくださったことを、今でもよく覚えています。今日はいろいろとお話を聞かせてください。まずは法政大学に入学される前、高校時代の河本さんについて教えていただけますか。
河本 高校生活は、文字どおり野球一色でした。勉強そっちのけで、すべてを野球に注いでいたと思います。最後は埼玉県大会でベスト8まで進み、優勝校に2対1で惜しくも敗れて、野球から離れることに。そこからようやく受験勉強を始めました。
コー どうして法政大学 国際文化学部を選ばれたのでしょうか。
河本 母が旅行好きで、子どもの頃から海外旅行に連れて行ってもらったり、中学時代に短期間イギリスへホームステイしたりと、異文化に触れる経験を重ねるなかで、「違う世界に触れたほうが、自分の視野も広がるのでは」という思いが芽生えました。国際文化学部は留学が必須だったこともあり、そこに魅力を感じて進学を決めました。
コー 河本さんはどちらに留学されましたか。
河本 SA(スタディ・アプロード)プログラムでボストンに行きました。期間としては3ヶ月ほどだったのですが、私の人生の中で一番インパクトがあった3ヶ月だと思います。まさに「ゲートオープン」と呼べる体験でした。
コー ボストンではどんな3ヶ月を過ごされましたか。
河本 現地の寮にいきなり放り込まれたのですが、英語がまったく通じず苦戦の連続でした。授業では、日本ではあまり見かけないようなディスカッション形式が中心で、たとえば尖閣問題や歴史認識について激しく意見を交わしていて。「君はどう思う?」と聞かれても何も答えられず、歯がゆい思いをしました。ショックは大きかったですが、同時に新鮮で魅力的でもあり、「この人たちをもっと理解したい、自分の想いも伝えられるようになりたい」と強く感じ、それが語学を学ぶ大きな原動力になりました。
コー 留学の経験は、日本に戻ってからの河本さんにどんな影響を与えましたか。
河本 今振り返ると少し恥ずかしいのですが、当時は生活のすべてを英語に切り替えました。家のテレビも英語しか流れないように設定し、アルバイトも六本木のレンタカーショップで、外国人対応を任される仕事を選びました。授業も、卒業に必要な範囲ギリギリでほぼすべてを学際科目に。そのときにコー先生の授業も取り始めたんです。
コー それは徹底していますね。日常会話はどうされていたんですか。
河本 もちろん英語です。ある日突然、僕が「Hello」と話し始めたので、友達からは「どうしたの?」と心配されました(笑)。でも、それくらいしなければと思うほど、留学先での経験が衝撃的で。ボストンから帰る際、ローガン空港へ向かうバスの中で感じた「もっとやりたいことがあったのに」という悔しさは、今も心に残っています。
議論し合える環境を求めてミズーリ州立大学院へ進学

コー 法政大学を卒業後、ミズーリ州立大学大学院に進まれましたが、その経緯についてお聞かせいただけますか。
河本 じつは私、小学生の頃からエアラインのパイロットになるのが夢だったんです。だから就職活動では、日本の大手航空会社2社に挑戦しました。でも、残念ながらご縁がなく。そこで改めて「本当にやりたいことは何だろう」と考えたときに思い出したのが、留学の記憶。パイロットの夢が叶わないのなら、せめて自分が一番やりたいことに挑戦しようと、大学院進学へと気持ちを切り替えました。
コー ミズーリ州立大学大学院でも国際関係を選ばれていますね。
河本 外交や軍事、安全保障といった領域を突き詰めたいという思いがありましたし、何より留学したときのあの環境に戻りたかったのでしょう。友達と政治について議論するような時間をどうしてももう一度持ちたかったんです。
コー 河本さんはディスカッションが好きなんですね。法政大学でもアクティブラーニングの一環としてディスカッションを取り入れていますが、苦手な学生もいますね。
ミズーリ州立大の大学院の同僚と
河本 最初は僕も苦手でした。そもそも、自分の意見を持つって、意識しないと難しいものですよね。政治や社会の話題に限らず、「自分はどう思うか」を普段から考える習慣を持つことが大事だと思います。それから、やっぱり「場数」を踏むこと。授業だけでなく、友人や家族との会話でも、「自分はこう思うけど、あなたはどう思う?」と問いかけてみる。その繰り返しが、自分の意見を育てる力になると思っています。
コー ミズーリ州立大学大学院で国際関係学の修士課程を修了されたあと、社会人として働きながら、さらにケンブリッジ大学大学院にでも学ばれています。その背景には、どのようなきっかけがあったのでしょうか。
河本 当時は国連職員としてベルギーに住んでいました。官民連携担当官としてEU本部で働くなかで、社会課題の解決にはビジネスの力が欠かせないと再認識するようになったんです。社会にインパクトを与えるには、ビジネスを通じてスケールさせていく必要がある。そのため、自分と同じ志を持つ人たちと出会い、共に刺激を受けながら視座を引き上げたいという思いから大学院(エグゼクティブプログラム)に金曜&週末を利用して、はるばるベルギーからイギリスまで通いました。ただ、既に経営コンサルを経験した後だったので知識や学位取得が目的ではなく、ネットワークづくりを求めての挑戦でした。
コー ビジネスにおいてネットワークはやっぱり重要でしょうか。
河本 ものすごく大事だと思います。物事を動かすとき、同じ志を持つ仲間と手を組むことで、より大きなうねりを生み出せます。またキャリアの初期には、新しい世界をナビゲートしてくれる「案内人」のような存在にもなってくれます。私のこれまでを振り返ってみても、新しい世界を広げていくためのゲートオープナーはたいてい人でした。そうした出会いがなければ、今の自分はなかったでしょう。
「知りたい」という好奇心がクロスボーダーの一歩

コー 外務省での外交官としての経験を皮切りに、外資系コンサルティング会社での勤務や、ヨーロッパでの国連職員としての活動など、多岐にわたるキャリアを歩まれています。
そうした多岐にわたるキャリアを一言、もしくは一つの単語で表現すれば何でしょうか?
河本 一言だと「クロスボーダー」だと思います。クロスボーダーの仕事やキャリアというのは、異なるものが交わる場面、たとえば文化や価値観、立場の違いにおいて、必ず生じる対立や不安、ギャップをどう橋渡しするかが鍵になります。英語で言えば 「Make things work」。"うまく機能させる"ことを自分の役割とし、それを得意とする分野で仕事をしていきたい。そういった思いから、クロスボーダーなキャリアを志向してきたんです。
コー クロスボーダーの仕事は、「ボーダー」があるからこそ必要になるわけですが、ボーダーが無くなることはないのでしょうか。また、それは望むべきことでしょうか?
河本 私は、ボーダーはなくならないものだと思っていますし、無理になくす必要もないと考えています。国境に限らず、会社の部署間、学問領域、政府と民間など、あらゆる場面にボーダーは存在します。重要なのは、それらを取り払うことではなく、うまくブリッジすること。新しい学問やテクノロジーの進化によって、これからも新たなボーダーは生まれていくでしょう。だからこそ、ボーダーに気づき、どう橋渡しするかを考えられる人材を増やすことが、今後ますます大切になると思います。
コー クロスボーダーをブリッジできる人材にはどういうことが求められるのでしょうか。
NYのインターンで国連本部に行ったとき
河本 多様性ですかね。多様性というと人種や思想を思い浮かべがちですが、私は価値観の多様性こそが重要だと考えています。ブリッジするには、ただ両者の主張を並べるのではなく、双方を深く理解していなければ成り立ちません。どちらの立場にも立てる人がいて初めて、適切な橋の架け方が見えてくるもの。とても大切な視点ですが、実際に仕事の中でそれを体現できている人は少ないというのが、私の実感です。
コー ではクロスボーダーの世界において、河本さんの強みはどこにあるのでしょう。
河本 圧倒的な好奇心でしょうか。「知りたい」という気持ちが原動力になり、未知の世界に飛び込むことで視野を広げ、その世界をさらに深く掘り下げていく。その繰り返しが、さまざまな領域に関わる力になってきたと思います。違う世界に自ら入っていく姿勢が、多様な経験や視点につながり、結果として自分の強みになっていると感じています。
社会に出てからは「アンテナを高く張る」を常に意識
コー これまでもさまざまな挑戦を重ね、多彩なキャリアを築いてこられた河本さんですが、近々アメリカに戻って、また新たなチャレンジに取り組まれると伺いました。
河本 そうなんです。ひとことで言うと、アメリカでコンサルティング会社を立ち上げることにしました。もともと起業願望があったわけではなく、日本と海外の架け橋となるような仕事、それを海外(現地)でクライアントの中に入り込んで、いわば派遣役員のごとく実行まで一緒にやりきる、みたいなポジションを、転職も含めて探してきたのですが、なかなか見つからなくて。それならもう、自分でやるしかないなと。
コー ご自身の会社では、どのようなビジネスを展開していきたいとお考えですか?
河本 私は特定分野にとどまらず、複数の領域を横断して深く関わってきました。これもクロスボーダーの視点です。そうした立場だからこそ見える戦略があると感じていますし、戦略立案にとどまらず実行まで伴走し、自分の人脈も活かして成果にまでつなげていく。さらに、「日本」という軸も大事にしたいので、日本企業でも日本市場でも「日本」と関わりのあることをテーマに、企業経営者から最初の一声がかかる「現地のかかりつけ医」のような存在を目指しています。会社名も分かりやすく「Global Samurai Advisory™」にしました。
コー それはおもしろそう。これからの活躍が目に見えるようです。ちなみに10年後の河本さんは、どこで何をしていると思いますか。
河本 ファーストキャリアが外務省だったこともあり、「日本の産業界ために」という公共的な視座は常に意識してきました。だからこそ、日本企業を海外で勝たせる経営人材になりたいという思いがあります。コンサルタントとして関わっているのか、どこかの企業で海外担当役員として挑戦しているのか、所属は分かりませんが、10年後に自分らしい活躍ができているよう、今後もクロスボーダーの橋渡しができる人材としてバリューを出し続けていきたいです。
コー 最後に後輩たちに向けて、河本さんからメッセージをお願いします。
河本 学生の皆さんには、ぜひ思いきり「ストレッチ」、つまり背伸びをしてほしいと思います。想像している以上に世界は広く、その先を見るには、自分自身をぐっと伸ばして挑戦するしかありません。そしてもうひとつ大切なのは、日頃からアンテナを高く張ること。チャンスはいつ、どんな形で目の前に現れるか分かりません。気づいたときにすぐ動けるかどうかが、未来を大きく変えます。「アンテナを高く張る」という意識は、社会に出てから、そして今もなお私が常に意識していることです。
コー 学生たちにとっても大変刺激的で学びの多いインタビューとなりました。河本さん、本日は本当にありがとうございました。

- クロスボーダー経営戦略家/アドバイザー 河本 孝志(かわもと たかし)
クロスボーダー経営戦略家/アドバイザー。米コンサルティング会社 Global Samurai Advisory™のFounder&Managing Partner。
法政大学国際文化学部卒業。米国ミズーリ州立大学国際関係大学院、英国ケンブリッジ大学経営大学院エグゼクティブプログラム修了。
外務省 外務事務官&専門調査員、デロイトトーマツコンサルティング合同会社 ストラテジー シニアコンサルタント、世界経済フォーラム 戦略コンサルタント、外務省JPO試験合格後に国連防災機関(UNDRR)欧州事務所 官民連携担当官、Brunswick Group米国法人 ディレクター、関西ペイント経営企画本部M&A戦略部部長等を経て、 2025年9月より所縁ある米国インディアナ州にコンサルティング会社Global Samurai Advisory™を設立し、独立。
専門は、コーポレート戦略、成長戦略、M&A、組織変革、戦略コミュニケーション/広報、ステークホルダーマネジメント、危機対応、パブリックアフェアーズ。
- 法政大学 第21代総長 Diana Khor(ダイアナ・コー)
1960年香港生まれ。1983年香港大学社会学科卒業 (B.Soc.Sc.)。同大大学院社会学研究科修士課程修了(M.Phil.)、スタンフォード大学大学院社会学研究科修士課程修了(M.A.)を経て、1994年スタンフォード大学大学院社会学研究科博士課程修了 (Ph.D.)。1999年法政大学第一教養部専任講師、その後法学部教授などを経て、2008年よりグローバル教養学部教授。2021年に法政大学常務理事・副学長(2025年3月まで)、2025年3月31日より法政大学総長。専門は社会学、ジェンダー・セクシュアリティ。





